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テーマ:24時間TV(20)
カテゴリ:私が思う事
今年も24時間テレビが終わりました
24時間テレビにはいろんな想い出がある 今年で30回だそうな そうだよね 主人が亡くなった年から始まったものね 初めての24時間テレビは私も楽しみにしていた 元々イベントやお祭り大好きなものでね でも最初の24時間テレビは見る事もなく終わった 23日に事故にあい28日になくなったものでね その間病院にずっと詰めていたんだけどね 百日咳の三女が心配で、、大変だろう長女が不憫でね それからは毎年24時間テレビの時は子供達とほんの少しだけだが貯金箱もって行ったね テレビに映った事もあるし三女と共に新聞に大きく写真が載ったこともある 子供達も大きくなり特にこの奈良の地へ引っ越してきてからも大阪へ行く事は少なくなったけどテレビはいつも見ていた ある年孫が大きくなって読売テレビやOBPまで小銭を一杯もって行った事もあったね でも嬉しい思い出よりも嫌な想い出に最近は行かなくなった、、24時間テレビなんです それと同時に20年前のことなのに今もその時の「○くよ ○るよ」のコンビの漫才見るたびも思いだすんよね その以前に今は難波ウオークとなった元虹の町で「おさむちゃん」にであったんよね 食事が済んで表に出てきた「おさむちゃん」 長男が超えかけたら笑いながら相手にしてくれておまけにそばにいた三女を抱っこしてくれた 当時はお笑いや花月の全盛期の頃でよく見に行っていたんで子供達も親近感があったらしい 当時はカメラを持っていないのが残念で残念で、、でも良い想い出になっている 話が元に戻すが読売テレビに募金箱をもって行った 丁度テレビの中継に当たっていたらしく並んで、、との声と共に並んで瓶の貯金を手渡すシーンが写された この時は放映を見ていないし当然ビデオももっていなかったので確認のしようがないんだけどね その時は女性コンビも愛想を振りまいてにこやかに子供達に接していた しかしいったんテレビの中継がとまり次の中継までのほんの10分間の出来事だった その中に小学生の男の子、、多分低学年の子供さんだがこのコンビの方にそばによって声かけた するとその人はぎょろっと睨みそっぽを向き「うるさいなあ」といったんよね その子供さんは悪い事を行ったんじゃなく言葉的に覚えていないがちょっとした声賭けだった 周りは引いたね スタップの人が間に入りその子供さんに愛想をふるまいたがその少年は固まったままだった よほど言ってやろうかと思ったんだけど、、周りの慌てぶりに何も言わなかったけどね カメラが又回りだしたがみんな笑っていなかったよ それからそのコンビがでるたびにみんなに話してやるんよ 私は執念深いからね(笑) 2回目は五年前ぐらいに始めての孫をつれてOBPまで貯金箱をもっていったんよね 並んで並んでやっと手渡しができると私も孫もドキドキだった? テレビで中継されるんでね いよいよその台のところへ来た 手渡そうにもそのボランティアの人はカメラ目線にお友達らしい?人と手を振り 若いタレントの方を見たりして此方の方は全然見ないし目もくれない 貯金箱代わりの瓶を持ったまま立ちすくす孫のあかり 係員の人は進んでくださいと言うんだけど手渡したいからわざわざ此処まで来たんじゃない 「もってきましたよ」と声かけたけど「ありがとうございます」の声だけで目線はそのままタレントへ向けたままだった 他の皆さんも出てから怒って苦情をいう人が一杯いたよ 私たちはもうひとつもって来ていたけどこれは渡す気持ちにはなれなかった 今年は欽チャンが走ってくれた タッキーのドラマも居眠りしながら見ていたがとってもよかった それでも素直になれない私だが応援はしている もし関係者の方が読まれる事があったらこんな声もあることをわかって欲しい 段々少なくなる募金額だが今年は多かったそうだ よかったねと思いつつも今年も迷ったけどもって行く気力は無かった 今年も24時間テレビは無事?終わった もうすぐ命日が来る もう泣かないと決めた 泣かないけど早くなくなった主人が最近哀れに思う なくなった当時は哀しみより「怒りと悔しさ」だけだったんだけどね ↑「シニアブログ」のランクリ参加中です ポチッとクリックをお願い致します お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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