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2024.01.03
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カテゴリ:邦画



 怪獣映画「ゴジラ」の一つ。
 シリーズ37作目で、日本で制作された実写版としては30作目となる。
 シリーズ37作目といっても、これまでの作品との繋がりは無く、何十回目かのリブート。
 神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介が出演する。
 監督・脚本は昭和時代を丹念に描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」が出世作となった山崎貴。
 英題はGODZILLA MINUS ONE。
 アメリカでも公開され、実写の邦画に於ける興行収入を34年振りに塗り替えた(それまでの1位は畑正憲が手掛けた子猫物語(1986年公開だった))。


粗筋

 第二次世界大戦末期の1945年。
 敷島浩一(神木隆之介)は特攻へ向かう途中で搭乗する零戦が故障したと報告した上で離脱し、小笠原諸島の大戸島の守備隊基地に着陸する。
 整備兵の橘宗作(青木崇高)は、敷島の搭乗機が故障していない事を直ちに見抜く。敷島が玉砕の命令に反して離脱したのだと悟るが、敗戦が濃厚な中でそういう行動を取るのも仕方ないと考え、特に追求しなかった。
 敷島は、整備兵らの冷たい視線を受けながら海を眺めていると、見慣れない深海魚の死骸がいくつも浮かび上がっているのに気付く。不吉な予感がしたが、それが何なのか分からなかった。
 その日の夜。
 基地を全長15メートル程の恐竜の様な生物が現れる。島の伝説で語り継がれる怪物「呉爾羅(ゴジラ)」だった。深海魚の死骸が浮かび上がるのは、島民からするとゴジラ出現の前兆だったのだ。
 敷島は橘から、零戦に搭載されている20ミリ砲でゴジラを撃つようにと頼まれる。整備兵らがゴジラの餌食になる中、敷島は零戦の操縦席に辿り着くが、目の前に迫っていたゴジラに恐怖を覚え、撃つ事が出来ない。
 敷島と橘以外の整備兵らは全員ゴジラに襲われて死亡する。
 ゴジラが去った翌日、橘は仲間らの遺体を前にして、何故撃たなかった、と敷島を罵倒する。
 大戸島の守備隊基地の出来事は極秘扱いされ、単に米軍に襲撃されて全滅した、と報告された。

 終戦を迎えた敷島は、やっとの事で東京へと帰って来た。
 特攻から離脱したのは、「無事に帰って来てほしい」という母からの手紙を読んでいたからだった。
 が、実家は瓦礫の山で、両親の姿は無い。
 隣家の太田澄子(安藤サクラ)から、両親は空襲により亡くなったと伝えられる。
 敷島は愕然とする。両親と再会する為に生き延び、帰って来たのに、その両親が亡くなっていたとなっては、何の為に戦友らを犠牲にしてまで生き延びたのか分からない。自分だけ生き残ってしまった、という罪悪感に苛まされる事になった。
 敷島は闇市で、彼同様に空襲で親を失った大石典子(浜辺美波)と、彼女が空襲の最中見知らぬ他人から託されたという赤ん坊の明子に出会い、成り行きで3人は共同生活を始める。
 敷島は米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業の仕事に就く。特設掃海艇・新生丸艇長の秋津淸治(佐々木蔵之介)、乗組員の水島四郎(山田裕貴)、元技術士官の野田健治(吉岡秀隆)と出会った。危険な仕事ながらも安定した収入が得られる様になった事で生活にも余裕が出来、家を建て直す事が出来た。
 敷島は典子との正式な結婚を勧められるが、自分自身の中では戦争は終わっていない、とトラウマを抱える彼は関係の進展に踏み出せなかった。
 赤ん坊だった明子は歩ける程に成長し、典子は自立する為に銀座で働き始めていた。

