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イエスの喜びと満足のために☆

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2008年09月17日
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     「さて、過ぎ越しの祭りの前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移るご自分のときが来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食の時であった。すでに悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは父がすべてをご自分の手に委ねられたこと、また、ご自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それからたらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

                    (ヨハネ13:1~5)

 

   言(ことば)が肉体をとってくださったのは、私のくたびれた足を洗うためです。イエスは、私がまさに地面に触れるところに触れてくださいます。そこは、天に伸びているわたしの体と地面が接しるところ。主はひざまずき、私の足を手に取り、洗ってくださいます。そして主は、私を見上げ、目と目を合わせてこう言われます。  

  「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。・・・主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」

                (ヨハネ13:12~14)

 十字架を目ざし長く、、つらい旅を続けながら、その途上で隣人の足を洗うために立ち止らなければなりません。兄弟姉妹の前にひざまづき、その足を洗い、彼らの目を見つめるとき、私と共に歩んでくれる兄弟姉妹がいるからこそ、この私でさえも旅を続けられることに気づくのです。

 

  

    *☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*

  

   「 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで・・」

 という御言葉がある。

 私自身、イエスを見つめるということが、なんと漠然としてしたか、それはボーっと眺めていたに過ぎないということです。

 イエスの何を見つめるのか、そんなこと考えたことさえなかったのである。何にも考えず、ただ見ていれば、自動的にイエスに似る・・なんて考えていたかもしれない。

 でも思えば、いったいイエスのどこを見ているのかさえ分からない、焦点の定まらない見方は見ていないのと同じなのではないだろうかと気づかされた。

 この弟子の足を洗われたイエスを見つめる時、自分がどうあるべきかという模範を残してくださっている。もちろん、それを自分の力でやるなんてことじゃない。

 どういうお方として見つめ、イエスがなさったことを見て行うという、あの御父とイエスの関係に立つことだ。深い信頼に満ちたひとつさの中で、わたしをとおして行ってくださる方と共に行うことへ、足を踏み出してゆくことである。

 上記の御言葉の中に、「この上なく愛し抜かれた」と書かれている。弟子たちに注がれたイエスの愛、まったく同じ愛が私たちにも向けられていることを思うとき、胸が熱くなる。

 主は今日も私を、愛してくださるだけでなく、愛し抜いてくださるのである。

 また新改訳では、「その愛を残るところなく示された」とありました。

ご自分の中に何一つ残しておくことがないほど、愛してくださったのである。

 どのようにしてでしょう。地面に向かって身をかがめ、最も洗う必要のあるところに触れることを通して、、です。

 神であるお方が、この地上に来てくださったというへりくだった姿が、ここに現されています。私たちの目線よりも下に身をかがめただけでなく、最も汚れた足に手を触れ、洗ってくださった。これがいかに愛を現しているか、私はある出来事を通して知りました。

 まだ母が生きていた頃、統合失調症にボケも加わり、もう排便を自分でコントロールできなくなっていました。

 極度の便秘症で苦しんでいた母は、自分で知らないうちにかき出そうとします。

日曜日、いつものように訪れた私は、ふと何気なく母の手を見たとき、汚物にまみれた手で、食事を取ろうと席に着いた母を見て、一瞬、引いてしまった。

私は驚いて、「お母さん、手が汚れているから洗おうか」と声をかけたのですが、

「汚れてなんていない!」とむきになって怒り動こうとしませんでした。

 その時、何も言わずに、父は汚物にまみれた母の手をとり、黙ってきれいにふき取り、洗ってあげたのです。

 わたしは汚物にまみれた母の手に、すぐには手が伸びなかった自分の愛のなさを感じました。でも、父の姿にどれだけ母を愛しているかを感じさせられたのです。

 一番汚いところを洗ってあげる、それがどんなにすごいことかを感じさせられた出来事でした。

 何一つ自分の内に残しておくものがないほど、愛を示された主。

 それは徹底していて、完全なもの、身をかがめ、最も汚れたところに自分が汚れることなどお構いなしに触ってくださる手、

このイエスを見つめる時、完成者としての姿を垣間見るのです。イエスは私たちに模範を残されたのです。

 私たちがどのようにイエスに似るものとして召されているのか、このイエスを見つめるのです。余すところなく愛し抜かれるほど、愛する者へと変えられるために。

イエスとひとつであるということは、そのような方とひとつに結ばれたということです。

身をかがめ、兄弟姉妹の最も汚いところに手を伸ばされた方と共に、手を伸ばすものへとさせていただくことです。

 自分にはできませんが、内におられる方によって何でもできる者へと変えられた。

 

    イエスを見つめる、あなたはどんなイエスを見つめていますか?

 

                        

    

 






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最終更新日  2008年09月17日 08時34分32秒
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