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『とんとこひ・セクスアリテ』

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April 30, 2004
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昨夜、下の「知ってほしくって」メールまたはカキコミを 
どどどうっと 関係各兄へ。
思いつきで。
反応があれば(あるのか?)
一部抜粋などのカタチで upします。


「知ってほしくって」

○っかいめカキコです♪
イラク人人質の五人の方が無事解放されてよかったですね。
まだいろんな議論が続いてますが。
 
論議の柱は こんな感じかしらん。
 
「たとえ政府と意見を異にしても 
外国に出れば
まず日本人として扱われるという意味で
自らだけでなく他の日本人や政府に責任をもとう」
 
「市民活動を行う人も
世界が国家主権の原則で動いている事実を無視して行動しては
真に意味のある行動は出来ない」
 

これらって、前提になっているのは
 
イラクの大半の国民は 愛国者であり、
イラクの大半の国民を 救おうと思うのなら 
イラクの大半の国民のために働く政府を創ることが 最も効果的で
ということらしくって・・・
 
「イラクのセクシュアルマイノリティもそうなのかしら・・・」っ
て・・・。
 
日本のセクシュアル・マイノリティーは 少なくとも 
そうした「イラクの大半の国民」の心情には共感できませんし
(「同性愛者は死刑」っていうお国ですもん。グッスン、イスラム)
 
マイノリティーに 諸権利をお認めにならない日本の政府に 
義務や責任を負ってる自覚も持てだなんて・・・
と、お憤りをお感じの方は 少なくないと思うんです(?)。
 
それでも、セクシュアル・マイノリティは、国境を越えて
イラクなんかの 同性愛者差別を 撤廃するにはどうすんべと
模索していたりして。
 
すると、
「世界市民主義的活動」
とひとくくりにされて
 
「世界は主権国家の原則で動いている事実の無視
(干渉するのは相手の国に対する主権の侵害)」
などと たしなめられたりするわけ。(ネット掲示板でとかですけど、ね)。
 
絶望感に見舞われちゃうわけで。
 
少なくとも
日本のいろんなマイノリティーさんたちどうし(部落とかアイヌと
か「障害」者とか「女性」とか・・・)は
敏感でありたいですね。相手の立場、気持ちにっ♪


おへんじ



「・・・愛

貴重なご意見です

そうですね

国の価値観とは、結局国を組織する人間の価値観ですね

国も人間の様々な性格からできるのですよね

少数者には厳しい世界ですね・・・・・・」



補足)
「聖典」クルアーン

(訳注:ムハンマドの著述によるイスラーム教の聖典。一般には「コーラン」)

「この世での苦労があの世での楽園につながる」

イスラム教徒の
個人・家族・集落・国家・世界にとって
「どうしてか?」と尋ねられて
「コーランに書いてあるから」
それ以上でもそれ以下でもない
絶対生活訓です。

「この世での善行で、あの世の楽園に入れる」(2牝牛20節)

この世で苦労すればするほどあの世で楽ができる、となり
これは貧困に対する受け止めかたに結びつきます。


「挑まれた戦いには堂々と立ち向かえ」(2牝牛186節)

「アメリカ文化」は堕落であり
アラー神への冒涜であり
それが商業主義に乗って
イスラム圏に入り込んできているから
これを「挑戦」と受け取り
「報復」する・・・

コーランは
「勝てない戦い」をすることや
指導者を選挙で選ばないことの
の原点にもなります。

(宗教イコールテロの短絡化は間違い。
元来、宗教は「信心深い、信仰心の厚い」と同義語。)


・ 金利禁止 (vs. マネー・ゲーム、デリバティブ)
・ 偶像禁止 (vs. ハリウッド、映画、アイドル)
・ 男性優位  (vs.ウーマン・リブ、女性マネージャ)
・ アルコール禁止 
・ 豚肉禁止
・ 犬が嫌い
・ 同性愛禁止 (vs.同性結婚、LGBT)

以上は、コーランの規律。

この、最後の

同性愛が禁止である
同性愛者は迫害される

という目線で

お茶の間に 一連の国際情勢を報道してくれるメディアは 
なかなか見つからないと思います。
メディアのみなさんが全員、信心深いイスラム教徒であるというのなら話は別ですが。
「イラン人にゲイはいないよ」と思っているのでもなければ
きちんと報道人としての義務を果たしていただきたいと思うのです。

「イランに同性愛の問題はない」
とか
「もっと大事な問題に取り組まなければならない」
とかいう意見とは裏腹に、
イランの文学、古典ではちゃんと同性愛は語られているし、
宗教や学校、軍隊でも、同性間の性的関係が存在した証拠があります。
 
もし同性愛を抑圧する宗教的な政権が成立していなければ、
イランでもトルコのような他の非宗教的な国々と同じくらい、たくさん同性愛が見られ、
イランでの同性愛が実際には珍しいことでも、驚くべきことでもないことがわかったでしょう。

イスラーム共和国の刑罰の本質は、姦通や同性愛を行った人々を罰することにより、社会規範を人々に強制することです。


イランの刑法


イランの現体制が国教とするイスラム教シーア派の立場からイスラム法(シャリーア)を解釈して制定されたもの。
刑法の背景をなしているのがシーア派法学。
イラン最高裁長官(当時)であり、シーア派法学者の最高位であるアーヤトッラーの称号を持つムサヴィ・アルデビーリー師は、1990年5月にテヘラン大学で行われた講演で、同性愛について次のように述べている。
 
