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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2007.06.26
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カテゴリ:ヒラカワの日常
内田くんが
俺のブログに言及してくれているお陰で、
アクセスが急上昇である。
もうすぐ100万アクセスを突破する。
カウンターの桁が100万以上はないので、
どうなるのかが楽しみである。
文字の色が変わるとか。
確変マークがでるとか。

さて、俺は「一年で全て解決する」と総理が言明したことに関して
「そりゃ、お里が知れる。誰か総理をサポートしてやれ」といった
(ちょっと違うけど)私見を書いた。
これに対して、内田くんは、
一年以内の解決は無理だということはむしろ周知の事実であり、本邦の総理も
さすがに、それは分かっているはずだとして、
こんなコメントを書いている。

― つまり「1年以内」というのは技術的な評価ではなく、政治的な言明だということである。もちろん総理だって、1年以内に問題が解決するはずがないことは知っている

安倍総理は、参院選をにらんで、かれにとって
より重大な「戦後レジームからの脱却」が、こんな「浮世の心配」ごとで頓挫しないように(つまりは、参院選での歴史的な敗北とそれに続く失脚を回避するために)
できないと知りつつ、できると宣言した「はずである」と書いている。
マヌーバーを使ったということである。
(表現はちょっと違うけど)

いちいち引用するのがめんどうなので、だいたいこういうやり取りだということで
ご勘弁願いたい。ともかくも、二人とも結構「意地の悪い」ことを言っている。

さて、そこでである。
安倍総理が、技術的には解決不能な問題を、
それと知りつつ政治的な言明として、表出したというのは、可能性としてはありうる。
しかし、俺はどうも、すこし疑問に思っているのである。
(その疑問の由来が、「お里」という表現になったわけである)
どういう疑問か。
俺も総理がそのようなことを知りつつ、ただアナウンス効果の最適化を狙っての方便としての、政治的な言明を行ったと思いたい。
俺とて、政治家に清廉潔白、高潔無垢などは期待の外で、
かれの祖父がそうであったように、政治の場面において、清濁併せ呑む、腹芸の使い手であってかまわないと思っているのである。いや、そうあるべきだと思う。

しかし、ひょっとして、わが総理は「本当のこと」を言おうとしたのではないかと考えて見る。「自分は本当のことを言っていると思っている」と思えるふしがあるのである。つまり、総理の言明は、言っていることそのままではないか、ということである。
かれは自分が一年で解決できると言えば、それは解決できるのだと思っているとしたらどうなんだということである。

俺はそこに、かれの政治家としての「お里」を見てしまうのである。
高名な政治家の家系に生まれて、かれは同世代のどんな子供たちよりも
「不可能との直面」という事態から隔離された境遇であったのではないかということである。勉学やキャリアのためならば、欲しいものは手に入り、経済的な労苦はなく、将来の憂いもない。かれの周囲にいただろう「教育係」は、祖父たちの行ってきた政治のダークサイドに関しては、それを「なかったこと」としてかれに伝え、かれもまたそれを「なかったこと」として受け取らなければ
かれは青年期を、負債なしで潜り抜けることはできなかったと想像してみる。
(そのことはかれの責任ではないし、他人からとやかく言われる筋合いはない。ただ、そういうことはありうるかもしれないということを言っているだけである。)
そういった曲折を経て、かれは己の清廉潔白を信じるような、義に篤いタイプの政治家になったという可能性は、排除できない。

かれの祖父は、そうではなかった。
「国体」を維持し、経世済民、のみならず一族の利権も存続してゆくためには
使えるものはそれが、無法のものであろうが、アメリカであろうが、悪魔であろうが
何とでも手を結ぶし、黒いものも白と、何の自責の念も無く言い募ることで、自らの政治的な生命を全うしたのだとおもう。
(勿論それを、どう評価するかは別の問題である。 よく言われるように、政治家とはつねに、かれが何を考えていたかではなく、かれが何を実現したかということで評価されるべきだからだ。)

これは意地の悪い想像なのだが、
若き日のわが総理が、自分が正しいと信じ、こうしたいと思ったことが
なぜかそのまま実現してしまうというような三代目の若旦那という境遇に対して、
かれが疑念を抱いたというようなことはあまりなかったように思える。(疑念を抱いたとすれば、かれは政治家という人生を選択しなかったはずだから。青年にとっては、自分が恵まれているという、まさにそのことが最大の恥辱になったりするものだ。)
しかし、かれは政治家になった。
若旦那の希望を適えるために、その意を汲んだり、慮ったりしながら、周囲が動くということが無かったとは言い難い。
かくして、かれは政界のプリンスになったのである。

今回の問題のように、国政における、さしせまった損得勘定の範囲で、
この若旦那の「無垢のちから」が発揮されているうちは、どっちに転んでも致命的な問題にはならないような気がする。どこかで官僚システムのフェールセーフ機構が機能するだろうし、国民は成熟している。内政において、やることが山積みになっているということは、政治的には大変に好ましい状況だと言わざるを得ない。

もし、やるべきことが一段落したとき、「義に篤い」政治家は何を考えるだろうか。
「教育係」が教えてきた「戦後レジームの不純」といったストーリーラインを学んで、倫理の問題として、「憲法の改正」や「レジーム変換」を自らの政治的使命だと思ったとすれば、それこそ、国民全員を「かなり危険な」賭けに随伴させることになるだろうと俺は危惧するのである。

歴史の中で、腐敗した権力というものは確かに、国民を絶望的な気持ちにさせるかもしれないが、人々はおのおのの工夫で生活をつくってきた。しかし、おのれの「正義」をなすために、国民を動員する権力者は、しばしば国民の生活そのものを、「正義」と交換することを要求してきたからである。





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最終更新日  2007.06.26 18:17:05
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