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Heart of Life

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sw-monju

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February 2, 2005
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『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』と呼ばれるシヴァの112の瞑想を集大成した書物があって、OSHOはかつて、このすべての112のメソッドについて、細やかな解説を加える一連の講話を行ったことがあります。日本でも全10巻にわたるこの講話の邦訳が刊行されていて、具体的な瞑想法に関心を持たれる方には、すぐれて興味深い読み物となっています。

特に第四巻の『沈黙と音』と題されるシリーズには、音と沈黙にまつわる瞑想法が収録されていますので、サウンドを用いた瞑想を深めたいと思われる方にはお勧めの一冊となっています。

OSHOは、人間の世界を構成しているのは言葉を高度に編み込んだ思想、科学、宗教などであるけれども、この基盤を為す言葉の下方には“音”があると述べています。そしてさらにその“音”の下方には、フィーリング、感触の世界があるが、人はそうした次元から遠く切り離されてしまっていると……

音が土台となって言葉が編まれ、その言葉が思考を生みだし、そのまた思考が科学、宗教など様々な文化と呼ばれる現象を形成してゆくわけですが、この逆の道筋を辿ることができれば、音の下方へと降りてゆき、存在の根源的な次元へと入ってゆくことができると語ります……

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音の上にはことばが、思考が、哲学がある
音の下にはフィーリングがある
フィーリングの下に達することができなければ
こころの下に達することはできない
この世界全体は音に満ちている
人間の世界だけがことばに満ちている。
ことばを使えない子どもたちでさえ音を使う
実際、言語というものは
世界中の子どもがみな用いている特定の音によって
かたちづくられている

(OSHO 『音と沈黙』より)

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最近、話題となっている『なぜ怪獣の名はガギグゲゴなのか』という新書には、子どもたちが発する音が基本となって、さまざまな言葉が生まれてくるプロセスが、きわめて独創性に溢れる視点から究明されており、楽しい読み物となっています。母音や子音を発音する際に、どのように口腔が開いたり、閉じたり、すぼんだりするのか、あるいは空気の圧縮や解放のプロセスが、身体レベルでどのような感触をもたらすのかといった、幼児が発する基本音と身体感覚の関係にまつわるパイオニア的な研究がなされていますので、一読を勧めたい本のひとつです。

さて、音のはるか下方にある、第五身体レベルの精妙な波動は、犬や猫や白クマやカバたちによって理解されうるということですが、上記の講話の中で、OSHO は、ある詩人が書いた文章を引用しながら、ひとつのエピソードを紹介しています……馬と子どもだったころの詩人との間で起こったコミュニケーションの物語ですが、こうした精妙なレベルとのコンタクトがどれほどデリケートなものであるかがうかがえます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

私はあるドイツ詩人の本を読んでいた
彼は自分の子ども時代の出来事について語っている
彼の父親は馬の愛好家だった
それで家の馬屋にはたくさんの馬がいた
だが父親は子どもを馬屋に近づけなかった
子どもがまだ小さかったので危険だと思ったのだ
だが、父親がいないとき
子どもはときどき馬屋に忍び込んだ
そこには友達がいた、一匹の馬だった
子どもが入り込むたびに、馬はある音を立てた

そして詩人は書いている……
「私もまた馬とともに音を立てはじめた
 なぜなら、言語の可能性がまったくなかったからだ
 そして馬とのコミュニケーションのなかで
 私は初めて“音”というものに気づくようになった
 ……その美しさ、その感覚に」

人間が相手だったら、それに気づくのは不可能だ
人間は死んでいる、馬はもっと生きている
そして馬には言語がない、純粋な音がある
馬はハートによって満たされている
頭(マインド)によってではない

詩人は思い出す……
「初めて私は音の美しさ、音の意味に気づいた
 それは言葉や思念における意味ではなく
 フィーリングに満ちた意味だ」

もし他の誰かがそこにいたら
馬はその音を立てない
すると子どもにはわかる
馬はこう言おうとしている……
「入っちゃだめ、人がここにいる、お父さんに叱られる」
誰もいないときには、馬はその音を立てる
「入っておいで、誰もいないよ」

詩人は思い出す……

「それは共謀だった、馬は私を大いに助けてくれた
 それから私は中に入って馬をなでる
 それが気に入ると、馬は頭を一定の仕草で動かす
 気に入らなければ、その仕草では頭を動かさない
 気に入ったときには、馬はそれを表現する
 そうでないときには、その仕草では動かない」

詩人は言う……
「それは数年続いた
 私はそこに通っては馬をなでた
 その愛の深さは
 他の誰にもけっして感じたことがないほどだった
 ところがある日のこと、私が馬の首を叩き
 馬が恍惚してそれを楽しみ、頭を動かしていたとき
 突然、私は初めて自分の手を意識した
 ……自分が叩いているということを
 すると、馬は動きを止めた 
 馬はもう首を動かさなくなった」

詩人は言う……
「それから何年もあいだ、私は試しつづけた
 だが何の反応もなかった
 馬はもう答えようとしなかった
 後になって、初めてきづいたのだが……
 自分の手と自分自身を意識したせいで
 エゴが入り込み、コミュニケーションが壊れたのだ
 もう二度と再び
 馬とのあのコミュニケーションは回復できなかった」

いったいどうしたことだろう
以前はフィーリングのコミュニケーションだった
ところが、エゴが顕われたとたん
言語が顕われたとたん
思念が顕われたとたん
位相が完全に変化する
つまり彼は、音の上方へ移ってしまった
以前、彼は音の下方にいた
音の下方にいれば、音はフィーリングとなる
フィーリングなら、馬も理解できた
だがもはや理解できない
それでコミュニケーションが壊れてしまった
詩人は何度も何度も試みた
だが、努力したところで、うまくはゆかない
なぜなら、その努力自体がエゴの努力だからだ





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Last updated  February 2, 2005 11:43:27 PM


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sw-monju@ 加藤さん  abiさん面識があるんだね。『この世とあ…
abhi@ Re:この世とあの世の風通し(09/21) あびです。僕は加藤清さんとは面識があり…
sw-monju@ はじめまして セレニティさん、こんにちわ。書き込み、…
せれにてぃ@ 私もちょうど はじめまして。 リンクのリンクのリンク…
カイロ@ Re[5]:長くなりました。(12/02) お返事ありがとうございます。 サイレン…

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