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非常に適当な本と映画のページ

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邦画

2022.06.25
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カテゴリ:邦画

 日本のSF特撮映画。
 1966年に放送された特撮テレビドラマ『ウルトラマン』を現在の時代に置き換えた「リブート」映画となっている。
 円谷プロダクション、東宝、カラーが共同で製作し、企画・脚本の庵野秀明、監督の樋口真嗣など『シン・ゴジラ』の製作陣が参加している。


粗筋

 巨大な生物「禍威獣(カイジュウ)」の出現が常態化する様になった日本。
 禍威獣は何故か今のところ日本でしか出現していなかったので、世界各国は最新兵器を提供する代わりに禍威獣退治の責任を日本に押し付ける。
 日本国政府は6人のエキスパートを選抜して「禍威獣特設対策室(禍特対)」を設立し、禍威獣災害対策に当たらせた。
 ある日、禍特対は出現した新たな禍威獣の対応に当たっていたが、これまでの手法が通じない絶体絶命の危機に陥ってしまう。
 そんな中、大気圏外から飛来した人間の姿を持った銀色の巨人が現れ、禍威獣を難無く粉砕。
 禍威獣の脅威から救われた形となったが、禍特対はこの銀色の巨人は何者なのか、その意図は何なのかを解明する責務を負わされた。
 巨人の調査の為に新たに禍特対に配属された浅見弘子(長澤まさみ)は、この巨人に「巨大人型生物 ウルトラマン」という仮名を与える。
 一方、ウルトラマンが地球に降り立った際、子供の保護に当たっていた禍特対のメンバー・神永新二(斎藤工)は、その衝撃波で死亡していた。ウルトラマンは、他者の為に自ら命を絶った神永を理解する為に彼と一体化し、必要に応じて別次元から本体を召喚するベーターシステムで巨人に戻って禍威獣と戦う事となった。当初、神永=ウルトラマンの事実は誰にも明らかにされていなかったが、現場の映像解析で早々とウルトラマンは神永が変身した姿だと解明されてしまう。神永はその日をもって姿を消した。
 ウルトラマンという外星人の存在を認識せざるを得なくなった時点で、別の外星人ザラブが禍特対と接触する。
 ザラブは、内閣総理大臣と対面し、友好条約を締結する。
 が、ザラブは、友好的に見える態度の裏で、地球の原住知的生物である人類を殲滅させるという計画を進めていた。
 神永はその陰謀を早々と察するが、ザラブによって拘束されてしまう。
 ザラブは、ウルトラマンは地球にとって危険な存在なので始末すべきだと政府を騙そうとするが、弘子によって救出された神永が変身したウルトラマンによって倒される。
 それから間も無く、別の外星人メフィラス(山本耕史)が姿を現す。
 メフィラスは、強力なエネルギー源に成り得るベーターシステムの提供を日本政府に提案。ベーターシステムは、使い方によっては兵器に転用出来るので、日本政府は他国の手に渡る前に自分らが手に入れて独占したいと考え、条約を結ぼうとする。
 が、メフィラスの目的は他の外星人を締め出して人類を独占的に管理する事だった。
 ウルトラマンは、ベーターボックス受領式典会場に現れ、ベーターボックスを奪う。
 メフィラスは、本来の姿に戻り、ベーターボックスを取り返すべくウルトラマンと対峙する。
 が、メフィラスは、ウルトラマンと同じく光の星からやって来たゾーフィの姿を確認。その時点で戦意を喪失し、ウルトラマンに対し、ベーターボックスを人類に提供する計画は諦めて地球を去るので、ベーターボックスを返してほしい、と頼む。
 ウルトラマンからベーターボックスを受け取ったメフィラスは、約束通り撤退する。
 ウルトラマンは、ゾーフィと対面
 ゾーフィは、人類と融合したウルトラマンの行為が光の星で禁じられているのは知っていた筈だ、ウルトラマンを言及。全宇宙の知的生命体に、人類が生物兵器への転用が可能な事を知らしめてしまったではないか、と。
 このままでは地球と人類を巡って全宇宙の知的生命体が争奪戦を繰り広げるのは予想出来たので、光の星は先手を打って人類を地球ごと滅亡させる事を一方的に決定した。
 メフィラスがあっさりと撤退したのも、この展開を予想していたからだった。
 ゾーフィは、地球の軌道上に最終兵器ゼットンを配備。
 ゼットンは、1兆度の熱球を放って地球どころか太陽系をも破壊する兵器だった。
 ウルトラマンはゼットンを阻止する為宇宙に飛ぶが、ゼットンの防御システムに一方的に敗れ、神永の姿に戻って昏睡に陥る。
 人類にとって無敵の救世主の筈だったウルトラマンが敗退した事で、政府関係者はゼットンによる人類滅亡の日がやって来るのを黙って受け入れるしか手が無かった。
 禍特対の滝明久と船縁由美は、神永が残したUSBメモリーからベーターシステムの基礎原理を紐解き、ゼットンを倒す方法を割り出す。ただ、その方法は実行するウルトラマン自身も異次元に飛ばしてしまうものだった。
 目を覚ました神永は、ウルトラマンに変身し、割り出された方法通りゼットンを倒す。が、矢張り異次元に飛ばされてしまった。
 異次元を漂うウルトラマンの前に、ゾーフィが現れ、人類の殲滅計画が中止になった事を告げる。
 ゾーフィはウルトラマンを光の星に連れ帰ろうとするが、人類の今後の行く末を案じたウルトラマンはこれを拒絶。代わりに、神永に自分の命を与えてほしいと頼む。
 その意を汲んだゾーフィは、ウルトラマンと神永を分離する。
 次の瞬間、神永は禍特対の仲間らに迎えられて目を覚ました。



感想

 ウルトラマンのリメークというか、リブート。
 1966年にテレビ放送が開始したウルトラマンは39話に及んだが、本作はその39話分を2時間程度にまとめている。
 そんな事もあり、駆け足で始まり、駆け足で展開し、駆け足で結末に至る。
 禍威獣が出現する様になった事実や、禍特対が設立された経緯も数カットの映像と説明だけで済まされ、外星人もウルトラマン、ザラブ、メフィラス、ゾーフィだけに留まっている。
 禍威獣(オリジナルでは怪獣)と実際に戦う人間側の組織も、禍特対(オリジナルでは科特隊)そのものではなく、禍特対による解析結果を受けて動く自衛隊、という設定に変わっていた。
 大抵の場合、オリジナルから改変するとその良さが損なわれる場合が多いが、本作に於いては寧ろ「子供向け作品」から「大人の鑑賞にも耐え得る作品」に昇格させる効果があった。

 人類を滅亡させる最終兵器ゼットンが、ウルトラマンと同じ光の星からの使者であるゾーフィによってもたらされた、というのが最大の改変。
 メフィラスはかなり前から地球に潜伏し、人類を独占する為の計画を練っていた筈なのに、ゾーフィの姿を見た途端に全て放棄してあっさりと地球から撤退している。ゾーフィがこれまでいくつもの知的生命を問答無用で滅亡させているので、抗議の余地も無い、とメフィラスが判断した、とも読める。
 要するに、光の星(オリジナルでは光の国)は人類の味方でも何でも無く、ウルトラマン自身も偶々人類の一員と融合した為人類の側に立って戦う事になっただけで、もし状況が少しでも異なっていたらウルトラマンも人類を滅亡させる側に回っていたかも知れない。
 子供の頃だったら「ウルトラマンは人類のヒーローで無かった可能性があった」と知ったらショックを受けていただろうが、大人になった今だと「そういう展開も有り得るな」と捉えられるから不思議。

 現在ならフルCGも可能だと思われるが、オリジナルの特撮の良さも活かしたい、と考えたからか、模型を使っての撮影場面も多い。
 模型を使った事によって独特の味のあるシーンになっていて、「自然な不自然さ」を演出していた。

 本作のウルトラマンの造形は、オリジナルシリーズの製作段階で提案されたデザイン案をベースにしている。
 よって、オリジナルシリーズのウルトラマンではお馴染みのカラータイマーや、背中のヒレ(実際はスーツのジッパーを隠す為のもの)や、目の部分の穴(スーツアクターの視界を確保する為に開けられた覗き穴)は無い。
 オリジナルシリーズのウルトラマンを見慣れていると残念な感もあるが、本作の造形の方が宇宙人っぽさがあるのも事実で、甲乙付け難い。

