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会社辞めちゃった。

2006.11.20
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会社を辞めた”表”の理由についても少し触れたいと思います。



”表”だから明るくね大笑い



元々、独立心は強かったと思います。





入社したとき、「社長になってやるーーー!!!」って思ってたぐらいですから(笑)




で、僕が真剣に会社を辞めようって思ったのは結婚してから。




嫁に言わせれば「結婚する前に言えよ怒ってる」って話ですが、それは言っても仕方ない。




で、なんで結婚してから思ったかっていうとね。



結婚してから読書するようになったんです。





あんまり意味分からないっすか?





独身のころは寮に住んでました。


会社から歩いて2分。





8:20が定時なのに、8:13に目が覚めて会社に間に合ったことがありましたから(笑)






で、結婚してから電車通勤するようになったんです。





電車の中では暇です。




読書するようになったんです。









最初に読みはじめた本はこれ。


坂の上の雲




司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」です。





なんでこの本かっていうと、日経ダイアモンドとかの社長インタビューとか見てると、

「あなたの感銘を受けた本はなんですか?」

ってアンケートがあると、十中八九「坂の上の雲」って答えてたんですよね。






まさに社長御用達。

「社長が『坂の上の雲』を読んでない会社は東証一部上場させてやんない」

なんて国会で決まってるのではないかと、半ば本気で考えたぐらい、判を押したようにその本をみんな推してたんですよね。





社長を目指す僕としては当然読まねば!ってなわけで読み出した。





だけど読んで愕然!!!




何でこんな内容の本を社長が読んでんだ!?




つづく







最終更新日  2006.11.21 01:32:59
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2006.11.09
話術と強硬な態度だけでは誤魔化しが効かなくなってきた。



もうすでに誤魔化しが効かない。

大体、実績も何も仕事してないのだから、成果なんてあるはずもない。





僕は仕方ないから仕事をすることにした。

ある程度の結果は出さないと、会社員としてさすがにマズイ。






しかし長期間の仕事放棄から、僕の体質は全く変化してしまった。

もう仕事を受け付けない体になっていた。




それは思っていたよりも深刻で、僕の体は文字通り仕事を受け付けなかった。





仕事を始めても、10分も続かない。

と言うよりもスケジュールすら立てられない。

仕事をするのが自分の、何か大事なものを捧げているような気がして、とても勿体無く思えてくる。








ある日は仕事のことを考えただけで吐き気がした。






ある日は理由もなく悲しくて、失恋した女子高生のようにおいおい泣いた。








今思うと病気だったのかもしれません。


そのときは全く気づきませんでしたが・・・



うつ病の始まりって、ああいう状態なのかもしれない。








そんなこんなで辛い毎日を送っていましたが、年末の成績考課の時、これでは半期の業務報告が全く出来ないと思い、また成果が出ていない自分を曝け出すのがたまらなく耐えられなくなり、、、





課長に辞意を伝えました。










特に慰留されたわけでもありませんでした。


まあ辞めるんじゃないかと思っていたよって言われました。






取締役連中は僕が辞めるのを惜しんでくれました。

社長などはわざわざメールをくれて「君の退職はわが社の損失」とまで言ってくれました。




さらに後輩たちも、僕が辞めることについてとてもショックだと言ってくれました。






僕が去ることについて悲しんでくれる人、惜しんでくれる人がいただけ僕にとっては幸せでしたね。






そんなわけで、僕は会社を去りました。














~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


と、まあ暗い話を続けましたが、この話は僕が会社を辞めることになった




裏の理由です。






ただただ、嫌になって辞めたわけではなく、きちんと表の理由もありました。

簡単に言うと、金持ちになりたいとか、独立して自分の手でやっていきたいとか、ありきたりな理由です。





僕は辞める前、そして辞めてしばらくは、僕の心の中には表の理由しか存在しませんでした。


だから会社を辞めるときは、本当に晴れ晴れとした気分で辞めていきました。






僕は前向きに、もっと金持ちになるために、自分の足だけで歩んで行くために、会社を辞めました。



そのつもりでした。







でもね、僕の心の中には、今回書いたような裏の理由がちゃんとあったんです。




それを今まで僕は、自分の中でひた隠しにしていた。






それに最近、気がついたんです。







自分の心に嘘をついていたんですね。









その清算のために今回、このようなことを書きました。




きちんと清算されたかどうかはこれからの僕次第なのでしょうが、少しは心の中のゴミを掃除できたような、そんな気がします。












最終更新日  2006.11.10 01:43:22
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2006.11.03

こうして相変わらず周りの評価は保ちつつ、仕事をほとんどしない日々が続いた。





仕事しなくても評価が上がるという特異な状況に置かれたら人はどうなるか?




