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関係力(相対性)経済学RELATIVITY ECONOMICS

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2012.06.01
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  • DSC_0359snowwhite&nick.jpg


婚外家族というのかなあ・・・

タイランドの現在、ぼくは結婚を前提にしていない家族を経験している。Nさん、ナムとニック、ぼく4人の旅が一つの家族のように、一つの部屋に9日間寝泊まりした。ぼくには、何の違和感もなかった。言葉が通じなけど、態度眼差し音声で、愛情が通じ合っている。タイランドにいる彼らの血族もこういう旅のことを熟知し、受け入れている。2年前に来たどこの馬の骨とも分からない外国人老人をここまで信用していいものだろうか?反対の立場から、ぼくは疑問に思う。

昨夜、ミドナイト近くに、恐れていたとおり、家屋の電気システムのブラックアウトが来た。冷房はもとより、水道やトイレも使えない。N一族と険悪になりながらも、この家に居たことが咎められた形になった。「何か事が起きたらすぐにでんわするのよ」という約束通りに、Nさんに電話して、ノイさんの家にポコアポコを動かした。深夜だから、20分ぐらいで着いた。

すぐに、ポク(ノイさんの夫さん)さんの第2書斎に通されて、そこでお泊りすることになった。ぼくの書斎のようにだたっぴろくはないが、こじんまりした居心地のいい美しい部屋で、調度品が骨董的にゴージャスだった。もちろん、インターネットは無線LANですぐつながった。プラサーさんが、深夜なのにわざわざやってきて、お腹が空いただろうと、ケーキに似たパンを持ってきてくれた。

遅く寝た割に、朝早く起きて、ポクさんの机で仕事をしていた。Nさんがパジャマ姿で現れた。「ひかるぅに会いたがっている人を連れてきたわ」と、Nさんが後ろを振り返ると、ニックが学校の制服を着て、ニッコニッコして現れた。そして、ぼくらは抱き合った。

話によると、ニックは今朝、起きる時、機嫌が悪かった。まだ眠いし学校には行きたくないし・・・その時、Nさんに「コイチアンクルゥがノイアンティの家に来てるわよ」と言われたとたん、ぱっと目が冴えて、「どしてどして?わっ うれしいな! ぼく すぐ会いにいく」とそそくさと制服に着替えてやって来たという。ぼくらが抱き合っていると、そこへノイさんが、こざっぱり美しい出勤着の姿で現れて、ぼくへの挨拶もそこそこに、「ニックニック 学校へ行くわよ」と言う。ニックは、顔を曇らせ泣きそうになりながら、「ぼく ルンコイチと今会ったばかりだよぉ~」だだをこねた。ノイさんは委細構わず、ニックを引っ張っていった。母親のNさんは、ニックにバイバイと言っていた。そのNさんは、パジャマのままである。姉(ニックのおば)が出勤途上ニックを学校へ連れて行くことが、当然のことのようになっているのだ。なにか、不思議なものを感じるのはぼくだけかなあ・・・これが普通なのかなあ・・・

良くも悪くも、人間関係が濃い。来泰以来、この日記における焦点はその驚きの一点に絞られているといっていい。ぼくの妹は前後3回来泰しているし、Nさんが日本に2度行って、妹と会っているわけだが、ほとんど最初から妹を「おねえちゃん」(日本語)と呼ぶ。これは、日本人に対してだけではなくて、Nさんは、ある意味誰とでも親戚になってしまって、その呼称を用いるのである。日本語でも知らないひとを「おじいさん」「おばあさん」「おじさん」「おばさん」「おにいさん」「おねえさん」と呼ぶようなものなのである。日本では、近年、年齢逆差別が発生していて、年上の人を「おじさん」「おばさん」と呼ぶとき、蔑称になっている。日本では、「おじさん」「おばさん」(爺も婆あも)はかつては非常な親しみを込めた尊称であった。赤の他人でもそう呼んで、とても近く感じあったものである。しかし、現代では、その意味が無くなり、反対の意味になりつつある。タイランドでは、それがプラスの実質的な意味を持っている。

このような目―法的・制度的以外の観点で、純粋に愛情の目―からもう一度、人間関係を見直すことが、日本でできるだろうか?ぼくがここで経験している、家族形態は、日本で可能なのだろうか?いや日本では、もう必要としていないのかもしれないくらいに、家族が形骸化、崩壊しているのだろうか。

【写真:ああ ニックになりたいって? そこの「おじさん!」】





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Last updated  2012.06.01 22:06:42
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