 禍特対のメンバーを演じていたのは、斎藤工や長澤まさみ等、テレビドラマではお馴染みの顔触れ。
 全員可もなく不可も無く、といった演技だった。

 その一方で目立っていたのは、敵役のメフィラスを演じた山本耕史か。
 人類を支配する為の計画を着々と進める知的で冷静な外星人という役柄をしっかり演じ切っていた。

 本作は、元のウルトラマンを断片的にも知っている者からすれば、懐かしくもあり新しくもある作品と映るだろうが、ウルトラマンを全く知らず、ウルトラマンに何の思い入れも無い者(海外の者等)からすると、設定・展開・演出・特撮に至るまで不自然で幼稚な作品、酷評されそう。

 エヴァンゲリオンを手掛けた庵野秀明が関わっているとあって、雰囲気はエヴァンゲリオンっぽい部分も多い。
 ゼットンの造形は、ほぼエヴァンゲリオンだったし、それとの最後の戦いの場面もエヴァンゲリオン並みの手抜きとも受け取れる映像だった。
 ただ、ウルトラマンという元となる下書きがあるので、「大風呂敷を広げてみたものの畳み方までは考えておらず、適当に畳んで終わらせざるを得ませんでした」という展開になっていなかったのが何より。
 エヴァンゲリオンも最初から2時間程度のアニメ映画に留めていれば、あそこまで破綻せずにまとめられたのでは、と思ってしまう。









Last updated  2022.06.25 15:55:34
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2019.12.18
カテゴリ:邦画

「ルパン三世 THE FIRST」は、モンキー・パンチ原作のコミックの劇場版第10作。
 全国上映作としては、「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」以来23年振りとなる。
 シリーズ初の3DCGアニメ長編。
 監督・脚本は山崎貴。


粗筋

 第二次世界大戦の最中。
 考古学者ブレッソンは、強力なエネルギー源と成り得る「エクリプス」の在処を突き止め、日記に書き記す。
 世界征服を企むナチスは、「エクリプス」を我の物にしたがっていた。日記を寄こすよう、ブレッソンを脅迫するが、日記は娘夫婦に託していて、手元には無かった。ナチスは、ブレッソンを殺害し、娘夫婦を追跡。
 カーチェイスの結果、娘夫婦は事故死。夫婦の幼い子供だけが生き残る。
 ブレッソン・ダイアリーと称されるようになった日記の行方は不明となった。

 十数年後。
 ブレッソン・ダイアリーが発見され、オークションに掛けられる。
 そこへルパン三世が登場。「エクリプス」は、元々ルパン三世の祖父に当たるルパン一世が狙っていたお宝なので、孫である自分が手に入れるべきだ、と主張し、盗もうとする。
 が、女性警備員により阻止されてしまう。女性警備員は、日記を金庫へ持って行くと言いながら、付き添っていた別の警備員を倒し、日記を持ち逃げしようとする。
 舞い戻って来たルパンは、女性警備員から日記を奪い取るが、直後に峰不二子に奪われてしまう。
 女性警備員は、実はレティシアという、秘密組織に属する女性で、組織の命令で日記を盗もうとしていたのを知ったルパンは、彼女と組み、日記を取り返そうと考える。
 峰不二子は、盗んだ日記を雇い主である秘密組織へ引き渡す。
 秘密組織は、レティシアのバックアップとして、峰不二子を雇っていたのだった。
 秘密組織のリーダーであるゲラルトは、組織に属する研究員ランベールに、日記を解読するよう命じる。
 が、日記は頑丈なケースに収められていて、無理に取り出そうとすると日記が破壊される仕組みになっていた。仕組みを解除出来るのはルパンくらいしかいないので、ゲラルトは、レティシアに対し、ルパンを連れて来い、と密に命じる。
 ルパンは、レティシアと共に秘密組織のアジトである飛行機に到着。日記を隠し場所から盗み出すと、日記を収めたケースの複雑な鍵を解除する。
 その時点で、レティシアは祖父であるランベールに通報。
 ルパンは一旦は捕まるが、拘束されていた峰不二子と一緒に飛行機からレティシアを連れて脱出。
 日記は飛行機に残したままだったと思われていたが、実はルパンがすり替えていて、ルパンの手元にあった。
 ルパンは、レティシア、峰不二子、そして仲間の次元大介と石川五右衛門と共に、日記が記すエクリプスの在処へと向かう事に。
 レティシアは、ランベールを実の祖父だと信じて疑っていなかったが、実は事故死したブレッソンの娘夫婦の子供だった。日記を収めたケースを開ける為のキーワードが「レティシア」だったのも、それが理由だった。
 ルパンはその事実をレティシアに伝え、ゲラルトとランベールを阻止する為に更なる協力を求める。
 エクリプスの在処に辿り着いたルパン一行は、レティシアが日記を解読出来た為、様々な罠を突破し、エクリプスを目の前にする事が出来た。
 が、その時点でゲラルトとランベールが現れる。罠を自分らで突破出来ないと読んだ彼らは、ルパンに突破させ、エクリプスを奪えばよい、と考えていたのだ。
 ゲラルトとランベールは、レティシアを人質にして、エクリプスを奪う。
 エクリプスとは、ミニブラックホールを作り出す装置だった。
 ランベールは、エクリプスを操作し、ミニブラックホールを発生させ、残したルパン一行を始末し、エクリプスを自分のものにしようとしたが、ゲラルトに阻止され、殺される。
 ゲラルトとレティシアは、秘密組織の拠点へ移動する。
 2人を出迎えたのは、第二次世界大戦末期に死んだ筈のヒトラーだった。
 秘密組織は、第三帝国の復活を企むナチスの残党だったのだ。
 ゲラルトは、どこかで生きていると信じて疑っていなかったヒトラーを前に、大いに感動。これまでの努力が報われた、と。
 ゲラルトは、ヒトラーをエクリプスに案内し、操作法を教える。
 ヒトラーは、エクリプスを勝手に操作し、ミニブラックホールを作り出してしまう。
 その時点で、ゲラルトは気付く。
 目の前に立っているのはヒトラーではなく、変装したルパンだ、と。ルパン一行は、間一髪でミニブラックホールから逃れ、秘密組織の拠点に先回りして制圧し、ゲラルトを迎え入れたのだった。
 ヒトラー総統をどこにやった、とゲラルトは激高。
 ルパンは当たり前の様に答える。ヒトラーは、史実通り、とっくに死んでいる、と。ゲラルトがヒトラー生存の根拠としていた数々の証拠は、インターポールがナチスの残党を炙り出す為に流した偽情報だったのだ。
 ゲハルトは、ルパンを殺そうとするが、ミニブラックホールに吸い込まれ、死ぬ。
 ミニブラックホールは、エクリプスも破壊し、エクリプスが人類に悪用される可能性は無くなった。
 ルパンはそれを見届けると、レティシアに最後の挨拶をした後、仲間と共にその場から逃げる。



感想

 物凄いお宝を巡って、ルパン一行と悪の組織が戦いを繰り広げ、最終的には大き過ぎるお宝を葬り、その場を去る。
 これまでのルパンの長編と大差は無い。
 違うのは、フル3DCGアニメになっている、という事。
 一昔前のフル3DCGアニメは、キャラクターの動きがぎこちない等問題点が多く、映画として観るには苦しい面もあったが、最近のは技術の進歩もあり、そうした問題も克服され、セルアニメに取って代われるものになっている(ディズニーは完全に3DCGアニメに移行している)。
 本作も、観ていて違和感は無く、映画として普通に楽しめた。
 ただ、キャラクターデザインは、型が決まっているルパンシリーズのレギュラーキャラクターを覗くと、ディズニーアニメのキャラクターか、と思ってしまう程オリジナル感に乏しい。
 完全なオリジナルデザインは不可能だったのかも知れないが、もう少し原作(モンキーパンチの漫画)に寄せたデザインに出来なかったのか。
 映像は、ディズニーアニメを制作する専用ソフトに、ルパンシリーズのキャラを取り込んでみた、といった感が否めなかった。

 ストーリーそのものも、3DCGでなければ実現出来なかった、という内容にはなっていない。
 ストーリーがある程度固まった時点で、従来のセルアニメではなく、3DCGアニメにしよう、と決まったらしい。

