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カテゴリ:自分のこと
自分と家族というテーマで自分史を考えてみる。
子どもの頃の家族は4人家族。 父と母、兄と自分。 親戚関係は、特に母方との結びつきが強い。 母は3人兄妹の長女。 母の両親は家から車で15分ほどのところに住んでいて、週に1度くらいは実家に行っていた。 母の実家は大変仲が良く、ゴールデンウィーク、お盆、正月、ことあるごとに祖父母の家に、母の弟と妹、つまり自分から見るとおじ、おばが集っていた。 おじ、おばの子どもたち、つまりはいとこ同士も集まった時には仲よく遊んでいたと思う。 いとこは自分、兄を含めて6人いるけど、そのうちの一人は今もしょっちゅう遊んでもらっている。 小さいころから、その親戚たちに育てられ、見守られてきたという感覚がある。 兄とも大変仲が良くて、今でも年に何度かは会っている。 幼少時代:友達と遊ぶことよりも、兄と遊ぶことの方が多かった。家の近くにだだっ広い河川敷があり、そこで思い切り遊んでいた。今にして思えば、バットとボールを思い切り使えるし、川で遊ぶこともできるし、冬になると河川水位監視場(ていうのかな?)の屋根から5メートル下の雪に飛び降りるなど、やりたい放題やっていた。 小学校時代:クラスメイトのほとんどが、兄弟仲が悪かったり、親のことをばばあと言ったりすることに、非常に疑問を抱いていた。 1997年4月:札幌の大学に入学、実家を離れる。 2002年1月:就職活動で、東京への就職を考えた時、一応母に相談。あんたが決めたならいいんでない?と。兄に親と離れてしまうことを相談。そこを気にしてくれるのはありがたい。まあ大丈夫と。 2003年4月:就職のため上京。 2004年5月:妻と出会う 2004年12月:妻と婚約。ここから反対する妻の実家への接触にかなりの時間を要するも、説得できず。 2005年6月ぐらい?:電話、手紙でも妻の実家に連絡が取れないため、強硬手段としてアポなしで妻の実家に乗り込む。強引に結婚のあいさつをすませるとともに、妻は母親と絶縁。このとき、妻は実家を捨てて自分のもとに来てくれたという責任感のようなものを意識。 2005年10月:妻と結婚。披露宴は友人のみ招待。実家も職場も呼ばず。(後日、自分の実家ではお披露目会を。) 2008年:妻が息子を妊娠。 2009年2月ぐらい:妻が切迫早産になり、家で寝たきり状態に。 2009年4月:無事、息子誕生。 2009年7月:夢の研究所への異動決定するも、ここから猛烈な忙しさに。自分は育児にはほぼ関われず。 2010年9月:忙しすぎて離婚の危機 2011年3月:大震災。原発爆発。妻が放射能を気にする。女性の命に対する感覚を知る。理屈で放射線を理解していたことに気づく。 2012年4月:9年間勤めた会社を辞めて念願の北海道移住。 2012年5月:トモエ幼稚園入園。妻がトモエの素晴らしさを語るも、自分にとってはいい幼稚園だけど、ある意味普通の幼稚園。なぜそんなにすばらしいの?と言い争い。この時はわからなかったが、のちにそれは、それぞれの家庭環境や生い立ちが大きく関係していたことに気づく。 2013年1月:タイへの家族旅行。6日間ずっと家族でゆっくり過ごせた幸福感を感じる。旅行中、二人目の妊娠が判明。 2013年4月:函館への就職が決定。妻はトモエ幼稚園に通いたいため、妻と息子は札幌に残る。単身赴任生活開始。 2013年6月:妻の切迫早産。札幌にいた妻と息子を札幌に迎えに行き、飛行機で函館へ。そのまま函館の病院へ入院。息子との2か月間の二人暮らし生活。 2013年8月:娘誕生。産声を上げられず、出産直後に大病院へ緊急搬送。妻、続いて娘が退院し、函館での4人暮らしスタート。しかし、激務により相変わらず自分は家族にほぼ関われず。 2014年7月:コミュニティ、白百合幼稚園を求めて元町の古民家へ引越し。 2014年12月:一人育児がたたり、とうとう妻が爆発。仕事を辞める相談をしに校長のもとへ。結果的に1年間の育児休業を決める。育休中は札幌に行ってトモエに再び通うことに。 2015年2月:妻と子供が先に札幌入り。育休開始までの2か月間、一人暮らし。やはり精神的に家族と離れるのはきつい。 2015年4月:育休スタート。幸せの日々。ここからのことは、このブログに詳しく書いてあります。 2015年6月:育休後の職場復帰をやめた。職場にその報告を。 2015年7月:パーマカルチャー研究所を設立。研究テーマの一つに、「ストレスフリー育児」を掲げる。 で、自分にとっては、やっぱり家族と一緒にいたい。 仕事で忙しいのははっきり言って好きではない。 付き合い酒やら残業やらで家族時間がないのは、不本意なことこの上ない。 そんな状態を息子が生まれてからほぼ6年間ずっと続けてきたようだ。 そしてようやくこの時間。 大満足。 家族と一緒にいるのはよい。 最近妻と色々な話をする中でわかったこと。 自分は両親に相当愛されていた。 存在を尊重されていた、自分の考えを尊重されていた。 勉強しろと言われたことはない。 基本的に、あんたはえらい、すごいと言われていた。 (覚えている否定言葉は、母からの「あんたは服のセンスがないんだから(母が選んだ)この服を着なさい」ぐらいかな。あ、食べたくないおかずを無理に食べさせられたこととかもあったかな。どれも小さなことです。) 社会に適応できない、だから自殺したい、という思いはあったけど、両親から否定されている感覚は全くなかったな。 妻が言うには、それは自尊心に非常に良い影響を与えているとのこと。 そう言ってくれるので、最近なるほど、そうだなという感覚になってきた。 で、自分は育休とって、子どもとたくさん関わりながら、存在そのものを愛することで、子どもの自尊心を育てられたらいいなと思っている。 今は子どもたちはパパ、パパ言うけど、あと数年もすれば、息子も娘も離れていくでしょう。 そのとき、そういう愛されている感覚を持っておいてもらえれば、あとはいい感じで育つでしょう。 正直、子供二人には、期待してます。 二人とも相当おもしろいから。 妻には感謝。 このぶっとび生活を、違和感なく受け入れてくれて一緒にやってってもらえてるのはすごい。 普通の人ならこういう生活できないらしいね。 まあ、自分が育ったような家庭を作れればいいんでない?と、今のところ特に子育てには悩んでいません。 このまま悩みなくいければいいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.05.30 17:44:03
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