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ひなたまさみとひなたぼっこ

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2005年08月13日
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カテゴリ:私の日常
私の父の新盆です。
だから、今夜は父との思い出を、、、私が結婚してからの、父の忘れられない一言をここに書きたいと思います。

私には2人の子供がいます。母がずっと闘病生活、企業戦士だった父は、リタイアしてからは、唯一の趣味だったゴルフもやめ、母の介護をする生活に。現役時代には台所に立つことなどほとんどなかった父が、包丁を握り、チラシを見てはスーパーへ買い物に走るようになりました。

私が2人目を妊娠したとき、上の娘はまだ2歳でした。主人の実家も父親一人でしたから、私は自宅の近くの病院で何とか産む覚悟でしたが、父が「帰って来て、こっちで産め」と言ってくれたので、その言葉に甘え、実家に帰りました。

父は臨月の私に「お腹の子の分まで食え」と言っては精を出して食事の支度をしてくれ、息子が生まれてからは「赤ん坊のお乳の分まで食え」と、自慢の?「舞茸たっぷりの炊き込みご飯」を作っては、何度もおかわりをさせてくれました。
(おかげで私の体重はうなぎ上りでしたが。笑)

そうして2ヵ月も実家でお世話になったのでした。父は口癖の「ノープロブレム!」を連発して笑っていましたが、病気の母に加えて、妊婦、そして新生児の世話と、精神的にも体力的にも限界だったようで、その後体調を崩した、とあとで家族から聞きました。

そして今から2年前。あきらめかけていた私に待望の3人目が授かり、もう父に迷惑はかけられないから、と自宅付近で病院も決め、近所の人たちにも子供たちのことを頼み、出産の目処がたってから、実家に妊娠の報告の電話をかけました。

母は涙を流しながら「よかったね」「無理をするんじゃないよ」と繰り返し、そして父に受話器が移りました。

「お父さん、3人目が授かったんよ」

「お~~~~~!そうか!」

そして、すぐに

「また、帰って来るか?」

と言ってくれたのでした。

それを聞いた途端、私の目からどっと涙が溢れました。
(お父さんったら、ヒデキ(息子)の時、あんなに大変だったじゃない?)・・・思いがけない父からの申し出に言葉を失った私に、

「帰って来て産め」

と、念を押すようにもう一度。

「お父さん、ありがとう、、、」

再び母に受話器が戻ると母も泣いていました。

「よかったね。お父さんがああ言よるんじゃんけん、帰ってきんさい」

・・・母は自分は何もできない、負担がかかるのは父だとわかっているため、父がそう言ってくれるのを待っていたのでした。

「ありがとう、お母さん、、、」

受話器を切ってからも、ずっと涙が止まりませんでした。

親って本当にありがたいなぁ☆

・・・両親への感謝の気持ちで、心がはちきれそうでした。

その後、残念ながらその子は流産してしまいましたが、あの時の父の「帰って来るか?」の一言は、今でも忘れることはできません。

大好きだった父は今年1月に永眠しました。そして、新盆を迎えています。今頃、私の3番目の子供の世話をしてくれているかもしれません。






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最終更新日  2005年08月14日 02時53分41秒
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