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在宅なんだけど
暇で暇で‥ 上司には伝えてあって 仕事があれば、回してくれる事になってはいる。 だがしかし お盆だしね~ 上司は休み。 暇な日は休めれば良いんだが 全部休んだら 生活出来ない。 フルタイムの派遣契約なんだから 仕事が足りないのは派遣先の問題。 待機も仕事のうち。 上司も派遣元の営業さんも そう言ってくれているとは言え、 マウスジグラーは性に合わない。 せっかくの機会なんだから 勉強に使おう と思いながら、つい靴下を編んでしまう。 時間割作った方が良いな 靴下、勉強、その他 とかで。 台風は本当に 強いままで来るんだろうか。 地震は来ないで欲しい。 予行演習のままで いつまでも本番が来ない事 それがみんなの願いだ。 「揺れるって始めからわかってる場所に色々作って それで『揺れる揺れる』って騒いでるんだから 馬鹿みたいだよねぇ 私たち。」 日曜に母にそう話した。 地球は何も意地悪をしようというのではなく ただ、気にしていないだけだ。 私たちが時々、家に入って来た虫を 「スマン(-人-)」と思いながら潰す様に。 地球には地球の営みがあり 邪魔な時は潰されてしまう事もある。 安全な場所 もあるかもしれないが 安全な場所に家があったとしても 災害が起きた時間や曜日によって 居場所は変わる。 311の時は たまたま家にいたから すぐに子供たちを迎えに行けた。 都内で働いていたママさん達は 歩いて帰って来た。 中学生以下の子供がいて連絡もつかないのに 「帰らない」って選択が出来る親なんていないだろう。 バラバラの場所で、でも自宅からそう遠くない場所に居た子供たちを無事回収し、軽い家具はみんな倒れてしまった自宅を放置して、近所のスーパーのフードコートで夕飯を食べ、スーパーのそばで車のガソリンを満タンにして帰った。たまたまその日が休みだったから出来た事だ。もしあの時の職場の築地にいたら、帰って来るのに数時間かかってしまっだろう。 その後も余震が続いたが、「倒れる家具を置かない部屋を一つ作る」と決めていたので、その部屋でみんなで寝ながら過ごした。そう決めていたのは、長女が生まれた次の年に 阪神淡路があったからだ。 テレビの前で寝ていた子供が亡くなってしまった辛い ニュースが、ずっと心に残っている。 阪神淡路は早朝。311は確か15時前だった。 阪神淡路(1995)から 来年で30年。 311からは あれは2011年だから13年たった。 新潟や北海道でも地震があった。 今回、一番近いのは 能登の地震か。 連動はあるんだろうけど それが10年後なのか 明日なのか 結局わかる事はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.14 17:43:49
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