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ある吟遊詩人さんに恋に落ちた。 その方がこよなく愛されるアイルランドにちなんで、愛さんと仮称しよう。 昨年2022年12月24日、クリスマスイヴ。 クリスマスとは何の関係もなく、玄関のシューズボックスをDIYしていた。 一瞬、何かが視えた。 思わず、一緒にいた主人に、 「今、ちょうちょ、おった?!」 と聞いてしまう程だった。 真冬の屋外に蝶がいるはずもないのに。 蝶に見まがうような、けれど蝶ではなかった。 すらりと伸びた長い手足、ピンと細長い羽根。 もしや、妖精? 髪は琥珀色。くるくるくしゃくしゃな天パで、肩より少し長いくらい。 羽根も薄い琥珀色。蝶のようなふっくら大きな羽根ではなく、トンボよりもう少し丸みがあるぐらいの細長さ。 服も琥珀色。一瞬でよく見えなかったけど、厳寒期に薄着で、しかも半袖かノースリーブだった。 その少し前から、愛さんのスペースにハマっていた。 初めて感じた妖精の気配に驚いたけれど、きっと愛さんがらみだろう。 愛さんは、その12月は確か、ほぼ毎日スペースを配信されていた。毎回楽しみに聴いていた。その時、その妖精さんも一緒に聴いていた。 腹ばいで、両手で頬杖ついて、どんぐりまなこをきらきらさせて、満面の笑みで、足はぶらぶら時々ぱたぱた。 幸せそうな様子に、こちらも幸せになる。 私は愛さんに会ったこともないし、スペースにハマったのも割と最近。 きっとこの妖精さんは、ずっともう何年も、愛さんの竪琴や語りを聴いているんだろうな。 愛さんのこと、大好きなんだろうな。 この彼を、なんて呼んだらいいんだろう。 「琥珀」のアイルランド語で呼びたかった。ネットの翻訳サイトで調べた。スペルはómraと分かったものの、発音が分からない。 仕方ない。琥珀色からイメージした蜂蜜にちなみ、蜂蜜酒の「ミード」と呼ぶことにした。 そんなふうに幸せで不思議な日々が何日か続く間に、私は愛さんの御著書一冊をネットで購入した。もう一冊はネットで購入できず、出掛けた時にでも書店に立ち寄って注文することにした。 そう決めた翌日、ミードの気配がなくなった。いなくなった、愛さんの所に帰った、と感じた。 さすが愛さん、妖精さんに営業させてるのかw いやいやミードの自主的なボランティアだったのかなw そんな不思議な出来事が、あたたかくて嬉しくて、お伝えしたくなった。 でも、頭おかしいと思われるかもしれない。 迷った。 匿名でメッセージを送れるサービスを利用した。 ほめことばでないものをお届けして心苦しくて、お気遣い頂いた気もしながら、受け止めて頂けたのが嬉しかった。 スペースを聴いてる時のミードを、写真や動画で残したかった。けれど、映るはずもない。 これも悩んで迷って、スケッチブックと色鉛筆を用意してみた。 コンプレックスになるほど絵が描けない私に、描けるだろうか。でも、それしかミードを残す術がない。 精一杯頑張った。 全身は描けなかったけど、特に残しておきたかった表情が、思ったより描けた。嬉しかった。 主人が「え?絵を描けたの?ずっと描けないって言ってたのに。上手に描けてるじゃん」と驚いていた。 もしかしたら、ね、ミードがそっと手伝ってくれたのかもしれない、なんてね。 昔のこと。 高崎吉徳さんという方に、そしておかざきじゅんこさんという方に、ものすごくお世話になった。今はどちらも故人。 クリスチャンのおかざきさんに、何かの時にふと、こぼしたことがあった。 「私は、マグダラのマリアのような存在です」 「え、えっと…その、どういうニュアンスで?」 「穢れきった娼婦…イエスに救われるまでは」 おかざきさんは少し悩まれて、それから、こんなふうに仰った。 「あなたは、いつもイエスの一番そばで話を聞いて、一言も聞き逃すまいとして、イエスを一番に理解していた、一番弟子のペトロだと思いますよ(^^)」 あっ…。自分でもその時、高崎さんの一番そばで一言も聞き逃すまいと、ああ、そうかもしれないなんて思って、でもそれはうぬぼれだとも思ったのだけれど、そしたら、おかざきさんはにっこり微笑んで頷かれたんだった。 ミードを描きながら、おかざきさんや高崎さんを思い返していた。それもまた幸せな時間だった。
そう言えば、愛さんが仰るには、妖精さんは亡くなった方の魂だったりもするそうな。 そうして今から思えば、私は愛さんの言葉もまた一字一句漏らすまいとしていたのだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023/08/15 10:55:26 PM
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