 1946年夏。
 ビキニ環礁で、米軍は核実験「クロスロード作戦」を実施。
 その近海に偶然いたゴジラは被曝し、身体を焼き尽くされたが、強力な回復力と放射能による異常で全長50メートルにまで巨大化する。
 巨大化したゴジラは活動範囲を広げ、米国の艦船や潜水艦に襲い掛かり、大打撃を与える。
 発生場所の時期や位置から巨大生物が日本本土に向かっていると推測し、米国は日本政府に警告を出した。
 日本政府はアメリカの援助を求めるが、アメリカが日本本土で軍事行動を起こせばソ連を刺激しかねないという理由で、日本が単独で対処するしかない、と通達。
 単独で対処しろ、といわれても、終戦直後で武装解除されているので対処のしようが無いと日本政府が訴えると、シンガポールでスクラップ処分される筈だった旧帝国海軍の巡洋艦高雄が返還される事になった。
 敷島らは、高雄が戻って来るまでの時間稼ぎを命じられる。回収した機雷や船の機銃でゴジラに応戦した。
 しかし、ゴジラの回復力は凄まじく、機雷や機銃による怪我程度はあっという間に治癒してしまう。
 ゴジラの餌食になる寸前、高雄がその場に現れ、砲撃を開始。
 敷島らがこれで助かったと安堵したのも束の間、ゴジラは高雄に襲い掛かり、大破させる。更に吐いた熱線によって全長200メートルの軍艦は瞬時に消滅してしまった。
 敷島らは何とか戻れたが、ゴジラが日本本土に上陸するのは時間の問題だと悟っていた。
 翌日、ゴジラは東京湾の防衛ラインを越えて上陸。
 敷島は、典子の勤務地である銀座へと向かう。典子を見付け、一緒に逃げる。
 日本政府は国会議事堂前に配備した戦車隊で応戦。しかし、ゴジラは熱線を吐き、国会議事堂諸とも蒸発させる。
 熱線による爆風で、典子は吹き飛ばされて行方不明になってしまう。敷島は、典子が建物の陰に押し込んでくれた為助かったが、典子が吹き飛ばされた先が瓦礫の山と化していて、立ち竦むしかない。
 ゴジラは、自らの熱線により傷ついており、それを癒すべく海に戻る。
 ゴジラにより国会議事堂を中心に半径6キロメートルが灰塵と化し、死者行方不明者数は3万に達した。
 しかし、ゴジラがまた戻って来るのは時間の問題だった。
 それでもアメリカはソ連を刺激する恐れがあるとして軍事行動はしないと宣言。
 その為、占領下で独自の軍隊を持たない日本は民間人のみでゴジラに立ち向かうしかなかった。
 典子の死を嘆き苦しむ敷島を、野田はゴジラ打倒の作戦に誘う。
「巨大生物對策説明会」には、敷島らの他、旧帝国海軍の者が多数集まった。
 野田は、ゴジラが完治して日本に再上陸するのに約10日経かると推測する。
 10日間でゴジラに致命傷を与える作戦を実行に移せるよう、準備しなければならない。
 軍艦の砲撃すらものとしない怪物にどうやって致命傷を与えるのだという疑問に対し、野田は作戦を説明。
 ゴジラを相模トラフまでおびき寄せてフロンガスの泡で包み込んで浮力を奪い、深海まで一気に沈めて急激な水圧の変化を与える、と。
 それだけで致命傷になるのかという疑問に対し、野田は予備の作戦も説明。
 深海で大きな浮袋を膨らませてゴジラを海底から海上まで一気に引き揚げる、と。
 生物である以上、ここまで急激な加圧と減圧には堪えられない筈、と野田は締め括った。
 それでゴジラを倒せるのか、と疑問に思う者が大半だったが、他に打つ手は無い。集まった者は作戦実行の為に動き始める。
 敷島は、万が一に備えて戦闘機による誘導役を買って出る。
 問題は、終戦により日本には戦闘機が正式には一機も残っていない事だった。
 が、本来本土決戦に配備される予定だったが終戦の混乱で忘れ去られて解体処分から免れていた戦闘機「震電」の存在を知る。
 ただ、震電には高度な技能を要する整備が不可欠だった為、敷島は橘を探し出す。
 橘は、大戸島の出来事を未だに根に持っていて、敷島に協力する事を拒否。しかし、敷島は震電に爆弾を搭載し、自分が特攻して刺し違えてでもゴジラを倒さければならないと説明。それには橘の腕が必要だ、と。
 敷島の覚悟を汲んだ橘は、震電の整備を引き受ける。
 自分の命はもう無いと悟った敷島は、財産を全て託すからそれで明子の面倒を見てほしいという澄子宛ての手紙を残し、自宅を後にした。
 各自でゴジラ上陸に備えて準備をしていたが、予想より早くゴジラは現れた。防衛ラインを越えて相模湾から上陸してしまう。
 作戦は頓挫したかに思われたが、整備が完了した震電に乗った敷島がゴジラを誘導。
 ゴジラは震電を追って海に戻った。
 野田らは船に乗り、ゴジラにフロンガスのタンクを巻き付ける事に成功。フロンガスの泡を発生させ、ゴジラは一気に1500メートルの深海にまで沈められる。
 ゴジラは加圧に苦しみながらも暴れ出すが、致命傷を受けた様子は無い。
 野田は予備の作戦を実施。
 浮袋で今度は一気に浮き上がらせ、減圧させる。
 ゴジラは1500メートルから海抜0メートルまで一気に浮き上がり、ダメージを受けるが、致命傷ではなかった。熱線を吐く準備をする。
 作戦は失敗に終わった、自分らの命もここまでと諦めていた野田らが乗る船の上を、敷島が操縦する震電が突っ切る。
 震電はそのままゴジラの口を目掛けて激突し、大爆発する。
 頭部を完全に失ったゴジラは熱線を発する事無く崩れていき、海の底へと沈む。
 震電と運命を共にしたと思われた敷島だったが、直前に脱出装置で脱出していた。
 橘が、特攻するからといって命を引き換えにする時代ではないとして、脱出装置を設けていたのだった。
 一人も犠牲者を出す事無くゴジラを倒した作戦の実行部隊は、港に帰還。
 出迎える者の中に、明子を抱きかかえた澄子がいた。澄子は、敷島が手紙を託して自宅を後にした直後に届いた電報を手渡す。
 電報の内容を読んだ敷島は、そこに書かれた病院に向かうと、行方不明で死んだと思っていた典子と再会出来た。
 貴方の戦争は終わりましたかの彼女からの問いに、やっと終わったと敷島は答えられた。