 悪の組織として、ナチスの残党が登場。
 今更何故ナチスやヒトラーにしたのか、よく分からない。
 格好の悪役ではあるが。
 欧米では、ヒトラー/ナチスを悪役やパロディとしてでも登場させると議論を招きかねないが、日本ではそこまで神経質でないらしい。

 今回の「お宝」はミニブラックホールを発生させる装置だった。
 装置を最初に発見し、その威力を知った怪盗ルパン一世が、考古学者ブレッソンと組んで在処を記す日記を作成し、自身が考案した複雑な仕掛けのケースに収めて保管する事にした、という経緯が明らかにされる。
 ブラックホールは、現在はそれなりに知られているが、ルパン一世が活躍していた時代はまだ一般知識ではなかったと思われる。
「ブラックホールを生み出せる装置です」といったところで、その価値や重大性を理解出来たとは想像し難い。
 ルパン一世がどうやってその重大性を理解し、ブレッソンと共に日記を作成し、子孫に託そうと考えたのか、説明はなされていないし、子孫に託して何を期待していたのかも説明されない。

 声優として、俳優の広瀬すず(レティシア役)、吉田鋼太郎(ランベール役)、藤原竜也(ゲラルト役)が起用されている。
 プロの声優を何が何でも使え、という訳でもないが、話題の俳優を起用さえすれば興行収入も期待出来る、という発想は改めた方がよろしいのではないかと思う。

 これまでのルパンシリーズは、制作された時代を反映していたが、本作の舞台は第二次世界大戦終結から10数年後、となっていて、1960年前後、という事になる。
 ルパンシリーズはそれぞれが単独で完結しており、他のシリーズ作と繋がりが全く無いからこそ成せる業。
 これを整理しようとしたら、時系列的には合理性に欠けてしまうだろう。

 タイトルの「ルパン三世 THE FIRST」は、英訳すると「LUPIN THE THIRD THE FIRST」になってしまい、3作目なのか、1作目なのか、もしくは3世が登場するのか、1世が登場するのか、分かり辛い。
 制作の時点で、「『THE FIRST』のサブタイトルを付けてしまうと、『ルパン三世、一世』になってしまいますよ」と指摘する者はいなかったのか。
 それとも、分かり辛くなるのを承知でこのタイトルにしたのか。

 フル3DCGアニメ化し、コストが掛かった為か、地上波で初公開するのではなく、劇場公開してコストをなるべく回収し、その後地上波で公開し、コストを完全に回収出来る体制を取ったらしい。
 本作では、その目論見通りに進んだ様だが、この手がずっと使えるとは思えない。
 日テレは本シリーズをどこに持って行くつもりなのか。









Last updated  2022.06.25 10:57:52
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2018.11.09
カテゴリ:邦画

 2009年に公開された細田守監督によるアニメ映画。


粗筋

 近未来。
 世界中の人々は、インターネット上の仮想世界OZを活用していた。ユーザーはパソコン等から自分のアバターを操って、ショッピングやゲームだけでなく、納税等の行政サービスも利用出来る様になっていて、最早OZ抜きでは生活が成り立たない程になっていた。
 ある日、OZの保守点検のアルバイトをしていた高校生の健二は、先輩の夏希から、一緒に彼女の実家に行こうと誘われる。夏希の曽祖母である栄の90歳の誕生日を祝う為に、実家の陣内邸に親族が一堂に集まる事になっていた。夏希は曽祖母に婚約者を紹介する必要に迫られていたが、実際にはいなかったので、婚約者の振りをする者として健二に白羽の矢が立てられたのだった。
 健二の携帯電話に、数字の羅列が書かれた謎のメールが送られてくる。数学が得意な健二は、それを何かのクイズだと勘違いして解読し、回答してしまう。しかし、それはOZの管理権限を奪う為の暗号だった。
 翌日、OZは謎の人工知能ラブマシーンに乗っ取られてしまう。影響はOZと連携していた現実世界のインフラにまで及び、社会全体が大混乱に陥る。
 栄が自身の人脈を駆使して事態の打開を図った事により、混乱は収束に向かうかに見えた。が、栄は翌朝、心臓発作で急死。
 健二らはラブマシーンを倒す作戦を実行。一時はラブマシーンの封じ込めに成功するが、想定外のアクシデントで逃げ出されてしまう。
 ラブマシーンは、奪った4億を超えるアカウントの権限を利用し、小惑星探査機の再突入体をどこかの核施設に落とそうとする。
 勝負事には目が無い、というラブマシーンの性格を逆手に取り、夏希はラブマシーンを誘い出し、花札勝負で戦いを挑む。
 花札勝負で勝った夏希は、ラブマシーンに奪われたアカウントのほぼ全てを解放する事に成功した。
 窮地に陥ったラブマシーンは、苦し紛れに再突入体の落下地点を陣内邸に変更する。
 健二らの行動により、再突入体の落下地点を陣内邸からずらす。陣内家の家屋は半壊するも、陣内家は一人も命を落とさずに済んだ。



感想

 近未来を舞台にしているストーリーだが、「近未来」に設定された時系列が過ぎてしまっているので、作中で描かれた未来像と、実際の世界に差が出ており、違和感を抱く。
 本作では誰もがアバターを持っていて、そのアバターで仮想世界を利用する、という設定になっているが、現実社会ではアバターは廃れていて、積極的に使っているのは子供やゲーマーくらいで、成人が活用する事は無い。
 アバターを通じて仮想世界を行き来するより、直に必要なサイトにアクセスして、利用する方が効率的という事もあり、仮想世界も、本作で描かれている様な形態にはなっていない。個別のサイトがそれぞれネット上で繋がっているだけに留まっている。
 仮想世界が現実世界での生活でも必要不可欠、という設定なのに、仮想世界が簡単に乗っ取られてしまう程セキュリティが脆弱なのもどうかね、と思う。

 本作では、仮想世界が高度に発達していて人間同士が実際に交流しなくても成り立つ一方で、現実世界では前時代的に親戚が一堂に集まって交流を図るという、二つの異なる世界を描いている。
 現実世界も仮想世界も、アニメで描かれているが、そのタッチは全く異なっている。
 この二つの世界のギャップを描く事が、制作者側の狙いだったのだろうが、観ている側からすると仮想世界も現実世界も、実際の社会とは掛け離れてしまっていて、リアリティに乏しい。
 
 ストーリ展開も意味不明な部分が。
 前半では栄という老女が物凄く存在感があるので、「仮想世界で発生した危機が現実世界にも及び、その危機から世界を救えるのはネット社会とはおおよそ無縁の老女のみ!」という意外性のある展開になると思いきや、彼女は序盤であっさりと死去。
 結局世界を救うのはネット社会に縁のある若者達。
 意外性も何も無い。
 もしかして栄が死んだと見せ掛けておきながら、最後の最後で実は生きていて、重大な役割を果たす、という展開になるのかなと思っていたが、それも無かった。
 何故早々と退場する栄という老女に存在感を持たせたのか、さっぱり分からない。
 お蔭で、残った登場人物が全て雑魚になってしまい、どれも印象に残らなかった。
 主人公の健二も、ラストで「やっぱり主人公はこいつだったのか」と気付くくらい存在感に乏しい。

 ラブマシーンという「敵」はいるものの、あくまでも暴走した人工知能で、「悪」という存在になっていないのも、本作の特徴。
 したがって、本作は勧善懲悪の展開になっておらず、登場人物らが勝手に騒いでいるだけで、観ている側からすると盛り上がりに欠ける。

 日本のアニメ映画らしく、まともに通用するのは日本だけで、世界発信は全く想定していない。
 その日本でも、僅か数年後に観直してみると古臭さばかり目立って観賞に耐えられず、「不朽の名作」には到底なっていない。









Last updated  2018.11.09 20:48:49
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2018.07.07
カテゴリ:邦画

 スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画。
 人魚姫をベースにしている。
 監督は宮崎駿。


粗筋

 魚の女の子ポニョは、海の女神である母親グランマンマーレと、魔法使いの父親フジモトに育てられていた。
 ある日、ポニョは家出して海岸へやって来るが、空き瓶に頭が挟まってしまう。そこを、保育園児の宗介に助けられる。
 宗介は魚のポニョが好きになり、ポニョも宗介が好きになる。
 しかし、ポニョは娘を探しにやって来たフジモトに捕まり、海底に連れ戻される。
 宗介の事が忘れられないポニョは、再度家から逃げ出す。その際、「命の水」を触れ、女の子の姿へと変わり、宗介の前に現れる。宗介は、女の子の正体が魚のポニョであると気付いて、彼女が戻って来た事を歓迎する。
 一方、フジモトは、「ポニョが『命の水』に触れて世界に大穴を開けてしまった。このままでは世界が破滅する」と慌てる。グランマンマーレは、ポニョを人間にしてしまえば良い、と夫に提案。しかし、それは宗介の気持ちが揺らがない事が条件だった。もし宗介の気持ちが揺らいでしまうと、ポニョは人間になれず、魚にも戻れず、泡となって消えてしまうのだ。
 宗介の母は、嵐の中、勤め先の老人ホームへと出掛けていく。
 翌朝、ポニョと宗介が母の後を追う。すると、ポニョは途中で眠り出し、魚の姿に戻ってしまう。その時点でフジモトが現れ、二人を海底に沈んでいる老人ホームにまで連れて行く。そこでは宗介の母とグランマンマーレが待っていた。
 グランマンマーレは、宗介が心からポニョを好きな事と、ポニョが魔法を捨てても人間になりたい事を確かめて、ポニョを人間にする魔法を掛ける。ポニョと宗介が陸に戻り、キスをすると、ポニョは5歳の女の子に変わった。



感想

 宮崎駿の作品らしく、主人公と敵対者との間で対立はあるものの、敵味方が善人・悪人に分かれている訳でもなく、最終的にはナアナアで終わる。
 如何にも日本らしい展開。
「起承転結」という展開を監督があえて避けている事もあり、海外の者からすれば、合理性に乏しい、消化不良になるストーリーになっている。

 現実の世界に、魔法の世界が関わってくる……、という設定かと思いきや、宗介を始め登場人物のほぼ全てがポニョは勿論、グランマンマーレやフジモトの存在を何の疑いも無く受け入れてしまうのを見ると、本作で描かれている世界は全て「魔法の世界」らしい。
 舞台設定の説明が全くなされないので、観ている側はそれを早い段階で理解し、受け入れないと、置いてきぼりを食らう。

 登場するキャラも可愛げが無かったり、設定と言動に無理があったり、説明不足だったりと、問題点が多い。

 主人公のポニョは、気ままで、自分勝手。
 あまり共感出来ないキャラとして描かれている。
 何故ここまで可愛げの無いキャラにしてしまったのか。

 宗介は保育園児という設定だが、その割にはやけに聡明で、行動力がある。
 リアリティに乏しい。
 もう少し歳を上にした方が良かったのではないか。上にしてしまうと、魚の子に惚れる、という事は無くなってしまうかも知れないが。

 フジモトは、元は人間だったが、ふとした事から海の女神であるグランマンマーレと恋に陥り、魔法使いになったというが、その過程は端的に述べられるだけで、まともな説明は無い。
 彼が何をどうしたかったのかが、観終わった後も分からない。

 ポニョは、宗介が心から彼女が好きだという事で、人間になり、めでたしめでたしで終わる。
 ただ、宗助は保育園児。
 永遠の愛を誓うにしては幼過ぎる。
 仮に宗助の心がポニョから離れてしまったら、彼女はどうなるのか。
 一旦人間になってしまえば、問題は無い、という事か。
 あと、人間になったポニョを、誰が引き取るのか、という問題も発生する。
 そこまで悩むストーリーではない、て事か。

 ストーリーに合理性は無く、キャラに魅力は無く、あくまでも二次元アニメの映像美を楽しむ為だけの映画。
 日本では、「腐っても宮崎駿」という事で、これで大丈夫なのだろうが、「宮崎駿ブランド」だけでは通用しない海外では、公開するにはあまりにも「日本的」過ぎる。









Last updated  2018.07.07 15:07:03
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2016.11.25
カテゴリ:邦画

猫の恩返し
映画「猫の恩返し
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 スタジオジブリによるアニメーション映画。


粗筋

 何となく日常を過ごす、ごく普通の女子高生・吉岡ハル。
 ある日の放課後、ラクロス部に属する親友のひろみと帰っていた。道中、何かをくわえた猫がトラックに轢かれそうになるのを目撃。咄嗟にひろみのラクロスのスティックを使って助ける。その際、スティックを壊してしまう。助けられた後、その猫は信じられない事に、ハルに対し日本語で礼を述べ、二足歩行で去る。ハルは、猫が日本語を喋り、二足歩行で去った事をひろみに告げるが、その場面を目撃していなかったひろみは当然ながら信じてくれなかった。
 その夜、ハルは母親から、彼女が幼かった時の猫とのエピソードを聞かされる。彼女が子猫を見付け、持っていた菓子を全てその子猫に与えてしまった、と。ハルは、そんな事をした記憶は全く無かった。
 真夜中に、猫の行列がハルを訪れる。猫の国の王である猫王が、一行を引き連れ、ハルに直接礼を述べに来たのだ。何故なら、ハルが救った猫は、猫の国の王子・ルーンだったのだ。ハルは、お礼として目録を貰う。
 翌日、ハルは目を覚ます。猫王がどうのこうのという、変な夢を観た、と思いながら。
 が、目録が実際に手元にあったので、夢ではなかったのを、ハルは悟る。
 同時に、猫の国からのお礼が届く。ひろみには大量のラクロスのスティックが届けられる一方で、ハルの家には大量の猫じゃらし、マタタビ、ネズミといった、猫しか喜びそうのない代物ばかりが届けられる。とんだ「お礼」だ、とハルは困惑する。
 ハルは放課後、ひろみの掃除当番を代わりごみ捨てに行くと、片思いだった同学年の男子町田が彼女と思われる人物と歩いているのを目撃し、落ち込む。
 丁度その頃、猫王の第二秘書であるナトルがハルの前に現れる。「私は猫じゃないから猫じゃらしもマタタビも嬉しくない」と文句を言うハルに、それならば猫の国へご招待致しますとナトルは答えた。また、猫王がハルをルーンの妃にしようとしている事も伝えた。
 ハルは、慌ててナトルを引き止めるが、ナトルは「今夜お迎えにあがります」と言い残し去ってしまう。「猫のお嫁さんにされちゃう」とパニックになるハルに、どこからともなく声が聞こえた。その声によると「猫の事務所を探して。十字街に居る白い大きな猫が教えてくれるから。」との事。
 学校の帰り道、ハルは十字街で白い大きな猫、ムタと出会う。ムタに「付いて来な」と日本語で言われたハルは、言われるまま付いて行く事に。着いたのは不思議な街で、そこにある小さな家の「猫の事務所」で猫の男爵バロンと、心を持つガーゴイルのトトと出会う。
 ムタ曰く、猫の国は自分の時間が生きられない奴が行く場所だ、と。それを聞いたバロンは、ハルに自分を見失わない様にと諭す。猫の事務所にいる時、突然現れたナトリ率いる猫の集団に、ハルは連れ去られてしまう。そしてハルとムタは、バロンやトトと離れてしまい猫の国に連れ去られる。そこで、ハルはルーン王子と結婚する事を決められてしまい、猫耳と尻尾が生え、ついには、猫のヒゲが生えて、猫にされてしまう。
 猫の国の城で開催されたパーティーで、ハルは仮面の貴公子に扮したバロンに助けられ、ムタと共に城を脱出。
 人間の世界に通じる塔を登ろうと途中で、猫王の策略に嵌り、追い詰められる。
 その時点で、ルーン、そしてハルを猫の事務所に導いたユキにより助けられる。ユキは、幼いハルにお菓子を貰った事で命を助けられた猫だった。
 ルーンは、父親の猫王に対し、ハルとは結婚出来ない、と告げる。何故なら、ユキと結婚する事を決めていたからだ。
 猫王は、息子がハルと結婚しないなら、自分がハルと結婚する、と訳の分からない事を言い出し始める。
 ハル達は、トト率いるカラス達に助けられながら人間界に帰還。
 これを見た猫王は退位を決意。
 学校の屋上で、バロンはまた困った事件があったら猫の事務所の扉は開かれると言い残し、ハルの前から去る。
 ハルは感謝の気持ちを抱きながら、普通の生活に戻った。