まず仕事を真面目にすることがバカらしくなってくる。

”労働力を提供して対価を受け取る”のが労働の基本である。労働力を提供しなくてもお金がもらえると、労働力を提供するのがもったいなくなってくる。




周りの人間が全員バカに見えてくる。

”なんでこんなにみんな一生懸命働いているんだろう?”って哀れに、可愛そうに思えてくる。会社にいいように使われて、ボロボロになって、家族との時間も削られて・・・
僕はこのころ本気でみんなが可愛そうに思えていた。




そして、会社を辞めたくなり、その気持ちを正当化するようになってくる。

元々辞めたいって気持ちはあったのだが、ますます辞めたくなってくる。周りが、特に上司や経営者連中がバカばっかりに見えてくる。こんなヤツらの下で働くのは自分にとってマイナスであると思えてくる。













今思うと労働者として、社会人としてクズである。

しかし当時は本気で、僕が正しく、周りの人間がクズだと思っていた。
特に会社に忠誠を尽くす、もしくは忠誠を尽くした振りをして仕事もないのに遅くまで残業するような人間を心の底から蔑んでいた。
(実際には本心から会社に忠誠を尽くす人間など皆無であったが・・・)




そしてそういう人間もまた、僕を嫌うようになった。









そのようにして毎日を過ごしていた。


会議では相変わらず偉そうなことを言って、仕事はサボり、一日全く仕事をしない日が週の半分を占めることもあった。






そんなとき、いつものように会議があった。


そのとき、すでに報告する内容がないことに気がついた。




あたりまえである。

ほとんど全く仕事もしてなかったのだから。


言われたことを、自分で決めた期限よりも早くこなしてただけのこと。







本来は何も言われなくても自分から仕事をするのが当然。


こんな僕に何か報告できるような結果があるわけない。








今までは話術と強硬な態度だけでやりすごしてきたのだ。






つまり誤魔化していた。









でももう誤魔化しが効かなくなってきた。












最終更新日  2006.11.03 10:18:25
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2006.11.02

僕の評価は仕事をしなくても上がっていった。




会社なんて屁でもない。

何もしなくても評価があがるのだから・・・




僕はそう考えるようになりました。







そんなとき僕に、いや僕のチームに転機が訪れます。





僕の課に退職者が出て、その穴埋めを僕の後輩がやることになったのです。

十分仕事も出来るようになったし、重要なポストでも問題なくこなせるだろうとのことから。




彼は僕から離れるのは不安だと言ってくれましたが、彼が上手くやれること、そして彼にとってもチャンスであると言うことから、後押ししました。





再びやってきた僕一人の仕事。








まあ、後輩がやってきたことだから、難なくこなせます。






でも真面目にやるのもバカらしい。

このころ僕は真剣に独立を考えだしていましたので、真剣に仕事する気は全くありませんでした。
(今思うと本当にバカです。)







僕は以前のように”仕事が出来るが意見も言う有能な社員”を演じました。







具体的には、まず仕事を振られれば、自ら期限を決めます。

それが3日でできる仕事なら「一週間以内にやります。」という感じに、実際より長い期間を設定します。




3日で出来る仕事を一週間に設定することによって、無能に見られないか?なんて心配があるかもしれませんが、大体、自ら期限を設定する人なんて会社には皆無です。

みんな守れなかったら困るので、あやふやな期限しか設定しません。




そこを自信満々で期限を設定する。

「若手バリバリ自信満々有能社員」の一丁揚がり。




そしてそれを5日でやるのです。




元々3日で出来る仕事ですので、こんなのは簡単に出来ます。

でも周りから見れば「一週間でやると自ら設定したものを、5日でやるとは・・・」と驚いてくれます。




他には会議では積極的に発言し、自分しか知らない知識を、健康食品メーカーの営業マンのように大げさに話したり、少しの結果で報告書を何枚も作成したりして、自分の”有能さ”をアピールしました。