「同性愛者に対しては、女性であれ男性であれ、イスラムは最も厳しい処罰を科している。(略)同性愛者を拘束し、立たせ、剣により、頭から二分するか斬首するかして体を二つに割くべきである。死亡した後は、火葬とするか、山頂から投げ落とすべきである。その後死体を集め、焼却すべきである。あるいは、穴を掘り、生きたまま焼却してもよい。他の罪に関しては、このような処罰をすることはない。」
 
師は同じ講演で、このような処罰を科す教学的根拠として、次のような逸話を紹介している。

「正統カリフ時代(紀元7~8世紀)、第2代カリフであったウマルの前に一人の男が連れてこられた。この男は同性愛者であった。ウマルはアリー(第4代カリフであり、初代イマームとしてシーア派の中軸的存在)に、この人物をどうすべきか聞いた。アリーは『殺害し、剣で斬首すべきだ』と述べたので、刑務官たちは指示に従い、死体の処分を聞いたところ、アリーは刑務官に、同性愛者は死体も処罰しなければならないとして、丸太に結びつけ焼却するよう命じた。同性愛者への処罰方法の起源はここにある」
 
シーア派教学ではイマームは無謬であるとされており、シーア派教学を遵守する国家運営を目指すイラン現体制の正統的立場は、初代イマームであるアリーの指示を忠実に守らなければならないというものだ。そして、実際に、同性愛者が残虐刑に処されたケースが数多く存在する。


グダーズ・エグテダーリ氏

(イラン人同性愛者・シェイダさんの在留権を問う「シェイダさん在留権裁判」の証言のために来日した米国在住のイランの人権問題専門家)


・・・イスラーム世界における残虐で非人道的な取り扱い及び処罰に対する解釈に関する限りでは、アン・ナイムは、

イスラム法Sharia は、イスラーム法が要求する処罰を執行する以前に、社会的および経済的な正義の確保および全ての市民に対し適当な生活水準を保障するという義務が実現された状態を要求している。」

と信じている。彼は、

「イスラーム法上の処罰を執行する上での必須条件は、実際上は、充足するのが非常に難しく、いかなるイスラーム教との国においても、近い将来、処罰が執行される資格要件を満たすことはありそうもない。」

とも示唆する。しかし、アン・ネイムの言及とはうらはらに、サウジアラビア、スーダン、パキスタンおよびイラン・イスラーム共和国ではイスラーム法が実践されており、これは、いわゆるイスラーム政府が自身に法をそっくりそのまま実行する資格があると認識していることを示している。

 イスラーム主義者は、別の論点として次のようなことを主張することもある。それは、

「イスラームの信念においては、生命はこの世界に限られているのではなく、来世こそが最も重要な部分なのであるというものである。さらに、創造主による別の裁きが行われようとしており、この世で裁判され、処罰されていないものは、来世でより厳しい処罰に直面する可能性がある」

という議論が提示される。しかし、預言者ムハンマドは次のようにも述べている。

「もし少しでも疑い shubha があるならば、『クルアーン』(一般には「コーラン」)に基づく処罰 the Quoranic punishment が科されるべきではない。疑いのあるケースにおいて、処罰を科す方向で誤りをおかすよりも、処罰を差し控える方向で誤りを犯す方が適切である」。

 アン・ナイムは、普遍的な概念理解を達成するために、差異についての文化相互の対話を提案する。この考えは、現在亡命中のイラン人学者であるソロウシュ博士 Soroush によっても提案されている。いずれにせよ、アン・ナイムは、

「イスラーム教の国内的な再解釈、多文化間の対話のいずれも、イスラーム教に基づく処罰を完全に廃止するという方向には結びつきそうにない」

と警告する。彼は最後に、より厳しい手続き的な要件を発達させるか、実行を制限することによって、社会はそのゴールにより近づくことができると提案する・・・

「同性愛者に対する迫害や処罰が果たす最も重要な機能は、見せしめを作り出すことである。
……この処罰は特に、人間の最も個人的な欲求に基づく行動に対して科せられることで、より見せしめとしての効果を増す。
・・・罰せられる者が誰からも守ってもらえない場合、処罰することはきわめて簡単なことである。
 「個人的な」欲求に対する処罰は、個人の興味関心に立脚することが、生命の危機をもたらすほど危険なことであるということを教える。
・・・人間が自らの欲求を制限することは、快楽としてのセクシュアリティを放棄することからはじまり、最後には、民主的な諸権利の制限に対する抵抗をあきらめることにつながる。

追記)
※トルコでは、同性愛は違法ではないが、ゲイの人権活動家たちは嫌がらせや虐待を受けている。

モーリタニア、サウディアラビア、パキスタン、スーダン、アフガニスタン、イェーメン共和国、オマーンにおいては、国の刑法の規定には同性愛者について明記されていないにも関わらず、イスラーム法の実践によって人々を死刑に処している。

死刑執行が行われている国々では、同性愛や姦通はしばしば死刑に処される。









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Last updated  June 5, 2006 11:42:47 AM
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