カテゴリ:サンダー・シング
六、「長期間、人間と暮らしていた鳥や獣が仲間の元に戻ると、仲間は迎えるどころか猛攻撃を加えて死に至らしめることがある。長期間人と暮らし、慣れ親しんできたがために、生活習慣、方法が完全に変化してしまったからである。動物ですら、人間から感化された仲間を群れに加えることを許されないなら、邪悪な者たちと慣れ親しんできた罪人たちを、どうして天の聖徒や天使たちが迎え入れることができよう。これは聖徒たち、天使たちが罪人への愛をもたないという意味ではない。天の聖なる空気そのものが、このような人々にとって苦々しいものとなるのである。この世において罪人たちが善人たちの仲間を嫌う事が明らかなのに、彼らがその仲間に入って永遠に幸せでいられるであろうか。彼らにとってはこのしゅの天界は地獄そのものと同じほど苦しいものなのである。 神または神の民が、罪人たちを天界から締め出し地獄に突き落とすなどと思ってはならない。愛である神は誰一人地獄に落とし給わない。永遠にそうである。自らを地獄に突き落とすのは罪人自身の誤った生活である。生が終わり天界と地獄がせまってくるはるか以前に善悪の性質に応じて各人の心の中で自分自身の天界か地獄が形作られている。それゆえ、あの永遠の苦しみから救われたいと切に望むものは、心底悔いて心をわたしに明け渡すがよい。わが現存と聖霊の働きによって永遠に神のみ国の子供となるためである。」
七、「この世の王や政府に反逆する者は国外に逃亡すれば助かるが、はたして神に反逆する者に逃避所があるであろうか。彼が行くところ、たとい黄泉でも天界でも神が遍在することを彼は知る。人は悔い改めと神への屈服のみ安全を見る。」
八、「アダムとイブにとってイチジクの葉は体を覆うのにはあまりにも薄すぎたため、神は二人に皮の覆いをお与えになった。それと同じく、人間の善行も、神の御不興から身を救うにはイチジクの葉ほどの効果もない。わが義の衣をおいてほか、何一つ救いに足るものはないのである。」
九、「蛾は、炎の焼き尽くす力も考えずに、明るさだけに魅せられて炎に飛び込みいのちを失う。それと同じく、人もまた罪の恐るべき破壊力を考えず、偽りの光ばかりに幻惑されて永遠の滅びへ突き進む。だが、わが光は罪人を死から救い、彼に生命と絶えることなき幸せをもたらす。人は、わがまことの光という尊い賜物を受けられるように創造されているのである。」
十、「罪は幻影でも想像の産物でもない。このような霊的暗黒状態で、人間の悪しき意志を働かせる事により、そのような生ける邪悪な種子が人の霊魂を損ない続け、ついにはそれを滅ぼすほどの存在と化しているのである。それは天然痘が瞬く間に人の容姿を損ない、不愉快きわまる醜さに変えてしまうのにも似ている。神は邪悪を造り給わなかったように、病も肉の痛みもお造りにならなかった。それは人間の不従順がもたらす当然の帰結にすぎない。痛みと病もまた想像の産物ではなく、それが個人の罪であれ、個人を一部とする家族の罪であれ、罪という目に見えない隠れた病が目に見える形に結果したものである。家族全員が悔い改め、わたしにつながれるならば、健康をもたらすわたしの血が全身を巡り、内に潜む目に見えない病をすべて癒し、永遠にわたり、彼らを健全にする。そのような健全な状態のため人は創造されたのである。主と共に幸せの中に永遠に生きられるために。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月14日 07時36分17秒
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