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カテゴリ:ヒーリングの為の基本的概念
~心願成就駅 ~ (人気ブログランキング参加中です) ********************************* ~浄化力抜群の般若心経とは、どのような教典?~ 般若心経 釈迦三尊、浄化の間 釈迦三尊、浄化の間のブログの詳細は、下記の画像をクリックしてご覧下さい。 【はじめに】 般若心経は、数ある教典の中で最も有名なお経で、正しくは般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)、または摩訶(まか)般若波羅蜜多心経といい、大乗仏教の経典である大般若経六百巻からその真髄を二百六十二文字にまとめたもので、仏教の核心部分を表現したものです。般若(はんにゃ-)とは古代インドのサンスクリット語パンニャー(智恵)の音写で、波羅蜜多(はらみーたー)とはパーラム(彼岸)とイター(渡る)を合わせたもので、それまで小乗仏教が説いてきた苦行による煩悩克服(自己の宗教的完成)の教えに対して、智恵で彼岸に渡る(悟りを開く)ことを初めて説いたものです。内容は深遠な空「くう」の境地を説いたもので、お経の構成は観自在菩薩(観音さま)が舎利子(釈迦の弟子の一人の名)に対して、教えを説く形になっています。空「くう」とは一切のこだわりの無い心つまり「無」のことで、(財物、地位名誉、愛憎、生死などに対する)執着心を完全に捨てると、おのずから「空」の境地が開けてくる。これこそが真理であり、現世の一切の苦しみから解放される道であると説いています。 般若心経は、真言密教の開祖である空海が、持ち帰ったものと記されていますが、『般若心経秘鍵』(はんにゃしんぎょう ひけん)は、818年頃に空海によって書かれた『般若心経』の注釈書です。ところがその真髄となる部分は、門外不出とされていた説があり、その為、現在、世に出ている般若心経の教典は、大事な所を外した効力のない教典と捉えている学者もいるようです。 しかし、本当に世に出ている般若心経は、効力のない教典なのでしょうか?、私見では、答えはノーです。今回、この般若心経の本当の意味とその真髄に迫りたいと思います。 【般若心経の直訳】(三蔵法師玄奘訳) 観音菩薩が、深遠な知恵を完成するための実践をされている時、人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて、すべての苦しみを取り除かれたのである。そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ、形あるものは実体がないことと同じことであり、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである。したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。残りの、心の四つの働きの場合も、まったく同じことなのである。舎利子よ、この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、もともと、生じたということもなく、滅したということもなく、よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、増えることもなく、減ることもないのである。したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、感覚も念想も意志も知識もないし、眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。さらに、悟りに対する無知もないし、無知がなくなることもない、ということからはじまって、ついには老と死もなく老と死がなくなることもないことになる。苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。知ることもなければ、得ることもない。かくて、得ることもないのだから、悟りを求めている者は、知恵の完成に住する。かくて心には何のさまたげもなく、さまたげがないから恐れがなく、あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、永遠にしずかな境地に安住しているのである。過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は知恵を完成することによっているので、この上なき悟りを得るのである。したがって次のように知るがよい。知恵の完成こそが偉大な真言であり、悟りのための真言であり、この上なき真言であり、比較するものがない真言なのである。これこそが、あらゆる苦しみを除き真実そのものであって虚妄ではないのである、と。そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。すなわち次のような真言である。往き往きて、彼岸に往き、完全に彼岸に到達した者こそ、悟りそのものである。めでたし。知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。 *********************************** 【般若心経の解釈】(真言系) 真言系では、般若心経のすべてはこの『羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』の 18文字に集約され、前後はその説明文にすぎず、そしてこの真言の部分を人間の拙 い理解力で解説することは数々の誤解を生む、と記されているようです。 仏とは彼岸の智慧を得た者をいう。彼岸の道に向かって深く行じていくと、因果の原因は本来無いものと心の眼で捉えられる。そうなると、一切の苦しみと災難から超えることになる。 舎利子よ、一切は自分があるようで無い。すべては一つなのだ。それゆえ、舎利子よ、この世のさまざまな因果の法則は、生じることもなければ滅することもない。垢もたまらなければ浄(きよ)まることもない。増えもしなければ減りもしない。それゆえ、空の中に色(形、存在)があるというのではなく、二つは一つなのだ。 また差別、境界、肉体にまつわる様々な自我の思いは本当は無いものだ。無いから、迷いも、迷いの尽きることも、老死も、苦悩もない。いわんや小賢(こざか)しい知もない。肉体にまつわる自我を去ると、このように見え、わかってくる。菩薩行(ぎょう)の末に彼岸に着くと、神仏の智慧が与えられ、ものの真相が明らかになる。 般若の智慧を得ると、心に囚(とら)われがなくなり、恐怖の心も湧かなくなってくる。物事を逆さまに見ていたことから遠く離れるので、行き着く先は神仏の世界しかないからである。諸々の仏といわれる者は、一人も漏れなく大いなる神からいのちの果実を与えられ、大安心を得た。ゆえに知ることだ。彼岸への道は、これ大いなる神への祈りであり、一切の智慧の教えであり、これにくらべる道はない。 能(よ)く一切の苦を除いてくれる。真実にして偽りのないものだ。ゆえに、この説を指して不変の教えという。教えを要約するとこうなる。あなたも、わたしも、神仏を信じて一心をそれに託し、努め励んでゆくならば、安心の境涯に達することができる。永遠に変わらぬ心の教え。 *********************************** 【私見考察】 以上の参考資料を見てみると、どうも般若心経の教えは、悟りを開く為のバイブル書のようです。しかし、これでは、まだ、抽象的で簡略化しており、理解できない部分も多いようですね。もっと深く掘り下げた内容のものが必要だと思いました。ただ、この教典は、効力がない事はないと思います。私の経験でも実際、写経によって願望実現が強まると言った不可思議な現象を体験した事があったので、やはり、魂的とでも申しましょうか、何か不思議な力があるのだと思います。次回は、更に、この般若心経が教えているものは何かを具体的に掘り下げてご紹介していきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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