カテゴリ:日々の暮らし
今日の一日が終わっていきます
数日つづいた強い風と雨でガラス窓が汚れていました。 今日はガラス窓をふきました。ガラス窓をみがきながら井上神父さまの言葉を思い出しました。 「私を見ているものは父を見ているのだ」とイエスさまは仰いました。ガラス窓を見ているときはガラス窓を見ているわけですけれども、しかし同時に外の光を見ているのです。外の光を部屋の中に入れているのはガラス窓です。窓ガラスが壊れなければ外を吹いているそよ風が部屋の中には入ってこないように、イエスさまがご自分をこわしてくださらなければ、十字架上で死んでくださらなければ「アッバの息吹」「おみ風さま」が私たちを暖かく包み込んでくださることは無かったのです。それがイエスさまの深い深い十字架の死の意味だったのです。 いま、また雨が降り出しました 「人恋しいのです」 水曜日の祈祷会に数年ぶりにきた青年がそうつぶやいたそうです。病弱の彼は母と二人きりで誰にも会うことなく生活しているのだと。数年前までは礼拝の賛美リードをしていました。子供たちの教師もしていました。奉仕をしていなければ教会に居場所がなくなると思ってのことだったのだと。 そして他の方々の立派?なお祈りを聞いているうちにだんだん辛くなってきたのだと。 帰り際の彼に会いました。びっくりするほど痩せていました。苦悩がにじみ出ていました。 教会に来ることができて良かったね。 教会に居場所がないという言葉を耳にすることがある 私もそう思ったことがあった。 互いに愛し合いなさいとイエスさまは言われました 居場所・・・・・みんな求めているよね。 彼に短いハガキを書きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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