その一方、報告書作成・市場調査と偽りインターネットに耽ったり、出張をなるべくたくさん入れ昼からで十分間に合う出張に朝から出かけたり、他部署に出かけて人と世間話をしたりして、サボれる時間を最大限サボるように勤めました。










こうして相変わらず周りの評価は保ちつつ、仕事をほとんどしない日々が続いたのです。











最終更新日  2006.11.02 10:19:24
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2006.11.01
この後、僕の物語からI部長は退席願うことになります。

僕の会社員人生を大きく舵取りしたI部長をこのままフェイドアウトさせてしまうのは勿体無いので、ここで彼の顛末を書きたいと思います。




彼はその後、急速に人望を失うことになります。

彼の会議での発言力は次第に衰えていき、だんだんと部下も言うことを聴かなくなってきました。




今までは過去の遺産(つまり若いころの実績)で大きな顔をしていただけであり、上司としての資質が無いことに、皆が気づき始めたのです。






そんなころ彼に転機が訪れます。

製造部長への人事異動です。(今までは技術部長)



製造部長から海外支社の社長を経て社長に就任するという、いわば出世街道。






彼も、人望は失われつつあるとは言っても、出世コースに乗っかっていたのです。


しかし製造部でも人望はありません。





人望が無いからといって、どうにかなるようなタマではないのですが、技術部では周りにイエスマンしか配していなかったのに製造部では古参課長を始めとして、I部長の言うことを聴く人は誰もいませんでした。




人望ばかりか、生気までどんどん失われていくI部長。



(ちなみに僕はこの時点で退職しました。)





さらに、そんな彼にも再度転機が訪れます。






社長への規定路線のタイ支社長の就任です。

製造部であまりいい思いをしてこなかった、しかも出世コースまっしぐらとあれば渡りに船です。



二つ返事で快諾し、タイ支社長に就任しました。







しかし待っていたのはさらに辛い現実。

彼に何があったのかは、すでに退職してしまった僕にとっては伝え聞くことしかできません。



ただ、彼はタイ支社長就任3ヶ月でなんと一週間も行方をくらまし、その後一日だけ挨拶に出社して、突如日本に帰国したそうです。



名目上は「体調不良のため」ということになってますが、もちろん「逃げた」のです。

言葉の壁、習慣の壁、そんなものに意外と弱い彼の精神はもろくもズタボロになってしまったのです。






しかも一週間も無断欠勤をするような人間をタイ支社長においとけるはずもなく、彼はそのままタイに帰ることはありませんでした。


その処分は二階級降格という厳しい処分で、今は閑職に追いやられているとのことです。













今までI部長との確執をつづってきましたが、僕は今、I部長に恨みの気持ちはありません。


そういう彼の不幸を耳にして最初に湧き上がった感情は「ざまぁ見ろ」よりも「やっぱりな・・・」です。




彼はいずれ失墜すると僕は思っていましたから。






むろん、退職する直前まで憎んでおり、心の中で蔑んできましたが、今は本当に気の毒であると思います。




若いころは本当によく仕事をし、若手のリーダー的存在で、皆から愛される人だったようです。

そして実績をたくさん残し、今の会社の技術の礎を築いた数人のうちの一人と言っても過言ではありません。



それが金に権威に目がくらみ、人望を失い、このような結果になったのですから。













そして今では感謝しています。




僕は彼のおかげで幾分強くなったと思います。




そして会社を辞めるきっかけになった。





会社を辞めて正解だったのか、失敗だったのか、今の段階では分かりません。


ですが、いずれ僕はサラリーマンという職業から退職していただろうし、今の段階で経済的に成功しているわけではありませんが、早くそのステージに立てたことが僕の財産になると思うのです。




それが結果的にいい方向に向かうなら、I部長は僕の恩人なのかもしれません。






ありがとう、I部長。



そして心より、あなたの復活と活躍を願います。












最終更新日  2006.11.01 10:12:58
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2006.10.31
実は10/28~10/30で沖縄に行ってきました~

