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カテゴリ:生活
この2月1日から、高知新聞の配達所が変わった。須崎市の一部を配達している新聞集配所であり、変わるのは、時々ある自然の流れで、別に問題ないのだが、どうも私には、目覚めの良くない夢を見たような感じなのです。 気分の良くない理由を説明すると、1昨年9月、我が部落の新聞購読者10名だけの配達を請け負っていた近所のS叔母ちゃんが、病気になった。この叔母ちゃんは配達所から、少々の報酬を貰って、受け取った新聞を部落内だけに配っていた。 だから、緊急事態の対処として、私が集配箱を作って、其処に一括で新聞を入れて貰い、10名がそれぞれ、その箱に取り行く様にした。 それはそれで良い案なのだが、その後、私と配達所のバトルがあった。私は、S叔母ちゃんに払って居た経費を、10名に振り分けて呉れるモノと思って、箱を作ったのだ。 だけど、集配所は、もう既にギリギリの経営だから、それは出来ないと言う。そして「許して欲しい。」とまで言われた。 だけど、私としては、納得が出来なかった。今の新聞は各家庭に配っての値段である。自分で取に行く以上、そのコスト分を単価で差し引くべきで、S叔母ちゃんに払っていた分は我々に還元するべきと、譲らなかった。 そしたら結局は、我が部落は、配達所が、直接個々に自宅まで配って呉れる事になった。そんな事件が有っての1年5か月の後で、急に配達所が変わったのだ。つまり、揉めた集配所が廃業し、新しい配達所が出来たのだ。 これからは、新聞の経営地獄に入る時代である。何故なら、インターネットの発達で、購読者が劇的に減っているのです。 新聞だけでなく、全ての出版物は、そうなっている。本もドンドン売り上げが減っているし、パソコン音痴の私でも、アマゾンで本を買う時代だ。アマゾンの本の売り上げが、日本で既に2割に達しているそうで、それだけ既存の本屋の売り上げが減っているのです。 元の集配所は、息子の代になっており、もう2代も遣っており、それでも新聞配達の廃業を決めたのだから、余り良い所得では無かったのだ。そんな時に、そのトリガーを私が引いたのかも知れないから、何か嫌な気がする。 そして、このニュースをブログに掲載する為に、私が1昨年前に作った集配箱の写真を撮りました。 そして、この箱はもう1年以上使っていないが、作った時、1万円を貰ったから、もう私のモノでなく、元の集配所のモノだが、元の配達所が取り除く事は一切遣らない。 どうせ、今後もそのままである。10年、20年後に腐って行くのだが、作った私が処分すべきかどうかである。 としたら、どうなるのだろうか? 何時までもこれから邪魔な不必要なモノとして、此処に残すのも、見っとも無いし、集落の皆は、私が処分するべきと思うだろうし、困っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.02.04 07:34:59
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