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ボードゲームには四大聖典があって、ゲーマーはそれを信仰している。
「モノポリー」 → 不動産ゲーム 「リスク」 → 世界征服ゲーム 「アクワイア」 → ホテル買収ゲーム 「ディプロマシー」 → 一次大戦ゲーム これらのゲームは非常にすばらしい出来で、わたしもやりこんで夢中になった。 確かに完成度が高く、戦略性が高い。 プレイは練りに練られたルールで、そのプレイの質が保証され、プレイヤーにへぼがいなければ、緊迫したセッションとなることが、ボードと駒により保障されている。 わたしも、サークル時代には「ディプロマシー」のルネサンス期版であった「マキャベリ」を死ぬほどやって、オンライン用にホームページを作って、新聞を作り、FLASHで戦局を解説するアプリケーションを作った。 わたしはゲームとしてのマキャベリは大好きである。 ナポリ狂であったわたしは、教皇領・フィレンツェ連合、フランス、トルコとどんぱちやることがたまらなく好きで、広大なティレニア海を舞台にした海軍戦には特にびりびりする快感を味わった。 ナポリにとってはほとんど本拠地といってよい自国の半分の領土に接するこの海域は、フランスの絶対防衛線リヨン湾に接し、トルコのジョーカー・チュニスを伺う。 ■マキャベリ ~イタリア年代記~ http://homepage3.nifty.com/souryu/machiavelli/ しかし、この海域は、教皇領の本拠地ローマに接し、フィレンツェの主要都市に接しているのである(地図参照)。 ナポリがティレニア海の女王として君臨するためには、仮想敵を各種勢力に納得させティレニア進軍を正当化し、もっとも隙がありそうな勢力を奇襲的に弱体化させ、一方に安全海域を作る以外ない。 たとえば、フランスにはトルコを叩くといい、フィレンツェにはフランスを叩くといい、トルコにはフィレンツェを強襲するという。教皇領はどうやっても戦わざる終えないので、冷戦状態を作って戦線を膠着させておく。 誰を敵とするかが明らかになる時期はなるべく遅らせたほうがよい。 たとえば、フランスにとってもフィレンツェにとっても生命線となるのはコルシカ島であるが、フランスにはフィレンツェを叩くからといって、フィレンツェにはジェノバを譲るからコルシカを「貸してくれ」と言い、次の年にどちらをたたくかを決める。 これはゲームだからとても楽しい。 こういうスリルあふれる、人から領土を奪うことに情熱を割くことは、人を裏切ることは、軍事力でティレニアから他海軍を追っ払うことは、ティレニアの女王として君臨することは、それ自体がアーティスティックであり、芸術的であり、陶酔的であり、絶妙のバランス感を試される至高の時間といってよい。 だからわたしはナポリが大好きなのだ。 ただしゲーマーとして。 この4大聖典に共通しているのは、それが全てゼロサムゲームであること。 そのお互いの境界線がタイトであればあるほど、ゲームとしては厳しく、激しく、激動に包まれる。 現在発表されているボードゲームに、ゼロサムでないものは恐らくほとんどなく、そのタイトさ、偶然性をどう取り入れるかに若干変化がある(カタンも、かなりゆるいゼロサムである)。調べれば調べるほどボードゲームはゼロサムでデザインされており、ほかのデザインは出来ないものかと、わたしはふと首をかしげる。 ゲームデザイン論ではここでTRPGが登場するのだが、ゼロサムゲームというのは、結構プレイヤーの負荷が高いので、初心者にはあまり薦められないのである。 ディプロマシーなどは、その裏切りがあんまりにも鮮烈な印象を与えてサークルの人間関係が崩壊するという現象が発生するので、サークルクラッシャーゲームと呼ばれる。 さすがに、サークルを崩壊させるゲームはお勧めできない。 グローバリズム、フラット化という用語で定義される経済ゲームは、これとまったく同じ、メイド・イン・アメリカな、ゼロサムデザインだ。 しかし、わたしは知財界にいておかしいなあと首をかしげる。 いつの間にそんなのが、世界標準になっちゃったんだろう? 少なくとも、国際条約にはグローバリズムなんて言葉は出てこない。 アメリカがWTOに絡むと無茶が出来なくなるのは、実は、WTOの条約がグローバリズムとはまったく正反対な、表裏一体の思想で出来ているからだ。 ハーモナイゼーションという。 国連的志向というと分かりやすい。 特許業界に入って、さまざまな人々に話を聞くと、日本の特許業界がこの「ハーモナイゼーション」の洗礼を受けていることが分かる。 誰に聞いても、この言葉を誇らしげに言う。 それが、ハーモナイゼーションだ、と。 全世界が、それぞれ生まれも、政体も違う、声質の違う国家たちが、全世界の声に耳を傾け、自分の発する声もハーモニーの一部にするのだと。 ハーモナイゼーションは日本語にすると調和(もしくは国際調和)なのだが、この言葉が出てくるとぎくりとする。 どっかで聞いたことがあるのである。 この辺とか。 ■南方機車 年内に「時速300キロ」 高速鉄道の“中国化”進む http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200704240043a.nwc (調和号ですよ! どうよ、このすさまじい意欲(笑)) ■中国の裁判所、調和の取れた社会に適切な司法保障を http://japanese.cri.cn/151/2007/01/08/1@83344.htm 今、中国のスローガンは「調和」である。 