感想

 ゴジラは1954年の第1作(当時はシリーズ作になる事は想定していなかったと思われる)から70年経っており、実写版、アニメ版等が何十作も制作されているので、既にやり尽くしている、と思われがち。
 本作は、第1作の舞台である1950年代より更に前の1940年代後半の日本を舞台にする、という変化球で新鮮味を持たせた。
 終戦直後の日本なので、GHQの管理下にあり、日本政府が打てる手が限られていて、その限られた中で巨大怪獣に対処に無ければならない、という事で緊張感(というか絶望感)をもたらしている。
 この手映画は、最近はエヴァンゲリオンの影響からか、危機対策専門の機関の者が主人公となっていて、任務に沿って粛々と対処する、という模様が描かれているのが当たり前になっていた。
 が、本作はそうした機関は無く、急ごしらえの集団が、効果が不明な作戦を講じる人間模様が描かれている。

 よって、主人公の敷島は元特攻隊ではあるものの、怪獣相手の戦い経験は全く無く、ぶっつけ本番でゴジラに立ち向かう。
 他の登場人物も同じ。
 いわば素人集団。
 演出の仕方によっては意図せず滑稽なものになってしまう可能性があったが、終戦直後という時代設定にしたお陰で、そう感じない。
 そこまで計算して時代設定を決めたのかどうかは不明だが。

 終戦直後なので、ゴジラを駆除する作戦も実在しない強力な兵器を開発して倒す、という派手なものではなく、加圧と減圧を使って弱らせる、という物理学を使った地味なもの。
 これも素人集団が強大な敵を倒す、という面で説得力を持たしている。
 ここまで地味な作戦で巨大怪獣を倒そうなんて、登場人物らは勿論、鑑賞者も疑問に思ってしまうが。