感想

 ストーリ展開が無茶苦茶で、一貫性に乏しい。
 ファンタジーだから多少整合性が取れていなくてもいいじゃないか、という考えも出来なくもないが、もう少し筋が通ってほしい。
 最大の問題点はタイトルが「猫の恩返し」となっているのに、主人公のハルからすれば恩返しでも何でもない点。皮肉を込めてそういうタイトルにしたのかも知れないが、その割には皮肉が活きていない。

 この手のファンタジーは勧善懲悪にすればシンプルに纏まるのだが、本作では絶対的な「悪」が登場しない。
 猫王が本作の「悪」に相当するのかも知れないが、観る限りでは単なる我侭キャラで(主人公を息子と結婚させたかった、それが駄目なら自分の妃にしたかっただけ)、「悪人」と呼べる程の存在ではない。
 猫王の取り巻きにも、絶対的な悪はおらず、勘違いや思い違いでハルを困らせる迷惑な存在に留まっている。

 主人公のハルも態度や立ち位置をはっきりさせない。猫の国に行ってみてもいいかなと発言したと思ったら、直後に撤回する等、観ている側からしても感情移入がし難い。
 女子学生として、私生活で悩みが多いのは事実かも知れないが、観る限りでは極端に落ち込む程の悩みではないのである。
 ラストで、ハルは母親がびっくりする程前向きな姿勢を取る様になっているが、この姿勢はいつまで続くのか、と疑ってしまう。
 キャラデザインもイマイチで、可愛いとは思えない。
 美少女ではない、ごく普通の少女の物語にしたかったとしても、もう少し魅力的に出来なかったのか。

 本作でヒーロー役を務めるのが、バロンとの事らしいが、このキャラも微妙。
 格好いい様に描かれているが、無能過ぎる。
 まず、助けを求めにやって来たハルを自分の事務所からあっさりと奪われてしまう。
 次に、ハルを救出する為猫王の城に潜入し、ハルを城から連れ出すまでは良かったものの、城の外にある迷路で猫王の思惑通り迷ってしまい、困惑する。
 最終的にはハルを人間の世界に返す事に成功するが、バロンの活躍というより、バロンの仲間の活躍が目立った。
 一対一での格闘戦には長けているのは分かったが。

 結局何を伝えたかったのかよく分からない一編。
 ファンタジーだからといって、何でもありで、ストーリーに整合性が無くてもOK、という訳ではなかろうに。


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Last updated  2016.11.27 09:06:15
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2015.10.27
カテゴリ:邦画

るろうに剣心
映画「るろうに剣心
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 少年ジャンプで人気を博した和月伸宏による漫画『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』を原作とした実写版3部作の第1作目。
 主演は佐藤健。
 他に武井咲、吉川晃司、香川照之、江口洋介が出演する。
 監督は大友啓史。


粗筋

 幕末の日本では、幕府側と新政府側の対立で、様々な剣客が暗躍した。新政府側の「人斬り抜刀斎」もその一人。
 しかし維新後、西洋文化が取り入れられて近代化が推し進められるようになると、剣客らは「過去の遺物」と見なされるようになり、忘れ去られ、「人斬り抜刀斎」も実在していたのかどうかも分からない、ただの伝説の人物となってしまう。
 明治に移行してから10年。
「人斬り抜刀斎」こと緋村剣心(佐藤健)は、殺傷を良しとしない「不殺の誓い」を掲げて放浪していて、東京に流れ着く。
 丁度その頃、「神谷活心流 人斬り抜刀斎」を騙る辻斬り事件が発生していた。
 辻斬りの流派と噂されたが故に門下生が1人だけとなってしまった神谷活心流の師範代神谷薫(武井咲)は、剣心を辻斬りの犯人と勘違いして挑み掛かる。が、その直後に薫は実際の犯人である刃衛(吉川晃司)と遭遇。斬られそうになるが、剣心に救われる。
 阿片の製造・販売を手掛けて巨万の富を築いていた武田観柳(香川照之)は、事業の更なる拡大を企む。海外へ阿片を輸出出来る港湾の整備計画を立てた。その計画に当たって邪魔になっていたのが、薫の道場だった。観柳は、道場を潰す為、刃衛に「神谷活心流 人斬り抜刀斎」を名乗らせて辻斬りをさせていたのだった。
 観柳は、破綻全然の道場に手下を送り込み、道場の土地を譲るよう、迫る。
 薫は拒否。
 薫を痛め付けようとする手下らを、剣心が倒す。駆け付けてきた警官隊に、剣心は騒動の原因は自分にあって道場は無関係だと告げた為、連行される。
 連行された警察署に、剣心が抜刀斎である事を知る大物政治家山県有朋と、特命捜査官斎藤一(江口洋介)が姿を現し、剣心に阿片の捜査協力を願う。しかし、剣心はこれを断る。
 釈放された剣心は、出迎えた薫の説得もあり、道場で居候する事になる。
 観柳の下では、女医の高荷恵(蒼井優)が阿片を開発させられていたが、隙を見て逃げ出す。神谷活心流唯一の門下生となっていた明神弥彦と出会い、同じく道場に居つく事になる。
 薫の道場が一層邪魔になった観柳は、一帯の住民ごと抹殺する計画を実行する。井戸に毒を盛ったのだ。医師の知識を発揮した恵により、住民は助かる。
 恵は、これ以上住人にこれ以上迷惑が掛らぬようにと、観柳の屋敷に戻る。
 恵の書き置きを読んだ剣心は、喧嘩屋・相楽左之助と共に観柳の屋敷に向かう。観柳を倒し、恵を助け出す事に成功する。
 恵から、刃衛が薫を拉致し、剣心との戦いを望んでいる事を聞かされる。剣心は、今度は薫を救う為に刃衛の下へと向かい、決着を付ける。



感想

 人気漫画の上辺を抽出して実写化した結果、原作以上に漫画っぽい展開になっているという、不思議な映画。
 ハリウッドでもコミックスの実写版がガンガン製作されているが、それらは原作の本質をきちんと捉えた上で製作されている。子供が観て楽しめるのは当然だが、子供の頃に読んでいた、という大人の鑑賞にも堪え得るものになっていて、「大人向けにもなれるお子様ランチ」に仕上がっている。
 日本の場合、製作者は原作漫画の本質を捉えていないのが殆ど。大人の鑑賞に堪え得るものにはなっておらず、正真正銘の「お子様向けだけのお子様ランチ」にしかなっていない。

 本作は、実写版3部作の第1作目。
 本シリーズを初めて観る者、もしくは原作を知らない鑑賞者の為に、登場人物や舞台設定をきちんと説明する役割を担う筈。ストーリー自体はシンプルにまとめても良かった。実質的な本編は次回作から、という事で。
 残念ながら、原作では巻数をかなり割いて徐々に登場させていた主な登場人物、そして原作では同じく巻数をかなり割いて描いていたストーリーを2時間あまりの映画に欲張って詰め込んでいる。
 その結果、十数話分のテレビドラマの総まとめ編を観た気分になってしまう。
 本シリーズに馴染みが無い者からすれば説明不足で訳が分からないし、馴染みがある者からすれば深みが無くて物足りないものになっている。

 登場人物の描写は中途半端。
 原作を読んでいれば、その姿から、「ああ、あのキャラか」と分かる。
 が、そうでない者からすると、訳の分からないキャラ(相楽左之助、明神弥彦等)が突然現れては何の根拠も無く味方側に付いたり、敵側に付いたりして、それぞれ行動を起こしている印象を受ける。
 これだったら、いっそ登場人物を整理して、減らせば良かったのに、と思う(実際省略されているキャラもいるが、そういうのに限って「何故省略した?」と首を捻ってしまう)。

 ストーリーも、原作では別々だったエピソードが強引に一つにまとめられてしまい、無理がある。
 原作では、東京で辻斬りを犯していた「人斬り抜刀斎」は偽者で、一見頼り無さそうな緋村剣心こそ本物の「人斬り抜刀斎」だ、というのが徐々に明らかにされる展開になっている。が、本作では冒頭で緋村剣心=人斬り抜刀斎であるのが明かされ、辻斬り犯は偽者、というのも直ぐ判明してしまっており、面白みに欠ける。
 十数年前は殺しに殺し捲くっていた主人公剣心が何故現在はひたすら「不殺」を貫くのか、という重大なテーマも軽く触れられているだけ。剣心の過去を知る斎藤一や刃衛から「お前の『不殺』の考えは甘ちょろい。目を覚ませ」と幾度も悟られるが、観ている方からしても甘ちょろく映った。

