2008/12/22(月)11:23
「華氏451」 【監督・フランソワ・トリュフォー。1966年】
レイ・ブラッドベリの原作「華氏451度」は遠い昔に読んだ。
細部はすでに覚えていない。
映画化されたものがある、ということは知っていたので、いつか見てみたいと思っていた。
今回、NHKがBSで放送してくれたので見ることができた。
冒頭でアンテナが強調されるのがなんなのか分からなかったが、その理由は途中で明らかになる。
話は近未来。
「書物は害毒だ」という政府の方針で、書籍の所持を禁じられ、見つけ次第「fireman」が燃やしてしまう。「消防士」である「fireman」が、文字通り「炎の人」になっているのが皮肉なのだが、字幕では単に「消防士」になっていた。かといって「ファイヤマン」では、それが「消防士」でもあることは分からないし、仕方がないところだ。
当然のことながら、主人公は自分の仕事に疑問を持つようになり、やがては法に背く。
ブラッドベリもトリュフォーも、管理社会への反発などというものを描いているわけではなく、人の心の中に豊かな精神世界が必要であることを描いているのだろう。
自分に疑問を抱かない人は、それはそれで幸福だろうが、何も考えずに暮らすというのは、ものを考えることに目覚めてしまった者には、できないことなのだ。
法の力で行動は制限することができるが、内心を返ることはできない。
たとえば、「毎週土曜日にはチャーハンを食べなくてはならない」という法律を作ってチャーハンを食べさせることはできても、チャーハンを好きにさせることはできない。
そういうことを理解していない人は少なくない。
この映画の中の世界は、人間は都市部に集中して住んでいるが、それでも緑豊かで、それぞれの家の敷地は広い。
子供は非常に少ないようだ。
書籍を保持するのではなく、その中身を記憶している人たちが登場する。
いつか、本の形で復元できる日が来ることを信じて。
その中に、日本語の本を暗唱している人がいて、ちょっとだけ日本語が聞こえる。
「他人の陰口」などという言葉が聞き取れる。何となく、太宰治かなあ、と思うのだが、分からない。
華氏451(1966) - goo 映画
楽天ブログランキング←クリックしてください
楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」