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本書『役小角読本』を検索でヒットした時には、まだまだ役行者関連本は出てくるだろうなと改めて感じました。
本書はこれまで読んできた役行者の学術本とは視点が少し異なっていました。 著者の主張によると、彼に関して史実として記されているのは「続日本紀」と「日本霊異記」のみであろうということで、この2冊に絞って彼はどういう人物だったのかということを論述しています。 そこから見えてくる役行者の姿は「仏教者」ではないということ。 彼は道教や神仙道を生涯取り入れていたのではないかというものでした。 その根拠を本書では記している訳です。 例えば、呪術といわれるものを役行者は操っていたと言われていますが、これも中国で伝わっている道教や神仙道の書物からどのようなものであったのかということを解きほぐしていきます。 そうなると、これらが荒唐無稽ではないということが明らかになってきます。 例えば呪禁などの術は中国の書物から読み解くと、とってもおおざっぱになりますが、今で言うところの「気功(呼吸法)」ということのようです。 それらを自らも行いますし、庶民にも伝えて病気を軽減させていたようです。 また道教や神仙道には役行者の時代よりも前に製薬技術が記されていたようですし、役行者がそれらの書物を読んでいたとしたら、日本で最初の和漢薬を創ったということも決して不思議ではありません。 そうそう、「空を飛ぶ」ということはどういうことだったかということも記されていました。 本書を読んでかなり腑に落ちるところがありました。 と同時に、やはり私は密教も取り込んでいたのではないかと思います。 本書では彼は孔雀明王法の呪術を操っていたということに関しては、それは後からの仏教者による創作としていますが、私が読んだ別の本では、「密教」は空海、最澄が日本にもたらしたとあるが、それ以前に本当に日本には全く密教が入ってこなかったかと言えばありえないということを記しております。 その本では、大陸から仏教をはじめとする文化が伝来し始めた時に同時に密教は「小密教」という形で入って来ていたのではないかということでした。 密教を確立したのは空海と最澄でしょうが、それまでも密教らしきものは日本に伝来してきて、役行者だけでなく、それぞれの地域で修行者が取り入れていたのではないかと私も思っています。 確かに本書を読むと、役行者は主に道教や神仙道を取り入れていたんだろうと思います。 しかし、それだけではなく、様々な大陸から伝わった「信仰」的なものを取り入れ、自分なりに解釈して修行に励んでいたのが役行者ではないかと思いました。 なぜなら、彼の時代よりも以前から日本は大陸のものを受け入れ、自分が今持っているものとアレンジして日本独自の文化を創っていくのが得意な国ですので(笑)。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月26日 07時00分13秒
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