楽しかったけど、実は大変だったのだ・・・



詳細はまた書きますね♪



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


I部長が僕を恐れたときから僕には怖いものが無くなった。



僕の、いや社内ほとんどの人間に対して脅威であったI部長の恐怖から開放された僕は社内で増長していくことになる。





まず、会議での発言権が強くなった。

今までどんな良いこと、会社のためになることを言ってもI部長の気に食わないこと、そして彼の部署にとって不利益な意見はすべて抹殺されてきた。







しかしI部長は僕に何も言えない。

僕の会議での発言は全て承認され、全てが正しいことのように認識された。







発言権が大きくなると、当然仕事も回ってくる。

しかしすでにやる気の無くしていた僕は、そんな回ってくる仕事をすべてこなしてやろうなどという気概もない。




そこで会議でいかに自分の仕事量が多いか、そしてその仕事一つ一つがいかに会社にとって重要かを声高に語った。

それほど仕事量が多かったわけでもなく、それほど重要な仕事を任されていたわけでもないのにその発言は大いに認められることになった。








今まで一人でやっていた仕事に後輩が一人つくことになる。

一人で十分な仕事量に対して二人でやることになった。



(僕の部署では基本的に一人で仕事をする。役職がつかない限り下の人間がつくなどは通常ありえないことである。)







そのうち僕は後輩に全ての実務を譲り、業務報告だけをするようになった。




業務報告といっても毎日するわけではない。


僕は取引先との連絡、打ち合わせや社内調整などと称して、他部署で話し込んだり、パソコンでインターネットをしたりするだけの日々をすごした。







幸い彼は優秀で、僕のことを慕ってくれていたこともありよく働いてくれた。




僕たちのチームの評価は上がった。

会議では後輩がアイデアを発案し、全ての実務を行ったということを印象付けるプレゼンテーションに勤めた。

事実、そうなのだから。





後輩は自分が僕から認められていること、そして社内的にも評価がうなぎのぼりに上昇することに感動し、僕に大いに感謝し、尊敬の念まで抱くようになった。


そしてよりいっそう働いた。





一方、僕も成果をすべて後輩に譲るすばらしい先輩として、社長から新入社員にいたるまで評価は上々であった。





怠惰な毎日を過ごすだけで、僕の評価だけが右肩上がりに上がっていった。










最終更新日  2006.10.31 09:21:59
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2006.10.27
あの事件以来、I部長は僕を避けるようになった。


事件後、初めてI部長と廊下ですれ違った日。





おそらく僕と彼との力関係が、一部分だけ逆転した。





もちろん彼は部長で僕は平社員。


どうひっくり返ったって、彼に何か指示できる立場になれるわけが無い。





しかし彼と僕の中には、説明できない力関係が生まれた。




僕は彼と廊下ですれ違うとき、事件後最初にすれ違ったときと同じように、胸を張り、彼の目をじっと見据えてすれ違う。



そして道は譲らなかった。





あえて廊下の真ん中を歩く。



最初のうちは道をよけた後、ブツブツ負け惜しみのようなことを呟いていたが、そのうちすれ違いそうになると、急用を思い出したふりをしてUターンしたり、あるいは事前に進行方向を変更したりした。






彼は会議で最も発言力のある人物で、10年後の社長は間違いなしと目されていた。



そしてその豪腕から、皆が彼を恐れていた。







しかし彼は僕を恐れた。






僕はその時点で会社に怖いものが無くなった。。。













最終更新日  2006.10.27 09:09:14
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2006.10.26
事務の女性に課長経由で部長にお金が渡ったことを聞かされた。




もちろん怒りが僕の頭を直撃した。



胸のあたりから何かが湧き出て、喉を通り、鼻腔を焼き、目を充血させ、頭に到達するのを感じることが出来た。




僕が怒りの矛先を向けた先は課長。

部長に言っても、勝手に課長がくれたとか言われるとどうしようもない。



そこは冷静だった。




僕は課長に詰め寄った。

「課長、部長に社長賞のお金を渡したそうじゃないですか。」




すると課長は心底「やってられないよ」的な表情を浮かべ、こう語りだした。

「そうや。

あの部長もなぁ。。。
本当に大人気ないよ。俺も参ったよ。普通部長が部下の金を取ったりするか?大体あの部長は昔から俺は知っているが人間らしい気持ちを持ってないんだだから家庭も上手くいかないみろよそれを証拠にあの部長は誰からもジンボウガナイシカチョウレンチュウモ・・・」