恐らくこれは、非常に国内・国外ともに響きやすいスローガンだからだと思われるのだが、わたしは、グローバリズムに対する最強の対抗軸が、ハーモナイゼーションであるからでは、と勘ぐってしまう。 知財系の中国の発言を追っていくと、日本の知財の教科書に出てくるような見解を読むことが出来る。これは単に、日本が高度成長期に起こした摩擦をどう解消したかを非常によく勉強しているから、似てくるのである。 ■中国、知的所有権保護で自信満々 http://japanese.cri.cn/151/2007/04/26/1@92321.htm これが100点の取れる答案である(皮肉(笑))。 中国の打つ施策を見ていくと、どうもしばらくしたら日本なんて抜かれてしまうほど、勉強しまくってんじゃないかと思ってしまう。 日本の知財界の人間の直接競合は、たぶん日本語を覚えた中国人知財移民であろう。 グローバリズムとハーモナイゼーションを眺めてみて、それをBRIC’sに当てはめ、VISTAに当てはめてみると、どう考えても前者は分が悪い。 なので、フラット化という言葉はなんの意味も持たない言葉なのである。 なぜなら、これはゼロサム・ゲームを意味するから。 経済成長率がかなり低い国々では、一見正しそうに見えてしまうのだが、年率10%に迫るような高成長国には、この言葉はまったくちんぷんかんぷんなのだ。 世界は、毎年4%近い経済成長をしているのだ。 普通にしていれば、みんな4%ずつ豊かになれるのだ。 毎年4%ずつ給料が上がるのだ。 もしくは労働時間が4%ずつ減るのだ。 マイナス成長ではないのだから。 みんなパイの奪い合いなどする必要はないのだ。 高度成長を味わいたいなら、ベトナムにでも行って、そこに永住するとよい。 ベトナム語を覚えれば、バイリンガルになるので、もうこれだけで有利である。 日本の弁理士資格でも持っていけば、もう競合は存在しないも同然であろう。 世界的には、今は上げ潮なのである。 そして、これは今後も、長い期間続くかも知れない。 どうやって、世界の経済成長を4%から8%、10%と向上させればよいのかを考えればよいのだ。 とても簡単じゃない? 協力し合えばよい。 ん? なんか、変ナコト、イッテル? 長々と話してきたけれど、わたしはいつも不思議に思うのだ。 何で、アメリカのゲームデザイナーはゼロサム好きなんだろ? まあ、4大聖典が偉大すぎるから仕方ないといえば、仕方ないのだけど。 「モノポリー」 モノポリーは1920年代後半に、エンジニアのチャールズ・ダロウが考案したと言われている 「リスク」 このゲームのオリジナルも,ディプロマシーと同様に40年以上の歴史を持つ,その筋では有名なボードゲーム 「アクワイア」 1960年代にシド・サクソンによって創案され、アバロン・ヒルより発売された。 「ディプロマシー」 ディプロマシー(diplomacy)とは、アラン・B・カラマー(Allan B Calhamer、1931年 - )が制作したボードゲーム。1954年に完成し、1959年より小規模ながら一般に販売される。 コンピュータのゲームデザイナが情けなすぎるともいえるけど。 世の中というのは、案外馬鹿なのである。 ばーか、ばーかと馬鹿にして、こつこつと改良に勤しめば良いのである。 もし、世界を悲観するならば、そう信仰してみるとよい。 そして、ひょっとして自分もとんでもなく間抜けなラットレースをしてるんじゃないかって。 ゲームに酔ったらおしまいである。 追記: ちなみにハーモナイゼーションという言葉は、多くの知識人の間で誤解されて認識されているようである。 特許法は、基本的にパリ条約から国際調和がされ始めているのであるけど、その基本原則は、各国の特許は独立している、という原則にある。特許であるかどうかは、その国々に任される、という原則であり、その特許になる条件をどう刷り合わせていくか、という話であって、 「お前の国は間違っている。それは特許にすべきだ」 という話ではないのである。 最低限の、これは条件にしないやつとは協力しない、というすさまじく大枠な条約にみんな批准していて、批准するかしないかは、各国の決定にゆだねられる。 これは、 「みんな、それぞれの国を尊重します。で、みんなが納得できる約束事を決めましょう。同意できる国は、批准してください。批准すれば、批准した国々の間で、恩恵をもたらしあいましょう」 という話で、PCTの条文とか読めばよく分かるけど、すさまじく高度である。 ハーモナイゼーションは、この、約束事を出来るだけ増やして、みんなが問題なくやり取りできるようにしましょう、という話であって、その約束事どうよ、と仲間はずれにしたくなる人があっても、何とかして仲間にしよう、という思想であって、どうすれば、みんなが納得できる決まりを作れるかという話なのである。 これを誤解している、よく分からないビョーキな文章に出会うと、気の毒になる。 国は、尊敬すべきである。 問題は、どう、調和していくか。 5分ぐらい考えたけど、結局、調和かよ(笑)。 調和周りで、本出すと、かなり実は、デファクトスタンダードになるかもと思ったりした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 19, 2007 11:33:55 PM
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