テーマ:フラッシュバック(9)
カテゴリ:記憶
西日本豪雨災害では、長良川も堤防ひたひたまで増水していた。
昭和51年(小学2年生)の台風17号で長良川堤防が決壊したことを、まざまざ思い出した。 それがあり、昭和33年の伊勢湾台風被害の様子を、社会科で聞き取ったりもした。 災害の危機的状況の恐怖感に、故郷の増水した長良川の風景がテレビに流れて、自分の中で重なった。 そのことでフラッシュバックを起こしていた。 ここから7/12未明のツイート。 子供の頃、夏は長良川で遊んでた。小学校に上がる前は、たまに父が一緒だった。母と来ることはなかった。上がってからは、夏休みにプールに行くとハンコを押してもらえるので毎日プールに通いつつ、1人で川で遊ぶことも多かったよう。それだけ家と川が近かった。良く事故にならなかったなあ。 河原にバスタオルを置いて、じゃぶじゃぶ川に入る。泳ぐというより、単に浮かぶ。そのまま下流にぼへーっと流れていく。気持ちいい。200メートルか300メートル流れた辺りで、川を出て、さっきバスタオルを置いた所まで戻る。そしてまた川に入ってぼへーっと流れていく。そんな繰り返し。 さっき突然に、川を流れていく感覚をフラッシュバック。すっかり忘れてた。フラッシュバックが強烈すぎて、今まさに川を流れているみたいで、気持ちいい。どんどんいろんな記憶が蘇る。 対岸まで行けるようになったのは、学校に上がってからだった。幼稚園の時は、頑張ったけどムリだった。学校に上がってすぐの頃は、川の中程では足が立たず、泳いで渡った。もう少し大きくなると、歩いて渡れるようになった。 いつも泳ぐ辺りより少し上流に大岩があった。その大岩と長良橋の下では泳がないように。どこの子か知らない少し大きいお兄ちゃんに言われた。そこでは、溺れて死んだ人が仲間入りさせようと引きずり込むからと。毎年死者はいた。その大岩での事故が多く、基本的によそ者の高校・大学・若い社会人の男性だった。 1人でふらっと川へ行って、そこにいる知らない子と一緒に遊んだり、1人で川流れをしてたっぽい。家から水着で行って、バスタオルだけ持って行ってたよう。今の今まで覚えてなかった。 浅瀬に石で囲って、掘って、水たまりのようなものを作った。水が流れ込まないようにして、太陽熱でほんのりぬるくなる。冷え切った身体を、そんなふうに温めた。そういうのを何人かで一緒に作った覚えがあるけど、友達と川に行った覚えはない。知らない子同士で作っていたっぽい。 学校に上がってからは、ずっと学校のプールだと思ってた。ハンコは全部押してあったはず。対岸に行けた記憶で、学校に上がってからも川で遊んでいたことが判って嬉しい。一級河川でダムがないのは長良川だけと聞いた。これだけきれいな水で泳げる川は他にないとも聞いた。贅沢だった。 ツイート引用ここまで。 フラッシュバックを起こしていたと自覚できたのは、数日経ってからだった。辛い苦しい記憶ではなかったので、なかなか気が付かなかった。 けれど内容は、これまでずっと解離性健忘で全く思い出せなかった事だった。それだけに、封印してきた蓋をどけるのにもエネルギーを使い、そして記憶が勢いよく噴出したことでもエネルギーを消耗した。 そんなこんなで、もうずっと寝込んでいる。畑や買い物などの外出どころか、庭の水やりさえできない。クーラーのあるリビングで終日横になっているだけ。洗濯も掃除も炊事も、もうずっと何もやれてない。 情けない…。 思い出した記憶を、整理して片付け直そう。それもまたエネルギーを使う作業。 きっと、もう帰れない故郷。 こんなにも大切だった。 それを知らないでいるより、思い出せて良かった。辛いけれど。 今日のツイート引用。 目をつむると故郷。堤防から下りる長い坂道。公民館で左に曲がり、次の角で右。そこから少しでうち。ずっと先は行き止まり。うちの前はぶどう棚。仰ぎ見る金華山。毎日見慣れていた当たり前の風景。 目を開けても、思い出の中。風景を消せない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/07/20 03:00:09 AM
コメント(0) | コメントを書く
[記憶] カテゴリの最新記事
|
|