 出演者も、演技をしているというより、やりたくもないコスプレをさせられている、といった感じで、深みがまるで無い。
 特に、剣心を演じる佐藤健はジャニタレとあって、本人や製作者の意向より事務所の意向が強く反映されている様に映る。「事務所として所属タレントがこれをするのはNG」が乱発されたらしく、演技の幅が極端に狭い。
 普段は頼りがいが無さそうな優男だが、いざとなると超人的な力を発揮する元人斬りというキャラの筈なのに、「剣捌きが多少上手いだけの若造」にしか見えない。敵側の方が強く見える。その強く見える敵も結局剣心に倒されるのだから、所詮見掛け倒れ、という事になってしまう。

 キャラはイマイチ、ストーリーもイマイチ。
 ただ、アクションシーンだけは日本映画の極み……、と言いたい所だが、これもイマイチ。
 というか、陳腐。
 荒唐無稽になりがちな漫画のアクションシーンを説得力を持って実写化するには、相当な予算と綿密な計画が必要。
 しかし、製作者は「所詮漫画の実写に、そんな予算も時間も掛けられない」と割り切ってしまったらしい。
 何の説得力も無いアクションシーンの連続。
 下手にハリウッドを意識しているので、無意味に血生臭く、お子様には見せられない。それ以外の部分は上述した様に「お子様向けのお子様ランチ」なので、バランスが悪い。結局どの様な観客をターゲットにしているのか、と疑ってしまう。
 血生臭さが迫力や緊迫感をもたらしているならまだ救えるが、それも無い。
 再放送で観られる水戸黄門の殺陣の方が、まだ迫力がある。
 予算が限られたといっても、テレビドラマよりは余裕があっただろう。にも拘らずこの程度しか製作出来ないとは、驚く。

 本作は、欧米映画だけを観て時代劇をろくに観ていない連中が、「日本ならではのアクション映画を作ろう! 外国人にも受けるよう、サムライを登場させよう! ただし時代劇なんて爺臭いものは完全に無視する! 『時代物』の新たなスタンダードを、我々で作るのだ!」という壮大な目標を掲げて製作した代物といえる。
 が、完成品を観る限りでは、逆に昔の時代劇の技術力の高さと、伝統の奥深さを再認識させられる。
 本作なんかより、過去の時代劇を海外に発信した方が、「ジャパニーズ・アクション」として世界から評価されそうな気がする。
 特に水戸黄門なんかは、殺陣こそあるものの血生臭くないし、ストーリーは勧善懲悪で、日本文化に詳しくない者が観ても分かり易いし。
 日本は、手元にある資産の活かし方をとにかく知っていない。


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Last updated  2015.10.29 12:56:04
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2015.10.17
カテゴリ:邦画

思い出のマーニー
(C) 2014 GNDHDDTK
映画「思い出のマーニー
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 米林宏昌監督によるスタジオジブリの長編アニメ。
 原作は、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学。
 原作はイギリスが舞台で、登場人物も当然ながらイギリス人だが、本作では舞台は北海道に変更され、登場人物も日本人に改変されている(主人公アンナは漢字で「杏奈」になっている)。マーニーだけは原作と同じく金髪で青い目の白人少女として描かれている。
 ジブリの両雄とされる宮崎駿・高畑勲監督は、本作に一切関わっていない。
 ジブリの次世代を担うと期待された米林監督だが、本作公開後に退社している。


粗筋

 杏奈は、唯一の肉親だった祖母を幼少期に失い、里親に育てられていた。実の親に捨てられた、という思いからか、他人を受け入れず、内向的な性格になっていた。喘息の療養の為、札幌から、里親の親戚がいる海辺の町へ行く事になる。
 町を巡っていると、古い屋敷を見付ける。それについて周囲に話すと、あれは幽霊屋敷だと言われる。これまで何度も所有者が変わっていて、現在は空き家だと。
 杏奈は屋敷に近付く。空き家の筈なのに、誰かが住んでいるように見えた。そして、屋敷に住むという不思議な少女マーニーと出会い、親友となる。杏奈は、屋敷で催されたパーティーにも参加する。その時は屋敷は空き家にも廃屋にも見えなかったが、翌日訪れるとやはり空き家の廃屋にしか見えない。
 パーティーの後、マーニーは姿を見せなくなり、屋敷には新たな住民が引っ越して来る。
 杏奈は、マーニーを自身の空想が作り上げた存在だったと思うようになる。が、屋敷に引っ越してきた少女彩香から、彼女が見付けたというマーニーの日記を見せられる。
 杏奈は、マーニーが実在するのか、実在しないのか、空想の産物なのか、屋敷は空き家なのかそうでないのかが分からなくなってくる。
 杏奈は再びマーニーと出会い、互いの悩みを打ち明けあう。
 マーニーが海辺の高台にあるサイロを恐れている事を知ると、それを克服する為に2人でサイロに向かう。嵐の中で、杏奈はサイロに置き去りにされてしまう。杏奈は怒り、悲しむが、マーニーから別れを告げられ許しを求められると、マーニーを許す。
 杏奈は、マーニーの友人だったという老婦人と出会う。老婦人の話から、マーニーの生涯を知る。マーニーは屋敷で、親に見捨てられた形で育ち、やがて結婚して娘を生むが、夫にも娘にも先立たれてしまう。残されたのは娘の子、つまり自身の孫だった。マーニーは孫を懸命に育てるが、心労がたたって亡くなってしまう。孫は里子に出される。
 その里子こそが、杏奈だった。
 杏奈は、当の昔に亡くなっていた自身の祖母と交流していたのだった。



感想

 様々な悩みを抱えていた少女杏奈が、謎の少女マーニーと出会う事で、自身の生い立ちを知り、悩みから解放される。
 ……という、まとめてしまうと単純なお話。
 ただ、変にミステリー仕立てにしたり、ファンタジー仕立てにしたり、「人間を描く」等の要素を加えたりしているので、複雑なストーリーになってしまっている。
 複雑にした事でストーリーにより深みが出て、面白い作品に仕上がっているのかというと、そうではないのが残念な所。

 謎の少女マーニーは、実は杏奈の祖母の若い頃の姿でした、という真相は、流れで何となく分かっていく。したがって、ラストでそれが明確に告げられても、「やはりね」といった感じで、驚きに値しない。寧ろ「実は杏奈とマーニーには何の繋がりもありませんでした」というラストになっていた方が衝撃的だっただろう。
 杏奈の里親の親類が、アンナの祖母が育った家の側に住まいを構えていた、という偶然も出来過ぎ。
 ミステリー仕立てになってはいるものの、ミステリーの部分が弱過ぎて、鑑賞者の予想を上回るどんでん返しは無い。

 杏奈が、他人には幽霊とも捉えられるマーニーと友人関係を築いていくというファンタジーも、最初は興味深いが、後半になってマーニーは何者なのかという中途半端なミステリーに軸足が傾くと、くどく感じる様になる。観ている方は真相にはうすうす気付いてしまうので、もったいぶってないでストーリーをさっさとそれに持ち込め、と思ってしまう。

 最大の問題は、「人間を描き過ぎている」事。
「人間を描く」事は、ストーリーに深みを持たせる為には不可欠とされる。
 紙人形の如く薄っぺらなキャラでは、作品全体が印象に残らない代物になってしまうのは事実。
 では、とにかく描き捲くればいいのか、というとそうでもない。
 人間を描く、という事は、登場人物の欠点を詳細に描く事に繋がる(欠点が一つも無い「良い人」だと、いくら詳細に描いてもリアリティに乏しくなる)。結果的に、自己中心的な、共感に値しない登場人物を作り上げてしまう事になる。
 本作の主人公杏奈は、親を亡くし、里子に出されている。里親とは血の繋がりは無い。それを悩みにしていて、心労からか病気になりがち。そんな事から他人の親切を素直に受け入れる事が出来ないどころか、拒絶する。
 現実の世界では、そういう人間がいるのは分かる。というか、大抵の人間は多かれ少なかれそうである。が、スクリーンで、他人の親切を散々拒絶しておきながら「自分は誰にも愛されていない不幸な人間」みたいな顔をしているキャラを見せ付けられても、共感し難い。

