祖母と母と梅干しと
祖母の梅干しは赤かった。
高校の家庭科で、先生が「赤い梅干しは合成着色料の塊」とか言ったことがあった。翌日、祖母の梅干しを「無添加です」と持って行って「赤くて美味しい」と言わしめた。
母は、2回ほど祖母と一緒に梅干しを作った。母のは、あまり赤くなかった。
「色を出せへん人がおる。『手が嫌う』んや」
祖母は蔑むように言っていた。母はやらなくなった。
祖母の梅酒は大好きだった。
梅干しは、身体のために食べなきゃと思いながらも、子どもには酸っぱくてキツかった。でも美味しいと思っていた。
梅酒作りは手伝っていたのだろう、祖母のレシピで何度も作っている。
梅干しは、作る手順も祖母のレシピも分からない。
今夏は初めて梅干しを作ってみよう!という気になった。なんとなく。
母に似て手が嫌うのだろうか、祖母に似て赤く仕上がるのだろうか。
手順や分量をいろいろ調べながら、祖母と母が蘇る。
母も、姑に付き合ってあげているのに『手が嫌う』と言われてはゲンナリだったろう。あの時の母の年齢を越えて思う。
そして祖母の梅干しを私が手伝わなかったのは、、、味ではなく、「あんたも『手が嫌う』やね」と言われるのが怖かったんだ。梅干しを作ろうと思い立った今年、やっと気が付けた。
父の暴力、母のネグレクト。祖母は家庭内の支えだった。
祖母に「あんたも『手が嫌う』やね」と見捨てられるのは、凄まじい恐怖だった。凄まじいため抑圧したのだろう、自覚してなかった。そして見捨てられないために、梅干し作りを手伝うより、梅干し作りも梅干しそのものも回避したのだろう。
子どもなりに自分を守ったら、そうなった。
祖母は「母の手が嫌う」と言わず、「おばあちゃんは梅干しの名人」と言っていれば良かった。
そうすれば母も、祖母のように作れるよう頑張っただろう。私も、祖母の梅干しを誇りにし、手順やレシピを受け継いだだろう。
今となっては、祖母のレシピを知るすべはない。
昨夏、10年ぶりに梅仕事した。
梅シロップ作りに初挑戦。しかも使ったのは黒酢。レシピもないまま悩みながら作ったところ、思いのほか美味しかった。
家人が、お風呂上がりに喜んで飲んでいるのが嬉しかった。「ほんとに美味しい?」何度も何度も尋ねた。
今日は、母の命日。
普通の家庭なら、こないだのGWで三回忌を執り行い、父や妹たちと母を偲んで、喪の作業をするのだろう。
うちの場合、世間様のような三回忌では、やる必要も意味もない。それだけに一層、私なりの喪の作業をやる必要がある。
既製品では私に合わない。オリジナルを作らなくちゃ…。
昨夏の10年ぶり梅仕事は、私なりの喪の作業だったのかも。
祖母に教わった梅酒ではなかった。ネットにレシピがある梅サワーシロップでもなかった。好きな黒酢を使って、オリジナルの梅黒酢シロップに挑戦。
他界直後の一昨年。葬式に行けず帰省もできず、父や妹たちとの感情共有もなく。喪の作業は意識して、福島の東北六魂祭という鎮魂祭に1人で足を運んだ。
昨夏は、唐突に梅を漬けた。喪の作業とは私自身も気付かないまま、1人で。だから家人の「美味しい」という共有が、嬉しかったのだろう。
今夏は、昨年同様に梅黒酢シロップを漬ける。更に、祖母の梅干しとは違う「かつお梅」にもチャレンジしようと思っている。家人は昔から酸っぱいのが苦手で、かつお梅なら食べれる。
オリジナルで喪の作業を作る所から始めるのかと思っていた。もうあった。なんだ。
辛い記憶や痛みを伴う感情を、自分で引き出して、整理して、捨てたり片付け直したり。こんな作業を少しずつ自力で。
赤い色を出す紫蘇に「蘇」の文字。記憶や感情と併せて、私自身も蘇っていく。
梅仕事という喪の作業は美味しい。