晴れたり雨が降ったりとよく分からない天気でした。
たまねぎの皮むきを手伝ってくれました。NHKの番組によると、玉葱の皮むきをするとき、事前に数分間水につけておくと乾いた部分が浮き上がって作業がしやすいそうです。試してみてください。右の写真は、今月の歌を歌っているところです。 ひかり山のびわも大きくなってきています。この実もサクランボ同様、色づいてくると野鳥が食べるので子どもの口にはなかなか入りません。右写真のコップの中はダンゴムシ。どこから集めてきたものか、100匹くらいいますね。 外で遊んでいるとパラパラと雨が降ってきたのでお部屋に入ってレゴを楽しみました。こういうこともあるので、物置状態になっている山の部屋もかたづけておかないといけないですね。 また晴れてきたので外遊び再開です。木々が枝葉を伸ばし、緑いっぱいです。 そろそろ蚊が出始めるので要注意。山や散歩に行く前には、アロマオイルの虫除けをしています。子どもと大人が同じ所にいると、子どものほうが刺されます。 今年は4月の天候が不順で、伸びかけたジャガイモが霜でやられたり、シレネがとても短期間で花を終わらせてしまったりしました。チョウチョの飛来も少なく、独特の色のツマグロヒョウモンの幼虫もほとんど見かけないまま春がおわりました。 それでも、こどもたちは野草の実をあつめたり、落ちたオリーブの花をあつめたりして楽しくあそんでいます。 今どきは、大人も子どもも、お金を払って遊ばせてもらうのがあたりまえのようになりましたが、もともと、子どもは遊びを見つける天才なのです。 近くで高所作業車がお仕事をしていたのでみんなで見ています、エンジン音にびっくりしつつも目はしっかり高いところにいる作業員さんを眺めていました。 先生からお花をもらいにっこり、友だちにも「どーぞ!」と渡してかわいかったです。 クレヨンでお絵描きしてオリジナルのカエルさんをつくっています。ところで、今の子どもたちは本物のカエルを見たことがあるのでしょうか?ちょっと心配です。 この地に保育園が出来た頃、道路沿いはずっと田んぼが続いていたので、初夏の夜は眠れないくらいのカエルの大合唱でした。自然がどんどん無くなっていくのに、蚊だけは減らないのが悩ましいです。*今は昔の物語 松山の亥の子(1950年頃) 西日本の各地には、イノコツキ(亥の子つき)という子どもたちの行事があって旧暦十月の亥の日に、亥の子石と呼ぶ丸い石に何本もわら縄をつけて石をつり、町の各家を訪れて庭先で亥の子石につけたわら縄を周りから引っ張ったゆるめたりして地面に打ち下ろしてお祓いをするお祭りがありました。当時の道路はほとんど土道でしたから、ドスンドスンと激しく音をたてて地面を叩いても問題なしでした。 今で言うハロウィンでお菓子をもらったり、町内で提灯行列をするようなものでしょうか。私の町内には銀天街も含まれていたので、町内が終わると銀天街に行って商店の店先で亥の子つきをしたものです。さすがに銀天街はその頃でも舗装されていて、普通にするとアスファルトを割ってしまうので、子どもたちも石を空中で上下させて地面には落とさない工夫をしていました。 こうして、各家からお菓子やら小銭やらをもらって帰り、最後に年長のガキ大将がそれらを参加した子どもたちに山分けするのです。 上の図がその時の様子ですが、ネット上にはもっといい絵がたくさんあります。著作権の問題もあるかもと思ってマウスでチョコチョコ作りました。関心のある人は調べてみてください。この亥の子祭りでもっとも印象に残っているのが、亥の子石を付きながら歌う歌です。子どもの頃は意味もわからず、年長者の真似をして歌っていました。地域によって多少違うと思いますが今思うとかなりひどい歌です。亥の子 亥の子 亥の子餅ついて 祝わんものは鬼産め 蛇産め 角の生えた子産めおいべっさんという人は石から生まれて二でにっこり笑わんしょ三で酒を飲まんしょ四つ世の中良いように五ついつものごとくなれ六つ無病息災に七つ何事ないように八つ屋敷を立て広げ九つ小倉を立て並べ十でとうとう終わったこの家繁盛せい も一つおまけに繁盛せい お祝いをしない奴はひどい目にあうぞ! と、脅し文句を大声で叫びながら町内をまわっていたのですから、今どきだったら大問題です。最近は、松山市内で亥の子石をついているような場面に出くわしたことはありませけれども、郊外の地域では下にクッションのような物をおいて続けられているようです。