|
カテゴリ:生活
13日の新聞で見たのだが、鎌倉幕府の時代に、元が2度も攻めて来たのだが、2度目は台風で殆どの船が九州の海で沈んでしまった。その残骸がまだ海の底にあるそうなのだ。 そんな大昔の沈船は夢がある。私は高知の過疎地に入植してから潜って居ないが、昔はアッチコッチで潜ったものだった。 潜水免許証も持っていたが、もう潜らないから免許証も捨てたが、ボンベを背中に背負って海を潜るのは、子供の頃からの夢だったのです。 高校生だったが、知り合いの鉄工所で、酸素ボンベを借り、島まで船で行って、潜った事があった。 だけどホースから継続的に空気が出るから、水中でその空気を吸う事は不可能だった。 結局は、バケツを海底の岩に括り付け、バケツの中にホースを差し込み、ボンベからの空気が溜まる様にして、そのバケツに顔を突っ込んで、息を吸ったものだ。だけどバケツの近くしか泳げないから、無意味だった。 結局背中に負うボンベを買ったのは、働き始めて、自分のお金が出来てからとなった。 潜水用ボンベはレギュレターと言う器具があり、吸っただけ空気が出て来るのです。そんな経験のある私だから、この沈船には、夢があるのです。 どんなモノが引き上げられるだろうか。当時の軍だが、指揮官だけが元(モンゴル帝国)の高官で、征服された南宋(長江の近く)と高麗(韓国)の兵で数万人の軍勢を組んで攻めて来た。この両国共に元に征服された被害国だから、戦意は余り無かった可能性もある。 まあ、一番の被害国は日本だったが、初回の文永の役は1274年で、北条時宗は23歳の若者だった。 2回目の弘安の役は1281年で、戦争中に台風が来襲し、殆どの船が沈没し、時宗もホットしただろう。 今回は、その船の残骸を引き上げようとしているのです。またこの台風で、神風神話が出来、それを国民に信じさせ、第二次世界大戦を戦ったから、被害が大きくなったのも事実だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[生活] カテゴリの最新記事
|