カテゴリ:ブラザー・ローレンス
「敬虔な生涯」~ふだんの生活の中におられる神~より 祈りの時間は、他の時間と異なるはずだと考えるのは大きな自己欺瞞です。特別に時間を決めて祈る時と同じように活動の時間も、私たちは神と一つになるように求められているのです。祈りとは、ただ神の御前にあること、魂が愛のみに満たされることです。
今まで読んでみたいと思っていた本だったが、ようやく手にした。 この本を開いて読み進めるたびに、霊の内に流れ込んでくる豊かさに触れ、心が震える 喜びが沸々と溢れてきて,300年以上もの昔に書かれた本であることなど少しも感じさせられず、 神を愛する思いが、深い感動となって、内なる霊を引き上げる。 1691年ブラザー・ローレンスが召された後、彼の生き方に深い感銘を受けたヨセフ・ド・フォールが、記録された彼のわずかな談話と手紙とを集めて、彼の思い出と共に本として出されたものである。 「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」 御言葉の通り、時を経てなお、 「いのちはあなたがたのうちに働く」という豊かな実の味わいに与る。 葡萄の実を一口食べた瞬間に、葡萄の果汁が口いっぱいに広がるように、読むたびに、主イエスを愛する甘さが広がる。 ただ主を愛すること、そしてその純粋なまでに深く神を信頼しているその姿が光となって、いかに自分が主を愛していない者であるか、信頼のないものであるのかを思い知らされる。
「ある身分の高い人が、重病にかかっていたブラザー・ローレンスを見舞い、質問しました。もし神が、功績を増し加えるために、もう少し長生きさせることもできるし、あるいは、直ちに天国に迎えることもできる、どちらでもよい方法をとりなさいと言われたら、どちらを選びますか、という質問です。 よきブラザーは考える様子もなく、すぐに答えました。すなわち、その選択は神にお任せすること、そして自分としては神がみこころをお示しになるまで安らかに待たせていただくだけです。と答えたのです。」 安らかに待たせていただくだけです。・・・・ まるで、乳飲み子が母の腕の中で安心しているかのようです。 ローレンスが召される時に彼が語った最後の言葉をご紹介いたしましょう。
臨終の聖餐を彼が受けた後、ある兄弟が、今、何をしているか、心にあるものは何かたずねました。 「私は、今、」と答えました。 「永遠になし続けることをしています。神をほめ、賛美し、礼拝し、心を尽くして神を愛しています。他の何ものにも心を煩わさないで、神を礼拝し、神を愛すること、これが私たちのなすべき仕事のすべてですよ。兄弟たち」 これがブラザー・ローレンスの最後の言葉でした。その少し後、いつもと変わらぬ平安と静けさに満たされて召されてゆきました。
「敬虔な生涯」~ふだんの中におられる神~ http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourage26.html http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourage25.html
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