|
カテゴリ:生活
私は鶏を飼っているが、雌と雄の行動を見て居て、大きな差を常に感じるので、男女平等がどうも腑に落ちないのです。
男女平等というのは、当然なのですが、男女の機能とか、役割とか、心情等は大きく違っていると思う。 鶏の雄だが、何時も雌に乗って種付けしかしない。だけど、餌を与えると、「ココココ」と小声で、雌を呼び寄せ、雌が食べてからでないと自分は食べない。雌に対して非常に優しい行動をしている。 その上、一旦何か有ると、その雌達を果敢に守ろうとする。例えば、私が外に放している鶏を夕方になると、追って小屋に入れようとするのだが、私が雌を苛めていると思うのか、私と雌の間に分け入って、羽を広げ、私を威嚇するし、時には飛び上がって私に掛かって来る。 私を飼主と知っていても、雌を嚇していると感じると、その原因者から雌を守ろうとする。私に負けるのは分かって居ても、そんな行動を取るから、凄い闘争心と言うか、自己犠牲と言うか、素晴らしい雄だと感心する。 そんな行動を見て居るから、最近の菜食男子とか言われるが、菜食そのモノは良いのだが、その菜食男子の中に含まれる意味合いが、どうも自然界から掛け離れている様に感じて成らない。 そして、雌が卵を温めて、雛が生まれると、雛は何かあると、雌の羽の下に抱かれるように逃げる。間違っても雄の羽の下には行かない。しかも雌は雛を守ろうと羽を広げる。 これ等の行動をみていると、単純に雄と雌の差を理解できる。雄は群れと雌を守る性質が濃く残っており、雌は子供を育てる性質があるのだ。 だけど、今の人間社会では男女平等が常識となって、それが前面に躍り出たが、男女の役割は、自然界では大きく違うのだと感じて成らない。 それを人間は故意的に崩しているような気かする。第一、雄やら雌やら、どっちか分からない人を擁護する意見が多くなった。 マスコミでも、この様な変な人間がタレントに成ってテレビ画面に出て、色々言うのは、中止するべきだと思えて成らない。私はそんな輩が出るとチャンネルを変える。 そう言えば、県知事になった変人も居た。 昔から、そのような事は有ったが、社会の陰で、ひっそりと暮らしていたのだ。それで良いと思う。 そんな事に社会的なお墨付きを与え、公然と権利を擁護する必要は無い。少数意見の擁護も此処まで来ると、間違っていると感じる。 ホモやレズでは、次期社会は構成できないのだし、社会が彼等や彼女等を公然と認めるのは間違っている。社会の隅でヒッソリと暮らしたら良いと思うが。 こういう事を公がすると、この子供は変な家庭で育つから、益々このような人が増えて行く可能性が増えるのだ。一体どうなっているのでしょうか。公には遣って欲しく無いね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.18 06:22:05
コメント(0) | コメントを書く
[生活] カテゴリの最新記事
|