 問題といえば、登場人物そのものより、俳優のキャスティングか。
 主人公の敷島は、元特攻隊。出撃を命じられるくらいだから、新米という程若くは無い筈だが、演じている神木隆之介が幼顔なので、学生がいきなり特攻隊に駆り出されたように映る。
 作中では、山田裕貴演じる機雷除去船の新米乗組員が戦争で戦った経験が全く無い為小僧扱いされていたが、神木隆之介の横と並ぶと彼の方が年上に見え、どこがどう小僧なのか、何故招集されていなかったのかが分からない。
 実際、山田裕貴の方が神木隆之介より年上らしい。
 何故こんなキャスティングになったのか。

 ヒロインの典子役として、浜辺美波が登場。
 シン・仮面ライダーでもヒロイン役を演じているので、監督らがヒロインに起用したくなる女優らしい。  
 典子はシン・仮面ライダーで演じていたキャラとは全く異なり、その上衣装や髪形も異なるので、パッと見には同じ女優が演じているとは思えなかった。
 そう思わせられるからこそ起用したくなるのか。
 ただ、典子は作中の中盤で退場。
 その展開が物語を進展させる効果があるので、必要不可欠なのだが、どう終わろうと胸糞悪い結末になるな、と思っていたらラストで再登場してくれた。
 ハッピーエンドで終わってくれたのは何より。
 銀座でゴジラから逃げる典子を、群衆の中から敷島がどうやって見付けたのか、という疑問が残るが。

 敷島を憎みながらも最終的には手助けする整備兵として、青木崇高演じる橘という人物が登場。
 敷島を恨むのは、彼がゴジラを零戦に搭載された20ミリ砲で撃たなかった為部下が全員死んでしまったから。
 ただ、本人も整備兵の中でただ一人助かっている。意図していなかったにせよ部下を犠牲にして自分だけ助かる行動を取ったとも考えられ、敷島を恨む立場にはないと思ってしまう。
 敷島が20ミリ砲を撃ち捲っていれば整備兵は少しは助かっていたかも知れないが、敷島が死んでいた可能性が高い。
 そうなっていたら、橘は敷島の死をどう捉えていただろうか。

 銀座がゴジラによって破壊されるシーンは、殆どがCGとライブアクションの合成らしい。
 昔の邦画の特撮は劇場公開レベルの作品でもハリウッドの特撮と比較すると質の低さが顕著だった。が、最近はハリウッドの特撮が視覚的には限界に達してしまったらしく、目新しさが無くなってしまった一方で、邦画でも採用出来る程度のコストダウンが可能になったからか、邦画のCGも観ていて違和感は無い。
 後は脚本力を高めてくれれば、と切に願う。

 作中で登場する巡洋艦高雄は、怪獣退治の期待の星とされながらも、登場直後にゴジラに破壊されてしまい、これといった活躍が出来ないままで終わる。
 ただ、史実では、巡洋艦高雄はシンガポールで航行不能な状態で終戦を迎え、そのままスクラップ処分されているので、ゴジラを砲撃する場面だけでも大活躍だったのかも知れない。

 監督・脚本を担当したのは山崎貴。
 昭和時代を描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」が出世作で、その後数々の作品を手掛けているが、現代劇や未来を描いたものより昭和時代を描いた作品の方が高く評価され、興行収入も良いので、本作も昭和時代の設定にしたのは正解だったと言える。

 演出上の問題点といえば、最終シーンでゴジラの死骸が再生する様子を映し、実は全てが終わっていない事を臭わせている事か。
 必要に応じて続編が制作されるかも、と告げている。
 怪獣映画やホラー映画ではお馴染みというか、使い古された手なので、寧ろ「ゴジラは完全に死にました。復活はありません。続編はリブート以外ありません。完」で終わっていた方が新鮮に感じたかも。








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Last updated  2024.01.03 17:05:34
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