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カテゴリ:国内政治経済
まあ、最近はマスコミで毎日の様に、LGBTとか、同性婚問題が報道される。しかも、マスコミの報道は先進諸外国もそうであり、それが正しいのだと言う意見ばかりで、不思議で成らない。 動物は雄と雌で成り立っているのだが、それを変えようと言う意見であり、そんな事が出来るのだろうか? つまり結婚は男女でするもので、同性で家庭を持っても、何か不自然で、私は意見を言う気持ちが余り無かった。 だけどこれだけ話題になっているから、今回、自分の意見を言ってみるが、これは趣味の一種で、昔からあったし、趣味としてなら、害は無いし、それはそれで良いと思っていた。 だけど法的に、同性婚を認めるとなると、これは社会的な大問題だと感じる。 こう各地で同性婚の人々が、憲法違反だと裁判に訴えるとなると、誰もそれぞれ自分の違憲を言うべき時期に成ったのかも知れない。 そして民主主義の原則として、多数決で決めるなら、この同性婚は恐らく否決されると想像する。 だけど、害が無いなら認めても良いと言う人も大勢いるだろうし、皆様は如何でしょうか。 趣味なら、何も問題は無い。誰か或る絵を見て、素晴らしいと言う人も居れば、何とも感じない人も居る。それと同じだと思う。 だけど大昔、司馬遼太郎が、取材でアメリカに行き、同性婚の集まる集落に行って取材したのだが、雰囲気はギスギスしておらず、何かホンワカとしていたと言う文言を思い出した。 要は、同性婚の人は、ギスギスしておらず、何か柔らかい雰囲気を醸し出す人種のようでもあり、社会に悪影響は余り与えないようで、何となく認めたい気持ちにもなる。 そんな事で同性婚も、それが趣味なら裁判問題に持ち込む事自体が変だと思う。 だけど同性婚生活に色々と諸問題が起こるそうでもあり、認めても良いのかなあと、迷ってしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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