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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2007.03.28
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カテゴリ:ヒラカワの日常
仕事がだいぶ煮詰まっている。
関係している会社の決算が終わって
株主総会用の資料をつくらなければならないのである。
来月は、アメリカにも出張しなければならないので、
今のうちに出来ることを片付けておかなければならない。
しかし、
俺は前倒しで、仕事をすることができない性質で、
切羽詰らないと
体が動いてくれない。
困ったものである。

やっと、懸案の原稿を牧野くんに送付して
こんどは、文庫版TFKの校正をやらないといけない。
今週末には、国土交通省で、
街づくりに関する、お話をするというのがあるのだが、
これに関しては何の用意もできていない。
用意のしようがないのである。
たぶん、着流しで官庁に出向くことになるだろう。

さて、今朝
寝ぼけ眼で新聞を開くと
植木等が逝去との報である。
がっくりと力が抜ける。
死んじゃったのかよ。
青島幸男が死んで、植木等がいなくなって、
誰が残っている?

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」
俺に、この言葉の含蓄が分かるようになった頃、
すでに、植木等はブラウン管からはほとんど姿を消していた。
たまに画面で見るかれは、
人間の苦悩を沈黙で表現することのできる
名バイプレーヤーに変身していたのである。
 
-「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」 と植木等が歌ったのが一九六二年。かれが属していたコミックバンド、クレイジーキャッツの歌は、サラリーマン生活の悲哀と自嘲を響かせていたが、油にまみれた零細工場の中で育った私から見れば、スーツにネクタイのサラリーマンはそれだけですでに輝かしい存在であった。ホワイトカラーという響きは、清潔さ、まぶしさのイメージと結びついていた。サラリーマンは、日本の経済発展の尖兵として国民経済を牽引し、奇跡的な 高度経済成長を支えてきたのである。そしてその結果、東京オリンピックを挟んだ一九六八年には、国民総生産が、資本主義国の中で世界第二位になっていった。国土が焦土と化した敗戦から数えてわずか、二十数年の間の出来事である。
ちなみに、一九六二年は、原田雅彦という十九歳の青年が、シャムの貴公子といわれた完成されたボクサー、ポーンキングピッチに八十発もの連打を叩き込んで、日本人二人目の世界チャンピオンになった年でもある。この青年、ファイティング原田に日本中が熱狂したことを、私は昨日のことのように、思い出す。これも、戦後という時代がはっきりと終結し、日本人が、世界と争ってゆくという自信をとりもどしたことを象徴する出来事であった。

つい先日、例の本にこんな文章を書いたばかりであった。
コンビにで買ってあった吟醸酒の小瓶があったはずだ。
今夜のために、とって置いたようなものだ。





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最終更新日  2007.03.28 16:34:23
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