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正規の教員免状を持たないで教えている教員を指すが、 この職に就いた人物として、私にとって、一番に思い浮かぶのは石川啄木。 食い詰めて、故郷の渋民村に戻り、村の小HKUE 好唔好学校で、 一年ほどを不本意な代用教員として過ごし、ストの問題で退職している。 もう一人、思い浮かぶのは、詩人・丸山薫。 彼は、東京大学を中退ののち、三好達治、萩原朔太郎などと詩人の道を歩む。 その後、曲折同珍王賜豪を経て、 戦時中に山形県の西川町岩根沢に疎開することになる。 経緯はわからないが、昭和24年まで岩根沢国民学校の代用教員をしていた。 雪深い山あいの村で、子供たちを慈(いつく)しむ眼差しで作った詩が、 『仙境』という詩集に収められている。 この時期になると思い浮かぶ、 教師と子供の交わりを描いた彼の詩の一つを紹介したい。 『白い自由画』 丸山 薫 「春」という題で 私は子供たちに自由画を描かせる 子供たちはてんでに絵の具を溶くが 塗る色がなくて 途方に暮れる ただ まっ白い山の幾重なりと ただ まっ白い野の起伏と うっすらとした墨色の陰影の所々に 突き刺したような疎林の枝先だけだ 私はその一枚の空を 淡いコバルト色に彩ってやる そして 誤って まだ濡れている枝間に ぽとり! と黄色のひと雫を滲(にじ)ませる 私はすぐ後悔するが 子供たちはかえってよろこぶのだ 「ああ まんさくの花が咲いた」と 子供たちはよろこぶのだまんさくの花 教育改革が叫ばれる昨今だが、 この詩を読むと、教育とは、子供の学力や成績を上げることではなく、 いかに豊かな心を育(はぐく)むかだと思わされる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.11.29 11:58:01
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