テーマ:小説書きさん!!(624)
カテゴリ:創作メモ
**主要登場人物 他** 頼元・五条殿・外記・少納言→五条(清原)頼元 宮→懐良親王【後醍醐天皇皇子】 御息所→懐良親王母【二条為道女】 少将→御息所付きの女房名 良氏→五条(清原)良氏【頼元の息】 大塔宮→護良親王【後醍醐天皇皇子:宮の兄】 足利の左馬頭→足利直義 先帝→後醍醐天皇 小龍丸→少将の姉の孤児 <物語の前に:蛇足> 時は室町初期。 鎌倉幕府の内部分裂の隙に乗じて、建武の新政を提唱し、都に王朝の昔を復活させることを夢見た後醍醐天皇だったが、その政策の限界を足利尊氏に見定められ立場は逆転。 ついに皇位を追われ、叡山から吉野へ移るといった政変がおこったころ。 都にはすでに、後醍醐天皇の力は及ばず、足利体制が敷かれつつあった。 後醍醐天皇は、一旦勢力をそがれたものの、多くの皇子を各地に分けて、足利体制に不満を持つ武士をして、都を包囲するべく時を待っていたが、知力体力を兼ね備えた大塔宮(護良親王)が北陸で足利直義に討ち取られ、またも挫折。 しかし、それでも諦めない後醍醐天皇の倒幕の思いは、まだ幼い懐良親王に向けられたのである。 雲煙の宮 出京の条(その二) 連日の凶事に、誰も彼も疲れはてている。ここ数年のめまぐるしい時勢の流れに、人は翻弄されているだけのように見えた。 「あの子の母君も、たしかあの火事で」 「ええ、可愛そうな事をいたしました。ほんの幼子でしたのに。邸の火事に巻き込まれて姉は逃げ遅れてしまいましたから」 少将はそういうと、少し悲しげな顔を頼元に向けた。何年前のことであろうとも、その時の悲しみが癒えるわけではないと、わかっていても胸は痛むのである。 荒れた都での、戦乱と火事は何度も多くの人の命を奪った。 もののふが戦で果てるのは道といえども、戦いは何の罪もない市井の者たちも巻き添えにしていく。多くの死体が河に投げ捨てられ、供養もされず山積みになっていたのを、頼元も見ていた。しかし見ていながら、これをこの世の地獄だと思わなくなってしまっているのだ。 今、何が一番求められているのか。 答えを知っていながら、頼元はそれから目を背けなければならなかった。 「姉があの子を身ごもっていた時に、夫は亡くなってしまいましたから。頼れるのは姉だけだったのですが。 あの子が私の所にやってきたときには、驚きました。着る物も髪も焦げて、体中やけどの跡が残って。可愛そうで、可愛そうで」 少将はそういって、泪を拭った。 「けれど、今はその跡も残っていないようです。少将殿が母代わりとして、よく面倒みておられるからでしょうな。 宮の遊び相手だけでなく、私の学問の弟子にもしたい。なかなか見込みがありますよ。知恵付きも、良いですしね」 「そうですか、それはありがたいこと。 五条殿のような方に見初められるのも、あの子の為にはよいかもしれません。宮とああして親しくさせていただいてはおりますが、いつかは身を立てねばならぬ時が来ますから」 「そうお考えですか。出家させなさるおつもりではありませんでしたか」 頼元の何気ない言葉に、少将は声を止めた。 「もし、宮が御様をお変えになることになれば。 ご一緒に、とは思っておりますが」 「左様ですか。そこまで忠義を」 「他にこれといったご縁があるわけでなし。お側でどのようなご用でも務めさせたいと思っておりますので」 忠義というなら、この少将ほどの者もいないだろう。幼い頃から御息所に付いて片時も離れず、参内のおりにもこの人の役を他にこなす人はいなかったという。 御息所が病ついてしまわれて、宮と離れて暮らさなければならなくなってからは、宮の乳母以上に宮に付き従い、ひたと御様子を見てきた人なのだ。 頼元はそういう少将のまなざしが、宮と小龍丸の方へ注がれ、どこにも逃げていかないことに気がついた。こうして客人の相手をしていても、その目は必ず二人に向けているのである。二人の姿を見守っているというより、何かしら鬼気迫る様子に見える。 頼元は少将に気づかれぬように、小さく一つ溜息をついてみた。 その微かな息の揺れが、頼元の狩衣の裾を揺らして見える。手にした文箱と、文書をそっと横に置いて、頼元は夕暮れの近づくこの御所の庇に座り、少将と共に幼い二人の姿をじっと見つめ続けた。 >>3へ続く >>1へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.03 01:12:50
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