釈宗演遠諱100年記念特別展
一切皆苦→涅槃寂静。苦しみ前提の今→開放する為には、、。
仏、目覚めた人、の説いた教え、仏教(宗教)の実践、、。
禅を世界に、、、。
仏教(ぶっきょう)は、
インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、
もしくは
ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を
開祖とする宗教である。
キリスト教・イスラム教と並んで、
日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。
仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。
その教義は、
苦しみの輪廻から
解脱することを目指している。
原因と結果の理解に基づいており、
諸々の現象が縁起するとされる。
仏教は仏、
その教えである法、その実践者である僧からなる
三宝を中心に組織されている。
実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、
ものごとの縁起を観察する智慧であり、
後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。
実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、
いくつかの方法でまとめらている。
お 盆 に つ い て の 資 料
質問ありましたのでしらべて見ました。
地域により又家により多少違いがあるようですが、
参考と言う事でお願いします。
餓鬼精霊(無縁仏)
精霊棚(先祖の霊祭りをする棚)の前、
あるいは脇に一段下げて
里芋の葉などに供え物を載せて
餓鬼精霊(無縁仏)をまつる。
新 棚
新盆の家で作る精霊棚のこと。
家の軒先、表庭などに設ける。
青竹を組んで
四本柱の上に棚を作り、
青い葉(杉葉、桧葉)で飾ったり、
マコモで三方を囲う。
大きさは約一尺四寸、
高さ五尺ぐらいのものである。
その棚の上に浄水、供物など供える。
中伊豆町誌、年中行事より抜粋
資料として。
施餓鬼(せがき)とは、
仏教における法会の名称である。
または、施餓鬼会(せがきえ)。
六道輪廻の世界にある
凡夫の中でも、死後に特に餓鬼道に堕ちた
衆生のために食べ物を布施し、
そ の 霊 を 供 養 する 儀 礼 を 指 す 。
[由来]
目連の施餓鬼は「盂蘭盆経」によるといわれる。
この経典によると、
釈迦仏の十大弟子で
神通第一と称される目連尊者が、
神通力により亡き母の行方を探すと、
餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで
地獄のような苦しみを得ていた。
目連は神通力で
母を供養しようとしたが
食べ物はおろか、
水も燃えてしまい飲食できない。
目連尊者は釈迦に何とか母を救う手だてがないかたずねた。
すると釈迦は
『お前の母の罪はとても重い。
生前は人に施さず自分勝手だったので
餓鬼道に落ちた』として、
『多くの僧が
九十日間の雨季の修行を終える
七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、
心から供養しなさい。』と言った。
目連が早速その通りにすると、
目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。
これが盂蘭盆の起源とされる(ただしこの経典は後世、
中国において創作された偽経であるという説が有力である)。
け‐ど【化度】
[名](スル)《「教化済度」の略》仏語。
人々を教え導いて迷いから救うこと。
曠野化度の縁
釈尊の化度を受け曠野鬼神と眷属のために
諸比丘に飯食を施す事を定められた。
鬼子母化度の縁
訶利帝母に釈尊が衆生食を出すように定められた。
生飯(さば)の起源
生飯(さば)
人肉を常食としていた
曠野鬼や五百愛子のため、
他人の児を食う食人鬼女(訶利帝母)が、
釈尊の化度を受け、
不殺生戒で
肉を食することが出来なくなったので、
釈尊は弟子、比丘に食事のたびごとに
生飯を鬼人衆に施すことを定められた。
生飯をとり左手の親指のつけ根の辺り廻すのは、
人肉の香りをつけるためと云われる。
施 餓 鬼 棚
白木造り。
高さ三尺を過ぎないこと。
高さが三尺過ぎると
餓鬼群霊が台に昇って
供養を受けられないと云われる。
又棚が黒漆塗り等は真位(仏位)で
これ又、餓鬼は近よれない。