|
『やあちゃんばあちゃんの石ころ人生』第2章 ~その18~
著:河上八千代
※ 前回からの続き
私は子どもの頃から人前では滅多に泣かない人でしたが、教会ではよく泣きました。安心して泣きました。だから家に帰ったら、家では泣きませんでした。私が泣いたりしたらみんなが心配しますからね。だからいつもポケットに目薬を入れていて、不覚にも涙が出た時には「今、目薬を入れたところ・・・」とか言ってごまかしていました。バレてたと思うけど・・・。
こうして教会には毎日行くことはなくなりましたが、日曜ごとの礼拝には必ず出席するようになりました。講壇から語られる牧師先生のメッセージが私の心にぐんぐん入ってきて、本当に今までの自分の人生がピント外れで、神様の教えよりも自分の考えに一生懸命努力していたことが分かりました。
牧師先生が「河上さんはまるで砂が水を吸うように聖書の教えを理解していかれますね」と言って下さいましたが、これもまた、聖書の中に書かれている、イスラエルのダビデ王様の言葉の通りです。ダビデ王様は言いました。
「苦しみにあったことは私にとって良いことでした。私はこれによって神様の教えを学びました」って。
ほんとにそうです。もし祐樹が死ななかったら、しかも自死と言う苦しみを通らなかったら、たとえ教会に行っても、たとえ聖書を読んでも、人の事の様で私には解らなかったと思います。そうなんですよ。祐樹が生前「母ちゃんも聖書を読んでごらんよ」と言ったので、新約聖書、マタイの福音書を読み始めたんです。でも、何の事かさっぱり分からず、早々に投げ出してしまったんです。
でも、今は違いますよ。教会に行き始めてからすぐに、創世記一章一節から最後の黙示録まで一気に読みました。聖書通読の始まりです。二回目からは丁寧に読みました。聖書を読むだけでは解らない事が多いので、注解書も読みました。創世記から黙示録まで一日一章づつ読むと三年半かかります。私は今、十回目を読んでいます。聖書通読を百回したという人の事を聞いたことがありますが、私は通読の回数が多けりゃいいと言うもんではないと思います。聖書は神様からの語りかけ、しっかり聞き取って応答しなければと、思っています。・・・なんてことを言ってはいるけど、私自身も毎日読んでいると時には目が字の上を通り過ぎているだけってこともあって、おっとっとということで、又後戻りして読んでみたりして・・・。信仰を持った初めの頃に一日一章以上を必ず読もうと決心して四十年経った今まで続いています。私の努力ではなく、ただ神の恵みと思っています。聖書を毎日読むのは、食事を毎日するのと同じです。時には美味しいこともありますが、時には苦かったり、辛かったり、拒絶したくなったりします。
※ 続く
facebook、 BAABAのブログ『グランマの椅子』もよろしく♪ ひいちゃんパパ
ひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」
「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん
「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、
yachiyo@crocus.ocn.ne.jp
から、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。 |
|
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年04月25日 17時03分56秒
コメント(0)
|
コメントを書く
|
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
エラーにより、アクションを達成できませんでした。下記より再度ログインの上、改めてミッションに参加してください。
x
|