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山種美術館で開催中の「奥村土牛」展。
山崎種二(1893-1983)は、明治26 年12 月8日生まれ。米問屋につとめ,大正13 年独立して山崎種二商店を設立。昭和8年証券業に進出し,19年山崎証券(現山種証券) に改称。また15年辰巳倉庫を買収,ヤマタネの基礎をきずいた。41年山種美術館を開設。昭和58年8月 10日死去。89歳。群馬県出身。自伝に「そろばん」。 【格言など】信は万事の本を為す(信条) このヤマタネは無名の頃から土牛に中目し、135点を所蔵している。新装・山種美術館は最初に速水御舟、次に奥村土牛の企画展を開催した。 父が土牛という名前をつけた。奥深い村で、牛が土を耕す風景。1889年生まれ、1990年没。101才の長寿。 「石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変えるように、お前もたゆまず画業に精進しなさいとの意味がこめられていたのだち思う」 日本美術院の院展への初入選が38才。代表作の多くは還暦後という遅さである。64才の「聖牛」から93才の「富士宮の富士」まで。 「芸術に完成はあり得ない。どこまで大きく未完成で終わるかだ」。 85才で書いた自伝のタイトルは「牛の歩み」というから徹底して、名前そのものの人生を歩んだ人だ。大器晩成とはこの人のためにあるような言葉だ。 「枇杷と少女」41才。「雨趣」39才。「舞姫」65才、「踊り子」67才。「那智」。「鳴門」70才。「蓮」72才。「稽古」。「朝市の女」80才。「僧」89才。「吉野」88才。「海」92才。 「踊り子」はバレリーナ・谷桃子がモデル。「かなしみ、いかりのような、、。これはもう私ではない。先生はこわい」 「稽古」のモデルは、第44代横綱・栃錦(1925-1990年)の引退に際しての素描から始まった作品。 * 人間の出来ている人の描いたものは絵でも矢張り出来ている。 * 優れた作品から受けるものはやはり芸術の持つ何か非常に高貴な、霊的な気持ちのものである。 * 技術的にしっかりした人はいくらでも出ます。一応は誰でもうまくなると思います。そこから抜け出ることで違ってくるわけです。 * 草花でも花屋の店頭に飾られた艶やかな西洋種の花よりも、いっそ名もない野花の方が好きである。 * 今日私の座右の銘としている--絵のことは一時間でも忘れては駄目だ--という言葉は、その頃先生(小林古径)からいただいたものです。 * 「君、絵というものは、山水を描いても、花鳥を描いても、宇宙が描けなかったら芸術とは言えないよ」(横山大観) * 古くから残ってるものには、やはり作者の魂がこもっている。 * 私の仕事も、やっと少しわかりかけてきたかと思ったら、いつか八十路を越してしまった。かつて横山大観先生かに、「天霊地気」という書をいただいた。私は日ごろからこれを座右の銘としている、、 * 今の私の心境は、さびしい広い海に向って俗念を去り、残り少ない人生を一筋に生きたいと思うばかりである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/11/26 11:22:37 AM
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