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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2007.02.03
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カテゴリ:ヒラカワの日常
この春卒業して就職するフレッシュメンに贈る言葉で、何か
書いてくれないかと、中嶋さんからご依頼。新聞の特集ということである。
「で、何か希望を与えるようなのがいいんですけどね」
そうか、わかった。説明はいらない。
それじゃ、てんで、すらすら書いたのがこれ。

新生活へ旅立つ若者へのメッセージは
「希望なんざ犬に喰わせろ!」ということです。
平川克美

刺激的なメッセージですまない。
でもさ、人間六十年近くやっていると、
言葉というものの重さも軽さも身に染みて分かってくるものである。
最近、若いもんが歌っているラップを聴いていて、
すこしげんなりとしたばかりなのですよ。
それは安っぽい孤独の表白だったかと思うと、
突然やけに前向きになったり、あるいは予定調和だったり、
至福の愛を歌ったり、手を取り合って進もうてな感じで
(具体例を挙げられなくて残念ですが)。
しかしまあ、これは私がこの分野について浅薄な知識しかないから、
本当は凄みのある言葉が生み出されているのかもしれない。
(だといいんですが)

人生、何事も思ったようにはいきませんぜ。
いや、「こうしたい」「あれもしたい」って言いますが、
この欲望は本当に自身の欲望なのかどうかさえ疑わしい。
消費資本主義の世の中においては、
欲望を限りなく細分化して撒き散らすことで市場ニーズを作り出す。
人口減少社会では、それ以外に市場のパイを広げる方策がない。
凄腕のマーケターにとっては、ナイーブな若者の欲望を炊きつける
なんて朝飯前の話である。なぜなら、欲望とは他人の欲望の模倣であり、他人から欲望されたいという自意識だからである。
そこをすこしくすぐってあげればよい。

みんな自分は個性的に生きたいなんて思っているが、
同時に他人と同じでいたいとも思っている。
エルメスのバッグが流行ればなけなしの金をはたいてでも欲しがるが、
同時に誰も持っていない服を探したりもするのである。
しかし、本当に個性的であるためには、
孤独の果てまで歩き出さなければならないのだ。

 「夢のある生活」「希望の未来」なんてのも、
誰かが作り出した生き方のパターンでしかない。
「勝ち組」「ちょい悪オヤジ」「ヒルズ族」「セレブ」「エロかっこいい」
みんな同じだ。
今はもう誰もヤングエグゼクティブなんて言わなくなったが、言っていることは昔も今も同じである。もう止めないか、こういうの。

誰もが自分を抜け出して、自分以外のものになりたがっている。
だからといって、何処にもいない唯一の人間になろうなんて
誰も思っていない。もっとも、小林秀雄ではないが、
自分以外のものにはなりたくても、誰も自分にしかなれはしないのである。
「時代は今、ロハス」とか「できる男の時間術」
なんていう言葉には気をつけた方がいい。
それこそ、君たちを安い商品労働力としてしか考えていない
「おとな」が作った生き方のパターンでしかないからである。
それらは輝かしい夢や希望が、ブランド品のように
綺麗に包装されて並べられた言葉に過ぎない。
そんなもので着飾ったとしても、誰も自分以外の自分にはなれはしない。
ならばお仕着せの希望に寄り添うよりは己の絶望
を見つめたほうがいい。暗くて惨めでビンボーな青春。
それが自然というものである。
 坂口安吾という作家は戦後の荒廃の中で、
人々が安直な希望に飛びつくことを戒めて『堕落論』を書いた。

-人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

ストレートで強烈なメッセージである。
しかし、この言葉には坂口安吾という作家が自分の身体で考えて、
内蔵から搾り出してきた煮汁のような真実があると私は思う。
安直な希望に擦り寄っても何も生まれてはこないが、
絶望の果てを歩いて行けば何かは拾える。
それこそが希望ということの意味だと私は思うのである。

世間で揉まれる中で、誰かの真似ではない、
自分の身体から染み出てくる煮汁のような言葉を大切にすることである。
それが知性的であるという意味である。
ひとつ、いい例がある。ラップにげんなりした私は、
このところは上野茂都という人の音曲ばかり聞いている。
上野茂都って誰だって?いや私もよくは知らないのだが、
一度この人の歌を聞く機会があって、そのとき以来、私の身体にかれの歌声と歌詞とメロディーが渾然と棲みついてしまっているのである。
どこにそんなに五十肩を煩っているおやじを感動させるものがあるのかといえば、
まずは歌詞の凄みということになる。
上野はほとんど知られていない名曲『煮込みワルツ』のなかでこう歌っている。

「ふやけてはんぺん雲になれ。ちぎれて蒟蒻石になれ。
流れてしらたき風になれ。輝いて銀なん星になれ」
そしてこの歌は
「湯気は立てても、具の中までは、暖められないそんな世の中。
転げて浮かべ、煮汁の中で、それぞれのワルツを踊ろうよ」
と終わる。信じられる言葉というのは、いつでもこんな風に、
希望に満ちてもいなければ、明るくもない。(おわり)


何で、それをここに載せたのかというと、
これがボツ原稿だったからです。
この企画、スポンサー付だったので、「おもろいけど、ちょっと」ということになったのである。こちらもおとなであるから、
このあたりの「さしさわり」に関してはよく理解できるのである。
じゃ、もうすこし「分かりやすいやつを」納品することに同意したのである。
だいたい、上野茂都ったって、誰もわかりゃせんだろう。
だからこれは我田引水、牽強付会のたわごとである。
でもさ、おもしろけりゃいいんじゃねぇの。
そうか、つまんねぇのか。
確かに。





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最終更新日  2007.02.03 15:19:48
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