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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2007.03.30
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カテゴリ:ヒラカワの日常
昨日は、新宿御苑にあるラジオカフェで
一日中打ち合わせで日が暮れてしまった。
そうそう、ラジオカフェという名前は諸般の事情があって
改名することになった。
新しいブランドネームは、『ラジオデイズ』。
ウディ・アレンそのままであるが、
こちらの方が、俺たちの気分にはぴったりする。
どうか、ご贔屓に。

その放送を
俺の場合は
薄暗い六畳の部屋の箪笥の上のラジオを立って聞いていた。
山中毅とローズ、コンラッズの400m自由形決勝。
ローマ五輪の中継は、雑音が混じっていたが
アナウンサーの興奮が小学生の俺にも伝わってきた。
先日伊藤和尚と話をしていて、聞いたこと。
人間の脳は、視覚情報を処理するのに七割方使ってしまうそうである。
視覚情報は、情報量が他の情報に比べて格段に多いからである。
ラジオは、
視覚情報がない分、テレビなどで使っているその七割を
別のことに使えるというわけである。
道理で、昔のイメージが昨日のように、鮮烈によみがえる。
不思議なことだが、
ラジオを聴いている小学生の俺の姿まで
そのイメージには俯瞰されているのである。
あれが、俺のラジオデイズだった。

仕事が終わって、和尚と一緒にエレベータを降りると、
外はもう春の気配である。
桜の花が満開で、夜桜見物客が新宿駅方面から歩いてくる。
俺は、何と言うか
春ってやつが、あまり好きではない。
あまり、いい思い出がないのである。

若い頃に、手ひどい失恋を経験した。
あの時も春であった。
フレッシュマンが希望に胸を膨らませる季節に
ひとり落胆しながら道玄坂を上っていた。
人びとの笑い声がうらめしかった。
俺はなるべく日の当たらぬ、町の影ばかりを選んで歩いたものである。
陰影礼賛。
動機はかくも不純なものであったが、
俺は、いくらか陰影というものの深みについて知ることとなった。
みんなが、上衣を脱いで浮き足立っている光景には
目を逸らすようになっていった。

あの頃は、行くべきところがなかった。
無為と倦怠の毎日がだらだら道のように続いていた。
俺は時間があれば、渋谷道玄坂方面に出歩くか、あるいは池上本門寺にある図書館で
書架に並んだ背表紙ばかりを眺めて暮らしていたのである。
本を開いて文字を追っていても、ただ概念が上滑りに滑ってゆくだけで
頭の中に染みこんで来ない。
その日も、いつものように書架から気になる本を選んで
机の前に積んで、文字を追っていた。外にすることがないからね。
しかし、あるひとりの作家の書いた文章が
すかすかになった俺の頭に染みこんできたのである。
それは、「声」であった。
こういうことか、と俺は思ったものだ。
長い時間をはさんで、いちまいの紙の上のインクのしみをとおして
ひとりの人間の「観念」が届けられるということは。

それは、おそらく
日暮れの図書館のような陰影の中でしか
届けられることがない。
そんな声であった。

その「声」は今でも俺の頭のどこかに保存されている。
そういった声をもった作家はあまり多くはない。
何故、この作家の声だけが、時間や空間を迂回して、
直接おれの頭にしみ込んできたのかと、考えてみた。
それはたぶん、この作家が自分の声で語っているからだ
という答えしか見つけられなかった。
しかし、その考えはそれから三十年過ぎた今になっても変わらない。
その作家とは・・・いや誰にでもそんな本が一冊や二冊はあるはずだ。
作家とは自分の声を見出したものだけが、
名乗ることのできる職業かもしれない。

追記:
4月3日深夜12時30分ラジオ関西放送『ラジオの街で逢いましょう』は
小ゑん師匠と対談。
4月10日の同じ時間は、作家の大友浩さんと対談。
その後は、神田茜さん、関川夏央さん、大西ユカリさん、旭堂南海と続く。
いずれも、放送終了後、ラジオデイズのサイトで公開します。









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最終更新日  2007.03.31 01:19:05
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