と、延々続く部長批判。



『俺はお前の味方だよ。でもな、俺もサラリーマンだから部長には逆らえないんだよ・・・』

というシナリオの言い訳を準備していたようだ。





彼は部長の今までの悪事や、いかに部長が部下から人望が無いかを雄弁に、そして自慢げに語った。

だからと言って「そうですよね~」なんて、僕が同調するとでも思っている課長の思考回路がイカレていると冷静に考えてたことを、妙に記憶している。






一通り話しが終わると、課長は僕の発言を待った。



だから僕はこう言いました。

「でも、渡したのは課長でしょ?」




課長は何も言い返せなかった。






僕はその場を立ち去っても怒りは収まらなかった。



でも、ここで部長に詰め寄り、何か言ったとしても無駄だと感じた。




今思うと、本当に可愛そうな人だ。



たった20万円(部長が取っていった金額は20万円だった)で、これからさらに部下からの人望が下がること、そしてそれがどんなに自分にとって不利益であるかということを彼には理解できないのだ。

でも冷静にそんなことを考えるほど僕の怒りは小さくなかった。







僕は次の日になっても怒っていた。



怒りは収まらなかったし、収める方法も知らなかった。



いろんな人にこの話を話して回ろうかと思ったが、その必要もなく噂はすぐに広まった。

だからと言って何かが起こるわけでもない。






次の日、廊下でI部長とすれ違うことになる。


心なしか、I部長が小さく見えた。どうも罪悪感があるようだ。



I部長は少し節目がちに僕に挨拶してきた。








僕は、彼の目をじっと見据え、胸を張り、ただただ黙ってすれ違った。










最終更新日  2006.10.26 09:27:57
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2006.10.25
社長賞を受賞して談笑しているときにやってきたのはI部長。


彼は去年まで僕のいた課の課長、つまり僕の直属の上司でした。




仕事は出来ると評判ですが、他人に厳しく自分に甘いその性格から、部下からの人望はありません。




それでもその豪腕ぶりから、その会社では最も若く部長に昇進した人です。
(後に彼は失脚するのですが、それはまた別の話。)






その彼がニコニコしてやってきました。

そして冗談っぽく


「その金、俺にくれ。俺がアイデア出したったんやんけ。」


普段のたわいも無い冗談でした。




僕もニコニコ笑顔を返し、


「またまたぁ。はっはっは。」

と適当な返事を返すと、I部長は笑いながら会議室に消えていきました。







ちなみに僕が所属していた課の「社長賞のお金は課全体のもの」というルールはI部長が課長時代に決めたものです。



若いときの社長賞のお金は自分で独り占めしていたらしいのですが、課長になったらお金がもらえないので、そういうルールにしたとか。





なんにせよ、すでに課とは関係ないのでI部長に社長賞の賞金を享受することはありません。





もっとも部長ですから。

それなりの給料も貰ってるし、そこまで金に執着することもないでしょう。







しかし彼のお金に対する執着は予想以上のものでした。






しばらくたったある日、お金を預かってくれていた事務の女性に呼び出され、こう告白されたんです。


「ごめん本田くん。課長に言われてな、部長にお金渡してん。」











最終更新日  2006.10.25 09:49:39
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2006.10.24


だんだん腐りつつあったある時期。




ある嬉しい出来事がありました。










僕が新入社員の時(つまり春の競走馬のように野望に燃えていたとき)に取り組んでいた仕事で社長賞一級ってのをもらいました。




(実はこのとき入社4年目。新入社員の時の仕事が4年目に評価された理由は「入社二年目のヤツに社長賞を取らせるのは良くない」とかの下らない課長の判断で申請を遅らせていました。)






今にして思うと、結構期待されていたのかもしれません。


新入社員の時に社長賞が取れるぐらい、大事な仕事を貰っていたのですから。






社員はグループ全体で1,000人強。
その中で社長賞一級は4人しかもらえません。


名誉ある賞です。





賞金も50万円だったかな?

名目上はすべて僕のものです。
(もちろん、一人で仕事していたわけではありませんから、半分は協力してくれた関係部署に配り、残り半分は課の飲み代になります。そういう慣習でした。)






このときはさすがに嬉しかった。






お金なんて別にどうでも良かったです。

(どうせ僕の手元には残りませんから。)





それよりも達成感とか、認められたこととか、社内報にデカデカと掲載されることとか(笑)、すごく嬉しかった覚えがあります。





腐ってた気持ちが、癒されるような感覚でした。


明日から頑張ろう!

そんな気持ちでした。








で、同じように社長賞3級を取った同僚と嬉しく談笑していたら、ヤツがやってきたのです。





I部長でした。












最終更新日  2006.10.24 09:51:52
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