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カテゴリ:生活
或る雑誌を読んでいると、認知症患者の原稿で、VSED(自発的飲食停止)が出た。全く意味が分からなかった。 だけど、その後の文章では、アメリカでは、このVSEDが結構多く、或る看護士は100名程もの患者をVSEDで看取ったとあったので、ビックリした。つまり病院で死ぬまで、絶食をさせたと言う事の様だ。 何となく意味は分かるが、聞いた事ない熟語である。其処で早速パソコンの検索に「VSED」を入れて調べたら、分かった。「自発的餓死」だそうだ。 日本では、尊厳死も認められない社会で、尊厳死協会は自主的な団体でしかないが、先進諸外国では、回復が無理な場合は自殺と言うか、安楽死(尊厳死では無。)を認めている国家もあるが、この自分から食事を拒否するか、食事を受け入れるかは、どこの国だろうと犯罪では無く、本人の選択が自由でもあり、法律でどうのこうのと言う問題でない。 だから何処の国でも認められて居るようで、その死を、見つめて来た看護士がアメリカでは結構多いと言うニュースだったのだ。 これには驚いた。そう言えば、食事をしないで、死に向かうと言うのは、有り得る選択だ。昔、イギリスでサッチャーの時代だったが、アイルランドの独立闘争で、大勢の若者がテロに走った。 そうなると社会は危険だし、彼等を捕まえては、牢獄に入れたが、今度は食事を拒否して、水だけは飲んで、大勢の若者が死んで行った。 そのデーターが残っているが、彼等は若いから、51日~52日で死んで行くそうだ。しかもゾッとしたデーターは、40数日後には、目が見えなくなるそうだ。怖い死だし、彼等はそれを知って、食事を拒否して死んで行った。 だけど最近の、このVSEDで死んで行くお年寄りは、体力が既に無いから、15日位で死んで行けるそうだ。これは朗報だ。だけど餓死はどれぐらい苦しいのだろうか? それと大きな疑問だが、認知症になると、餓死を希望していても、もう餓死する自分の意思を忘れ、実行する能力が無くなって居るのに、どうして、病院の看護士が食事を与えなくても罪に問われないのだろうか。 私はパソコン音痴で、このアメリカの実態が良くは分からないので、このブログの読者の誰か、アメリカの実態を調べて、私に知らせて欲しいのだが。 その雑誌でのアメリカのデーターでは、伴侶や子供が分からなくなる程度の認知症になると、90%の人が、もう死んだ方が良いと思うそうだが、それは日本人も殆ど同じでは無かろうか。日本人はそれでも生き伸びたい人が多いのだろうか。 日本では「あんた、誰?」と子供や伴侶に言いながらでも、生きている人が多い。だから、日本の病院で餓死をしたと言うのは聞いた事無い。 ただ、アメリカでは、老人の施設に入ると、平均6か月で死んでいるそうで、理由は口から食事が出来なくなると、宗教上それ以上の介護はしないそうだ。だけど、これはVSEDでは無く、自然死だ。 日本では、国民皆保険のお蔭で、この無意味な人生が長く、数年も生きており、それで平均寿命が長いのであり、幸せな人生が長いのでは無いのです。
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Last updated
2017.05.05 06:55:05
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