 杏奈は、他人をひたすら拒絶するのに、何故かマーニーという謎の少女は自ら進んで接触しようとする。
 では、そのマーニーは物凄く素敵なキャラなのかというと、そうでもなく、寧ろ意地悪で、自己中心的で、杏奈を困らせる。マーニーも、杏奈と同様、不幸な生い立ちなので、性格が曲がってしまうのは止むを得ない、と観ている側は納得出来る。が、同情には値しない。
 本作は、結局杏奈とマーニーという、共感に値しないキャラ同士の交流(正確には傷の舐め合い)を描く羽目になってしまっている。
 共感出来ないので、2人に様々な事が起こっても何も感じない。杏奈が最終的に悩みから解放されて、人生を前向きに生きるようになる、という結末を見せられても、心が温まるどころか、「その前向きな姿勢はいつまで持続するのかね」と疑問の目で見てしまう。

 杏奈は、彼女に親切に接しようとする垢抜けない少女信子は強硬に拒絶するが(「太っちょ豚」と呼んでしまう)、ちょっと意地悪な美少女マーニーは拒絶しない。
 結局見た目かよ、と呆れてしまい、ますます好感度が下がる。
 人間的には、信子の方が何倍もまともに映る(「太っちょ豚」と呼ばれても特に腹を立てず、その場を収めようとする)。杏奈より1歳年上というのが信じられない落ち着き振り。容貌は、製作者の意図からか、不細工だが(杏奈とマーニー以外はほぼ全員が不細工というか、垢抜けない田舎者として描かれている)。

 杏奈とマーニーは、好感度が下がる程人間が詳細に描かれているのに、他の登場人物は雑魚扱い。キャラクターデザインで辛うじて区別出来る程度。
 重要キャラである筈の杏奈の母親(マーニーの娘)や父親は、ラスト辺りでほんの少し登場し、軽く触れられるだけで、存在がとにかく薄い。

 製作者は、何故ここまで素直でないキャラを主人公にする事にしたというか、主人公をそう描く事にこだわったのか。

 ジブリらしく、絵は綺麗だが、これまでの同スタジオ作を上回るクオリティではない。
 3DのCGアニメが一般的になってしまっている現在では、二世代も三世代も前の代物に見えてしまう。

 一度は観てみたものの、また観たいとは思えない。
 最近のジブリ作品全てに当てはまるが。


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Last updated  2015.10.27 12:36:05
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2015.04.03
カテゴリ:邦画

かぐや姫の物語
映画「かぐや姫の物語
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 日本最古の物語とされる竹取物語(かぐや姫)を、原作にほぼ忠実にアニメ化。
 水彩画や墨絵をアニメにした様な、独特のタッチが特徴。


粗筋

 平安時代。
 山里に竹を取って暮らす老夫婦がいた。
 ある日、老人は光り輝くタケノコを発見。中には赤子がいた。老人は、赤子を家に持ち帰り、妻と共に育てる。赤子は半年で少女へと成長。近所の子供達と、自然の中で遊びながら、天真爛漫に育った。
 その後老夫婦と共に都へ移り住み、かぐや姫と名付けられ、「高貴の姫君」としての教育を受ける。
 美しく育ったかぐや姫の下に、5人の求婚者が現れる。
 結婚を望まないかぐや姫は、求婚者それぞれに対し珍しい宝物を持って来てほしい、と要求。宝物を持って来た者と結婚する、と。
 求婚者らは数年かけてかぐや姫が欲しいと願った宝物を探して、持参するが、偽物ばかりで、誰一人宝物を持って来る事に成功しなかった。また、求婚者の一人が、宝物を得ようとする際に事故で死亡。
 これを知ったかぐや姫は、自分を責める。
 かぐや姫の事は帝の耳にも入る。帝は彼女に言い寄ろうとするが、彼女は彼すら拒んだ。
 かぐや姫は、育ての老夫婦に、自分は月から下ろされた者で、近々迎えが月からやって来る、と伝える。
 老夫婦は兵を雇って阻止を試みるが、月からやって来た天人らには全く通じず、かぐや姫は月へと連れ帰される。


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感想

 日本人の誰でも知っている竹取物語。
 原作にはあるもののあまり一般的に知られていないエピソード、そしてオリジナルのエピソードやキャラを加えて、長々と映画化。
 細かい部分には新たな解釈があるものの、全体な流れや結末に関しては新たな展開はない。

 かぐや姫が望みもしない男共との求婚を迫られ、死を望むが、いざ死期が近付くとやっぱり生きていたいと考えを改め、抵抗する。が、一旦死ぬ事を決めてしまった以上、覆す事は許されず、そのままあの世へと旅発つ……。
 月からやって来た天人が、菩薩の姿をしていて、かぐや姫は「月へ帰った」というより「あの世へと旅発った」、つまり単純に「死んだ」というのは、これまであまり意識していなかった、新しい解釈と言える。これは、本作の功績と言えなくもない。

 一方、現在の価値観を、平安時代に当てはめ、優劣を決めようとする見せ方は疑問に思う。

 本作では、田舎での生活はのんびりしており、平和である一方、都会の暮らしは窮屈で、欲に塗れている、として描かれている。
 現在と平安時代では、法律も技術も価値観も風習も違っていた訳だから、田舎で暮らすのが幸せで、都会での暮らしはひたすら不幸だ、と強調されても違和感が。
 電気も機械もない平安時代にもなると、田舎での暮らしはのんびりとしたものとは到底思えない。大自然を人力のみで相手にせねばならず、苦労の連続でしかなかっただろう。
 平安時代の都会での暮らしは、現代人の視点からすれば規律に塗れて窮屈に映るが、当時の者にとってはそれが普通の生活なのである。そうした規律がなければ、秩序を保てなかっただろう。

 現代人だって、「都会暮らししているあなたは不幸だから、田舎に越して幸せになりなさい」と突然持ちかけても、拒否するのが大半と思われる。
 もし田舎暮らしが本当に幸せなら、何もこんなアニメに言われなくても、大挙して都会から田舎に流れている筈。
 田舎も、ただただのんびりと生活出来る訳ではなく、不便や苦労が多い、という事実を知っているからこそ、都会に留まっているのである。

 かぐや姫が男に言い寄られ、相手との相性を確かめられぬまま結婚相手を決めなければならないのは可哀想だ、という描き方も、現代の視点でしかない。
 ネットは勿論、写真技術ですらない当時では、直に顔を合わせる事無く結婚を決めるのは当たり前で、悲観する出来事ではなかったと思われる。寧ろ、手紙のやり取りだけで相手の本性を見抜く能力(現在の者から超能力みたいなもの)を、当時の者が備えていたとしても、不思議ではない。
 当時の者からすれば、一々顔を合わせたり、画像や映像を観たりしないと相手の本性を見抜けない現代人こそどこまで鈍感で、感性や想像力に乏しいんだ、という事になるだろう。

 本作は、海外の映画祭に出展されたが、賞を獲得するまでには至らなかったようである。
 海外の者が、現在の日本人ですら正確に把握していない平安時代の人々の暮らしや、習慣や、思考を、理解出来るとは到底思えない。
 独特のタッチの絵も、ディズニーの3Dアニメーションが世界を席巻している現状では、手抜きというか、未完成のラッシュを観ている気分だっただろう。

 何度か観ている内に、その奥深さが分かる作品。
 ただ、そう思えるようになるまで何度も観たいか、というと疑問に思う。


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Last updated  2015.06.21 07:54:12
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2015.02.07
カテゴリ:邦画

ジョーカー・ゲーム
(C)2015「ジョーカー・ゲーム」製作委員会
映画「ジョーカー・ゲーム
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 第30回吉川英治文学新人賞等を受賞した柳広司の短編小説集を原作にしたスパイアクション。
 主人公を演じるのはジャニーズ系アイドルグループKAT-TUNのメンバー・亀梨和也。
 他に、伊勢谷友介、深田恭子、小澤征悦、嶋田久作が出演する。


