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眞砂子さんの猫殺し騒動

眞砂子さんの猫殺し騒動

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2009/02/26
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カテゴリ:崖の下のミュー
ロッカーの前で制服を脱いでぼうぜんと立っていた彼女は、はたして次の日休んだ。
みんなが安心したことに、無断欠勤ではなく、ちゃんと断りのメールが会社に入っていた。彼女はこの会社で生きるつもりになっている。
いままで同じようにして退社した人は数人いるし、彼女だってそのうち仲が良かった何人かは引き止めていたはずなのに、がまんの限界がきてついあんな行動に出てしまったのだろう。ひとごとではなくなったのだ。

うちが売っている商品の中には、たしかに売っていて「罪悪感」を感じるものがある。
あの毎日来る「ハトおじさん」に食パンを売るのにしても、仕入れのタイミングが少しずれて、そのためにほんとうに自分が食べるためのパンを買えなくなった人もいる。野良のハトに人がエサをやることで同一地域に集中的にハトが集まってきていろいろ迷惑をしている人もたくさんいる。この地域はそうでもないが、条例で無責任なエサやりを禁止しているところもあるようだ。
困っている生き物に同情して、自分の感情を勝手に移入して、自分の気が済むことを優先にした行為は、ひとごとでしかない。それは歯止めが効かない。そんなことができるのは、個人を超えた存在だけなのに。
そして、その結果、同じような感情を持っているものが集まれば、個人を超えた存在になれると勘違いする人もでてくる。そこには、自分たちに敵対するものへの憎悪の感情はそのまま保存されている。彼らは地獄に行く人たちなのだ。

うちの経営者がかって言ったことばがある。
「飢えている子どもの前で、ハンガーストライキは有効か」

つまらない冗談だ、と思う。
強いられた飢餓と自分で選んだ飢餓とは違う。
強いられた飢餓の場合、肉体的にも精神的にも自由は奪われている。

精神的に自由な個人が自分のできることをしても、その声が届く範囲は、ほんとうに狭い。
だから自分を受け入れてくれる人たちへの感謝のあいさつは必要だ。
いまパンを必要としている人に、そのようなことばを投げてもほとんど届かないだろう。
しかし、パンだけを投げ入れても、彼らから奪ったものは彼らに戻らない。





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Last updated  2009/02/26 06:55:26 AM
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