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高野悦子「岩波ホールと「映画の仲間」」(岩波書店)を読了。
神保町の岩波ホールという名前と、その総支配人である高野悦子の名前はよく耳にする。 映画の世界で活躍している、というよりも現代を代表する女性という印象がある。 この高野悦子さんは今年の2月9日に亡くなっているが、読み終わった高野悦子著「岩波ホールと『映画の仲間』」(岩波書店)の発行日は2月27日である。そして「あとがき」は2013年1月である。 大腸がんにおかされて余命わずかの日々に、この分厚い本を最後まで書き終えたのである。 この本の幕があがった1968年の最初のページと、そして「あとがき」にもホール開きの日の野上弥生子の「小さなホール」という講演のなかの言葉が紹介されている。 「この小さなホールを、可愛い小さいが、どこにもないような独特の花園に育てあげてもらいたい」という言葉そのままに、迷いなく疾風し、そして実現した人生だったと思う。 f:id:k-hisatune:20130822155145j:image この45年間の歩みを年ごとに記録したこの本は、日本映画と世界映画との優れた交流史になっている。 「受賞・受章歴」として1971年以来の賞と章の記録が載っているが、実に50に及ぶ賞と章を毎年のように受けていることがわかる。目を引くのはポルトガル、イタリア、フランス、ポーランド、キューバなど外国政府からの褒章が多いことだ。本文で詳細が記されているが、その都度全力で良い仕事をし、多くの同志をつくってきたことが納得できる。また、中国、韓国などアジア国々との交流にも高い意義を感じる。 また、映画、評論、地域。女性、文化、など実に多彩な分野の賞と章の名前がみえるのは、映画を軸に幅の広い活動が多くの人に感銘と影響をを与えたから違いない。 1981年の第10回森田たまパイオニア賞の受賞理由は、「岩波ホール、そしてエキプ・ドシネマという芸術的拠点を創立、世界に誇る文化センターとした」である。 同じ年の第29回菊池寛賞の受賞理由は、「岩波ホールを拠点として世界の埋もれた名画を上映するエキプ・ド・シネマ運動の主宰者としての努力」であった。 高野悦子は1929年満州生まれ。満鉄社員の父と金沢師範で教師をしていた母の三女だ。 日本女子大に入学し、指導教授の南博から与えられた課題「映画の分析調査」を行った縁で映画界に入る。 東宝株式会社文芸部で仕事をする。撮影所に配置転換を願い出るが許可されない。 1958年、28歳でパリの映画大学イデックに入学する。最優秀で卒業し、映画監督とプロデューサーの資格を取得する。 帰国後、映画監督になりたかったが、当時の映画界では女性監督は無理で、脚本や演出の道を歩んでいく。 義兄の岩波雄二郎が岩波ホールをつくり、そのホールの総支配人をやらないかと声をかけてくれる。高野悦子38歳の時である。 その後、1974年に、世界の埋もれた名画の発掘・上映運動(エキプ・ド・シネマ)運動を開始する。もう一人の日本映画界の女性の恩人・川喜多かしこと二人で立ち上げた運動である。 「岩波ホールを根拠地に、世界の埋もれた名画を発掘・上映する運動」と定義された運動が、その後の豊かな実りつくりあげていく。エキプというフランス語には、志を同じくする友だち、同志という意味が込められている。 この本のなかで登場する日本映画史上に残る名映画の名前、著名な監督や女性監督、大女優、そして映画界を支えた各界の有力者たちのとの交流を時間順に述べてあり、日本映画界を中心に世界中の映画界の歩みも手に取るようにわかる。 歴史のなかはたす個人の役割の大きさを改めて感じる。 エキプ・ド・シネマロードショー作品リストがこの本に載っているのだが、このリストを眺めるだけで、高野悦子の仕事ぶりがわかる内容になっているのが素晴らしい。「積み重ね」ということの凄みを感じる。 岩波ホールをつくり、支えてきた人たちの仕事ぶりや人柄などを示すエピソードが散りばめれており、納得すると同時に愛情をもってまわりの人と仕事をしていたことに感動をおぼえる。 「よいものはかならすわかってもらえる」 「私の上映作品の選び方は、『心に響く映画』というのが常だった」 「私にはひとつのテーマしかない。『映画の世界で働いている女性』ということである」 「興業という、文化から程遠いところで仕事をしていますが、志だけは高く持ってきました」(文化功労者の受賞式での言葉) 「すべての女性運動は平和運動をもって帰結する」(座右の銘) この日本映画史を創り上げていく過程で知り合った人々も、時間の経過とともに消え去っていくが、高野悦子は彼らの仕事を背負って、スピードをゆるめることなく、さらに歩をすすめていく。そしてまた本人が斃れる日がやってくる。これが人間の歴史だ。 女性のロールモデルはなかなかいない。人物記念館のある女性はほとんどが文芸や芸術分野の人である。 現代では、緒方貞子さんと高野悦子さんではないかだろうか。 この人には、師匠、友、仕事量、志、構想力、修養、日本など、私の考える偉人(真・日本人)の条件がすべてあてはまる。 「昔、映画監督を志した者として、映画興行は私の性に合わなかった。岩波ホールの仕事を始めてすぐに胃潰瘍になったのも、嫌なことをしているからだと思った。しかし、私は映画の生みの親ではないが育ての親になることができる。劇場が名画を育てる創造の場であることの発見は、私を大いに勇気づけた。」 これは1985年、創業15周年の年の項に書かれている言葉である。天職を意識した瞬間である。 昨日、岩波ホールを訪ねると、「高野悦子追悼上映」というポスターが掲げてあった。 過去の上映作品から女性監督による名作を3週間連続上映する企画である。10月に上映される。これらの作品は本で詳しく語られているのので興味深い。以下の4作品を観ることで高野悦子をしのびたい。 羽田澄子監督の「薄墨の桜」と「早池峰の賦」。スコット監督の「森の中の淑女たち」。トロッタ監督の「ローザ・ルクイセンブルク」。 ---------------- 同時代史。 前橋育英が甲子園大会優勝。藤圭子(62歳)自殺。 ------------------------------ 学部長日誌「志塾の風」130822 | 編集 入試関係案件があり、関係者と相談して対処。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/12/25 06:51:07 PM
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