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2009年06月27日
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カテゴリ:神の心 親の心
十戒とは、それまで雷とか自然現象を通して現れていた神が
初めて、人類に言葉で表した戒めである
モーセを通して与えられた(今から3600年前のことである)

それまでは言葉の戒めは無かったのであり、例えば殺人は当たり前のことであった


(1)私は神である エホバ以外の神々を信仰してはいけない
(2)偶像崇拝をしてはいけない、
(3)神の名をみだりによんではいけない、
(4)安息日をまもらなくてはいけない、
(5)父と母をうやまえ、
(6)殺してはならない、
(7)姦淫(かんいん)してはならない、
(8)ぬすんではならない、
(9)偽証してはならない、
(10)隣人の財産や妻を欲してはならない

以上が、歴史上初めて3600年前に神から与えられた言葉、倫理、真理である

1:は様々な神が居たが、エホバ以外神としてはならないと一神教であることを
明確に訴えた
神は唯一であり他のものは神によって造られたものである

これは存在論の観点から言っても至極当然のことである
ブログの始めの方に書きましたが、究極的に原因が一つであることは自明の理であり
それ以外に存在することはできない

2:偶像礼拝を禁じているが、多少は必ず偶像礼拝的になってしまうのは仕方ない

全くの無であったら存在を感じにくいので、何か象徴的なものを仮に神とするのだ
例えばキリスト教の十字架は明らかに偶像だと思う
神道の鏡など所謂三種の神器
仏教の釈迦像等菩薩像 これらは言えばみんな偶像である

3:神の名をやたら呼んではいけないと言うのは、明確に真理を知らずにやたら神を
呼ぶとうるさいし煩わしいと言うのだ

神を呼ぶためにはそれなりの知識と礼儀が必要と言うことだろう
神に対応する者として、神官職が出てきた
神官職第一号は、モーセに言葉の点で協力したアロン(モーセの兄)である
現代ではローマ法王とか、日本の天皇とか、広くは牧師なども神官職である

4:安息日を守れとは、7日に一日は休みなさいという意味です
正月の一日から日本では店を開いていますが、こんな事は信仰の世界では考えられない
たとえばアフリカとか南米の貧しい国々では、土曜日午後から日曜日は完全に休み
皆着飾って礼拝にでかける

日本では、仕事と休みのけじめが無いが、信仰深い国から見ると、
なんと日本はデタラメな国だろうと思えるのだ
経済は優秀であるが、精神面は野獣並みと思われている
子が親を殺したり、子が親を殺した日本のニュースは一番に報道され
日本はなんとい野蛮な国だろうと思われている

1~4番までが、所謂神についての戒めで
5番からは、一般的な戒め
親を尊べ、盗むな、殺すな、姦淫するな、偽証するな他の家のものを欲しがるな は
現代では常識であるが、当時としては倫理的には、画期的な観点であったと思われる
また所謂刑現代の刑法の基本でもある

刑法の基本とは現代人もこの問題で悩んでいるし、
この種の罪を絶えず犯しているということである

ひとは神から離れたが故に、
神を知らず、親を尊べず、殺し、姦淫し、盗みそして、嘘を言っている

姦淫とは不倫のことであるが、不倫が罪だと思っていない人も多いのが現状である
3600年前の倫理観にも劣っている現代人がなんと多いことでしょう

親を尊敬し無ければならない理由が分からないとか
盗んでも罪意識無し、とくにえらい人に多いように思う
金を儲けるためには嘘(騙し)は当たり前の時代
殺人が何故悪いか分からない人も居る

このことをみても人類は神から離れ、罪に悩んでいる存在であると分かる
神に帰らないとならない、いやホント

さてモーセがシナイの山で40日断食後、
神から十戒を与えられ、その十戒を携えて山を下りると
イスラエル民衆は
「モーセは40日もどこに行ったのか?
我々を捨てて逃げたのではないか?
新しい神を造ってエジプトに帰ろう」

と言い、アロンを責めて金の牛像を造り騒いでいた
モーセはその民の不信仰を見て怒り、
「僅かの間にも神を信ずることは出来ないのか」と言って
いまからでも信ずるものはこの蛇を仰ぎ見よと言いながら
40日断食に後神から授かった十戒の石版を民に向かって投げつけた

そうすると地面が割れ
騒いでいた者でモーセが上げた青銅の蛇を仰ぎ見ない者達は
その地割れの底に墜ちていった

この蛇を象徴するのが神社の鳥居に掛けられるしめ縄である

であるから神社の赤い鳥居をくぐる時、
過ぎ超しの時の赤い羊の血の印で許された恵みと
十戒の時の青銅の蛇を仰ぎ見て許された恵みを受けるのである

しめ縄のある赤い鳥居をくぐると言うことは
即ち、神の側に付いているという証であり、それが故に受ける神の許しを
象徴しているのである
即ちイスラエルの民の歴史を追体験しているのである
日本民族は知らずうちにイスラエルの歴史を辿っているのである

またイエスが十字架に掛かりその姿を見上げる者は救われるという
キリスト教の原型がこの上げられた青銅の蛇である

やがて来る救い主イエスも民が不信仰するならば
イエスは打たれその十字架を信ずる者は霊的な許しを受けるという意味が込められている

モーセは再び40日断食をし、再び十戒の書かれた石盤を神から授かる

そうしてこの石盤を中心に幕屋理想が完成するのである
幕屋とは移動神殿であり
一人でも幕屋に対して信仰を持つならば、そのことを条件に神が働くのである

多くの奇跡を示しながらも困難に遭うとすぐに神を不信する
民を導く道具を神は与えたのである

幕屋の中心にこの十戒の石版と
出エジプトの時に多くの奇跡を起こしたアロンの杖
神が与えた霊的な食べ物マナを入れた金の壺

の三つが供えられた

石版が鏡に
杖が剣に
金の壺が曲玉に
変ってはいるが

神道の三種の神器は幕屋の神器と同じであると言える
またイスラエルが砂漠を移動する時には

これらの神器は御輿に入れられヤコブの12氏族を代表する若者によって担がれた
これを契約の箱といい、アークとも言われて世界的に其の所在が今も探されている

神道の御輿、京都の祇園祭りの山車はこの契約の箱を象徴したものである

祇園祭りの山車には砂漠の絵が描かれているそんお

イスラエルの12部族の内失われた10部族が
当方に逃れ、信仰の伝統を伝えたと思われる
12部族に一つカド族の子孫が旧日本に流れ着き統治し大和朝廷を築いたと類推できる
文化の流れ、伝統の保存などから間違いないことだと思われる

何故急に大和朝廷が造られたか?
神道が何故信奉されたか?
神道とイスラエルは何故共通項目が多いのか?
天皇家をミカドと言い、ダビデの星が三種の神器に刻まれてさえいる
カド族子孫がそうした文化を日本に持ってきたとしか考えざるを得ない
















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Last updated  2009年06月27日 12時05分11秒
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