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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2007.02.20
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カテゴリ:ヒラカワの日常
今晩は池袋の立教大学で
『ビジネスクリエーターとは何か』というシンポジウムがあるので、
少し早めに白髭橋の会社を出て、
高速道路を池袋に向かう。
予定より一時間ほど早く到着したので、
大学の近くの喫茶店に入りこれを書いている。

立教大学のビジネスデザイン科という大学院は
基本的には拝金主義的、投機的なビジネスを排して
革新性と持続的な成長というテーマを追求しているようであり、
これはこれで、大変好ましいことではあるが、
どうも、シンポジウムのパネラーとして、
ビジネスを論じるということには、気乗りがしない。

じゃあ、何で引き受けるのかといえば、
この大学にお世話になっているということもあるが、
友人の高柳くんからのご依頼があったからである。
基本的に、友人からの以来はお断りできない。

何で、ビジネスについて語るのが気鬱なのかといえば、
一時間やそこいらで、この問題について語りあおうとすれば
それは必ず、表層的な意見の交換に過ぎなくなることが
経験的にも、実感としてもよく判っているからである。
ほんとうは、
「ビジネスクリエーターとはこういったものだ」とか
「拝金主義的な傾向は、ビジネス倫理を毀損する」とか
「成功の秘訣」とか
「実践的なノウハウ」とかいうテーマには
ほとんど興味がなくなってしまっているのである。
宮本常一が『忘れられた日本人』でやってように、
生の言葉で、じっくりと「はたらくこと」が何を意味していたのか
を、お聞きしたいものである。
それは、当今流行の、ベンチャー企業家や、投資家が語る
ビジネスとはまったく異質の言葉遣いで語られる物語であるはずである。

「市五郎はいつも朝四時にはおきた。それから山へいって一仕事して
かえって来て朝飯をたべる。朝飯といってもお粥である。それから田畑の仕事に
出かける。昼間ではみっちり働いて、昼食がすむと、夏ならば三時まで昼寝をし、
コビルマをたべてまた田畑に出かける。そしてくらくなるまで働く。
雨の日は藁仕事をし、夜もまたしばらくは夜なべをした。祭りの日も午前中は
働いた。その上時間があれば日雇稼に出た。明治の初には一日働いて八銭しか
もうからなかった」

俺が聞きたいのはこういう話である。
平均的な日本人は本当によく働いた。俺の父親も、おっかさんも、朝早くから
身体を動かしていて、かれらがいつ寝ているのかよく判らなかったほどである。
このような過剰ともいえる「労働」とはいったいなんであったのか。

勿論、子どもや家族を養うためにかれらははたらきづめにはたらいたのである。
しかし、それだけではないだろう。
はたらくことが、生きることとほとんど同義であるような生活
というものがあったということであり、
それ故それは「労働」を「金銭」と交換するという以上のものであった
ということである。
交換という言葉では説明できないはたらきについて、
もはや現代人はうまくそれを定義できなくなっている。

一日一日を無事にすごすことに感謝し、
労働歌、盆踊歌、ハンヤ節、ションガエ節を歌うことが慰みであり、
貧困だが暢気な毎日をかれらは送っていた。
この労働を、エートスとか倫理といった言葉に置き換えて
俺は説明を試みようとしているのだが、実際にはそれはすこし違う。
エートスも、倫理も、マックス・ウェーバーなどが考えた西欧的な思考である。
「忘れられた日本人」は、もっと別の何かによって
突き動かされていたように思える。

いま、それを名指すことはできないのだが、
生かされるという受動態の意味をかれらは身体の奥で、
よく感じることができたとは言えそうである。
宮本常一の語る、日本人の源流の物語を聞いていると、
生きることは、自己決定でも、自己責任でも、人権宣言でもない、
もっと大きな受動態としての人間のあり方を知ることであるように
思えてくるのである。

ずいぶん消極的じゃないかって。
ちがうよ、積極的な受動態という意味である。





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最終更新日  2007.02.20 17:19:40
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