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先日、高村薫原作の「レディー・ジョーカー」を見て、えらく響いた。
グリコ森永事件を題材とした映画ながら、雇用・社会身分の問題から始る重たい内容だ。一会社の社長と一介のしがない薬屋の対決、しかし、どちらにも「つらい問題」がのしかかるだけで、ただ単に立場の違いしかない。それがえらくつらかった。 わたしは、いつ首になっても仕方ないし、なったらなったで次に向けて動くだけの漂泊の人だから、なんのつらさもないのだが、夢もなく、現実しかなければ、こんな世の中面白くも何ともない。 わたしは一会社に拘るタイプでもないし、人生を縛る恨みがあるわけでもない。お金は困らないだけあれば十分だし、どうしても欲しいものは宝くじが当っても買えないものばかりだ。 例えば、ビーバー付きの山林とか、動物園ビルとか。 たいていはわたし以外が欲しがるとは思えないものだ。 自家用ジェットよりも水族館が欲しい変な奴もいる。なんか、飼育員が適職だったのかもと思いつつ、アクアゾーンを作っている会社が、3D水族館シミュレーターとか作らないかなぁと待ちこがれる日々である。 さて、そんなわたしだってやりたいことはある。 ただ、30までは仕事を選ばず、実力をつけるとずっと言い聞かせている。 わたしはロースターターだし、難しいことばかりやりたがるし、あんまり自分のことを信用していない。だから20代は勉強だと思って、出会った仕事をやろうと思っている。 わたしが考えるような事は、いつでも「ジェットコースターを作りたい」といったようなかなり難しい事ばかりで、 「じゃあ、ジェットコースター製造メーカーに入ろう!」 なんていうような生やさしい問題で済むとは思えない。 ジェットコースターを国民的娯楽にするみたいな極端な熱意で、それをへぼな20代にぶつけたら、おそらくひねくれるか、挫折すると思う。そういう熱意を曇らせずに持ち続ける人はうらやましくも思うが、わたしはそんなに強いタイプではないし、距離を置いて、しかし着実に実力をつければ、20代は満点だとあきらめている。 ただ、疑問に思うのは、本当に真剣に「ジェットコースターを作りたい」と思っている人はどうしたらいいのだろうということ。建築工学の出ではないので、もう設計はわたしには無理そうだ。それが三十のときに突然自分の使命のように感じてしまったらその人はどうしたらいいのだろう。 道はあるのだろうか? わからない。 わからないので、とりあえず関係がありそうでもなさそうでも目の前にやってきた仕事はやってしまうことにしている。気がついてみたら近かったり、やってみたら遠かったりしている。 ついこの間、Webのプランニングをしたいという人に出会った。 わたしは、なんでよりによってこんな仕事やりたがるのだろうと思った。 熱意の問題のようにも感じるが、DTP部門のスタッフと、 「なんでよりによって金払ってまでDTPなんてやりたがるんだろうね」 という話になったから、あながちわたしだけの見解ではないと思う。 出来てしまえば、そんなにたいしたものではない。 あながち、世の中そうなのかも知れない。 実現不可能に思える夢の方が、幸せなものか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 16, 2004 10:59:50 PM
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