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カテゴリ:生活
17日、早稲田大学がホームカミングデーとして、呼んで呉れた。卒業25年、35年、45年とあり、最後に50年目があるそうだ。 今回は卒業45年目として呼ばれたのだが、始めは行く積りは無かった。所が仲の良かった仲間と、混声合唱団同期から、集まろうとの連絡が来たので、上京する事にした。 やはり、学生時代の友人知人に会えるのは楽しいものであり、もう一度最後の5年後の50年目に上京する事になりそうだ。 25年目の時は東京に住んで居たから、当然参加したが、それ以来、早稲田に行った事はない。大学周辺が、結構大きく変わって、先ずJR高田馬場駅前が大きく変わっていた。 その上、商学部のビルが新しく大きく成っており、全く昔の面影は無く、喜んで良いのか、寂しいのか、変な気持ちであった。 式典で驚いたのは、4代連続で早稲田出身と言う家族が16家族もあり、表彰されたが、これは驚いた。 サッカーの岡田監督も表彰されたが、どう見てもあの顔では、喋るのは下手だと思ってしまうが、不思議と話が一番上手だった。 それにしても、大きな大学で、生きている卒業生が56万人も居るそうで、高知県の人口の3分の2になるのである。これは凄い。恐らく都会では、石を投げたら早稲田卒に当たるのではなかろうか。 また合唱団仲間では、女性はホント変貌していた。始めは何処の叔母さんかと、誰も分からなかった。飲みながら、話を聞いていると、段々と思い出す程度で、お互い年を取ったものである。 友人や合唱団仲間と話し合うと、彼等の周辺の事が聞け、やはり、皆さんはそれぞれに優秀な方々なのだなと改めて感心した。 サッカーの岡田監督が話しをしている所です。若かった同期もこのような頭に成っている。 仲の良かった親友と。私は右から2人目。もう一人居たが、数年前亡くなったので、その墓参りに、次の日にお寺の墓地へ行った。 亡くなった彼は兼松に入社したが、定年間際のあの会社の生体解剖に会い、部門の長として、その社長になり、利益を出していたのに、病魔に遣られてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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