おとといの夜、家族でゴールデン・ウイークについての軽いブリーフィングをした後、久日ぶりに夫婦で議論しました。 だいたい議論の前半は一人ずつ順に主張しあうことが多いのですが、相互の意見をどうにかして冷静に聞こうと努力するのには自制心とパワーが必要です。(その姿勢が崩れることが以前は多かったのですが。) 度重なる話し合いを長年してきましたが、私は旦那さんの余りに簡潔で短い主張をいつも明確に理解できませんでした。 旦那さんのほうは、私の生き方を理解し難いようでした。 私の生き方とは、親子や夫婦などはすべて人間同士のコミュニケーションとして同等に捉えているので、相手が子供でも大人でも個人を尊重し土足で相手の問題に踏み込まないような生き方です。 しかし 今回の議論は近年まれにみる素晴らしい議論に終わったと思います。 現時点で、お互いの理解度は過去最高と感想を漏らしあうほどです。
結婚して10年目。 人生観も変われば、社会環境も家庭環境も大きく変化しました。 中でも家族が増えたことが最も大きな変化といえます。 そんな連続する変化の中にあって、幸せな家族関係というものが、寝ている間に家宝のようにはやってこないんだなって改めて感じます。(よその家族のことはあまりわからないのに偉そうなことをいいますが)そのような関係は相互の努力の賜物であって、歩み寄りの努力を怠れば素晴らしいと思える関係はたちまち崩れるのだと思います。 少々睡眠時間を削られるのは辛いのですが、我が家にとっては喜びのための時間なのであります。 喜びのための時間を作り続けていくにはどうすればよいか、子供も加われる時間をどうすれば捻出できるか、ということが今後の課題であります。
長女は、「たまごっち」のゆきちゃん(長女命名)を育てています。 たまご形のキーホルダーの画面に赤ちゃんが生まれるのです。 それを「たまごっち」と言いまして、その「たまごっち」を育てるというシミュレーションゲームをしているのです。 ゆきちゃんのお世話をしなかったら、死んじゃって、それでまた新しいたまごっちが生まれるの。と長女が言いました。 「ママは、子供たちが死なないようにお世話しようっと。長女と次女の代りはいないもの。」と言うと、突然長女は「ママが戦争で死んじゃったら嫌だ~~」と泣き出しました。
しばらくして「今はどこかで戦争をしているの?」と長女が尋ねました。ちょうどテレビのニュースでイラクの最新情報が放映されたので、一緒に見ました。長女は、今この瞬間に世界のどこかの国で戦争が行われていることをはっきり知ったようでした。そして「日本は戦争してない?」と聞くのです。 戦争支援と復興支援、この矛盾する現実を説明するのも理解するのも非常に難しいでしょうし、国家レヴェルでの争いというだけでは捉えられなくなっています。最後に「なぜ戦争が起こったの?」とも聞かれました。正しいもの同士の争いについてゆっくり時間をかけて一緒に考えて行こうと思います。正義のためと称する戦いは、いったい誰の正義なのでしょう。 正義は善良な市民から理性を奪ったり、そのきっかけを与えたりするのでしょうか。イラク人捕虜の写真はあまりに悲しすぎます。
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