粗筋

 架空の第2世界大戦前夜。
 陸軍士官学校で訓練を受けていた嘉藤(亀梨和也)は、重大な規律違反で極刑に処される事に。が、刑の執行直前に結城中佐(伊勢谷友介)に救われる。
 結城中佐は、D機関という諜報機関を組織した人物だった。これまでは民間人をスパイとして起用していたが、今回初めて軍出身の嘉藤をスカウトしたのだった。
 嘉藤は、他の候補生と共に数々の訓練を乗り越え、スパイとなる。
 初の任務で、大陸のある都市に送り込まれる。
 新型爆弾の設計図が載った「ブラックノート」を取って来い、という任務だった。
 ブラックノートは、元々ドイツ軍によって作成されたのだが、今はアメリカの大使の手元にあった。大使は近々アメリカに帰国するので、その際にブラックノートもアメリカに渡る、と推測された。
 嘉藤は、アメリカの大使館に忍び込み、ブラックノートを奪う事に成功。
 しかし、ブラックノートを欲しがっているのは、日本だけではなかった。イギリス情報部が介入し、争奪戦が始まる……。


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感想

 スパイ映画だというので、和製007を期待していたのだが……。
 ルパン三世実写版になっていた。
「ブラックノート」というお宝。謎の美女。不気味な悪役。死んだ、破門されたと思っていたら結局は全員仲良く生き残って丸く収まる愉快な仲間たち。自動車で逃げる主人公を某機関の者が同じく自動車で追うラスト……。
 日本でスパイ映画を製作すると、どうしてもルパンになってしまうらしい。
 といっても、流石に本作並にルパン三世をパクってしまうと、そちらの原作者から訴えられそうだが。
 何故原作をモンキーパンチではなく柳広司にクレジットしたのかが不明。

 本作の最大の問題は、どういった映画にしたかったのかが分かり辛い事。
 原作はシリアスな小説らしいのに、本作はどことなくコメディタッチ。
 にも拘わらず肉体派アクションも中途半端に絡めている。
 コメディにも、アクションにも、アクションコメディにもなり切っていない。
 大人の鑑賞に堪え得る作品を目指しているにしては、童顔のジャニーズ系アイドルを主人公に据える等、真剣さが覗えない。
 といって、第二次世界大戦前を時代設定としたスパイ映画という題材自体は、若者・女性向けではない。

 登場人物の設定も、グダグタ感が漂う。
 嘉藤は、軍出身ながらも諜報員としての素質を持ち備えた優秀な人材だったので、結城中佐によってスカウトされた、という事になっている。
 スパイ養成学校では、嘉藤は優秀振りを存分に発揮し、他の候補生らを感心させている。
 が、いざ訓練を終えて任務先に向かうと、途端にポンコツ振りばかり披露する様に。
 ブラックノートを奪いにアメリカ大使館に忍び込むのだが、自信を持って隠し場所だと目星を付けた金庫には全く無関係の書類しかなく、日を改めて再び忍び込む羽目に。「下手な鉄砲撃ちゃ当たる」と言わんばかりに探し回り、漸く見付ける。
 やっと奪ったのだからさっさと戻って仲間に渡せば任務は完了するのに、大使館に勤めていた薄幸な謎の美女(深田恭子)の手助けに執着。
 謎の美女は、実はリンという、フリーランスのスパイだった。リンはブラックノートを嘉藤から奪い、逃走。嘉藤は、彼女を追って町中を走り回る。漸く追い付いたら、リンを雇っていたイギリス情報部と鉢合わせ。捕まってしまう。
 嘉藤は、D機関の仲間の助けもあり、再びブラックノートを奪って逃げる事に成功するが、リンを助けなければという発想に捉われ、無駄なリスクを犯す。
 見え見えのハニートラップに引っ掛かりまくりのスパイの、どこが優秀なのか。
 学校では優秀な成績を収められるが、いざ社会に出るとまるで使い物にならないポンコツ社会人そのものである。
 これだったら、「嘉藤は何の取り得もない男だったが、ふとした事でD機関に拾われ、スパイとしての訓練を受けるが、そこでも何の才能も発揮出来ない。しかし、諸事情により訓練の途中で現地に送られる羽目になった……」という設定にしていた方が、未熟さにも説得力を持たせられただろうに。
 何故無意味に「優秀」なキャラにしてしまったのか。

 本作で繰り返し述べられる言葉が、「死ぬな、殺すな」。
 スパイは他人を殺しまくっていたら目立ってしまい、任務を遂行出来なくなる(ハリウッド映画のスパイはあまり遵守しないが)。無論、スパイ本人が死んでしまったら、任務の完遂は無理。
 したがって、スパイは無闇に人を殺すべきでないし、本人も自決すべきではない、という考えは、理に適う。
 ただ、「死ぬな、殺すな」は、あくまでも任務の遂行に不可欠だからこそ繰り返し述べられている筈。人道的観点に立って生まれた言葉ではない。寧ろ人道的観点とは正反対の、冷酷で非情な論理に基づいている。
 にも拘わらず、本作では「死ぬな、殺すな」はまるで「義理人情を重視しましょう」という意味で使われている。嘉藤がハニートラップ女を繰り返し救出しようとするのも、「死ぬな、殺すな」を義理人情の事だと勘違いしていて、製作者側もそれを後押ししているから(ジャニーズ事務所から、所属アイドルが演じる主人公を冷酷非道にするのはNG、と通達を受けているかの様)。
 製作者側が言い出した言葉なのに、その言葉の本質を捉え切っていないのは悲しい。
 同時に、臨機応変に考え、動けなければならないスパイを、こうした鉄則で縛ってしまうのは、おかしいのではないか、とも思う。

 俳優の演技も、イマイチ感が漂う。
 亀梨和也は、公開の時点で30歳にも手が届き、俳優としての出演作も多い筈なのだが、まるで深みを感じさせない。
 未だに新人の、顔だけが自慢のアイドル、といった佇まい(その自慢の顔も、ジャニーズ系アイドルに特に興味がない者からすれば十人並みでしかない)。
 深田恭子にいたっては、既に三十路を超えていて、10代半ばのデビューから20年近くのキャリアを積んでいる筈なのに、台詞が全て棒読み。見せ場である筈のアクションシーンも切れがなく、重そうに映る。顔は悪くはないのかも知れないが、三十路過ぎの女を今更良い悪いとケチを付けてもしょうがない。
 唯一存在感を出していたのは伊勢谷友介だが、彼も結局は漫画風の設定になってしまったキャラを見事漫画風に演じ切っただけ。

 本作は、外国人俳優が多数登場する。
 国際色を出したい、という思惑からなのだろうが……。
 外国人俳優は、当然ながら英語の台詞を喋っていた。
 が、日本語の脚本を翻訳家に渡して「直訳して下さい。意訳は避けて下さい」といったつまらぬ注文を付けてしまったらしい。文法的には破綻していないが、台詞として喋らせると不自然に感じてしまうシーンばかりになってしまった。
 脚本を書き上げる段階で日本語と英語の双方を理解している者に読んでもらい、不自然な部分を確認させられなかったのか。脚本の段階では、不自然さに気付き難い、という側面もあるのかも知れないが。
 それでも、撮影がある程度進んだら、ラッシュ試写がある筈。その段階で英語力がある者を招待していたら、「英語の台詞が不自然ですよ」と指摘を受け、撮り直しも出来ただろう。
 その程度の手間を拒んだ結果、外国人にはとてもではないが見せられないチープな代物が出来上がってしまった。
 よくバライエティ番組で、変な日本語を使う外国人や、海外で誤解されている日本文化を探し出しては笑う、というのがあるが……。日本も英語においては結局同じ様な過ちを繰り返している。
 亀梨和也にも英語の台詞があるが、「イーオンの英会話学校でしっかり学習しました」という程度のレベルで、誉められたものではない。

 本作が公開されていたのと同じ時期に、元007のピアース・ブロスナン出演作「NOVEMBER MAN(邦題スパイ・レジェンド)」も公開されていた。
 そちらが大人向けのスパイアクションなら、こちらはお子ちゃま向けスパイアクション。
 邦画は、どうあがいても洋画には勝てない。

 結局、ジャニーズアイドルのプロモーションビデオを、金を払って観た鑑賞者が一番のジョーカー、という事らしい。


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Last updated  2015.06.21 10:03:48
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2014.12.07
カテゴリ:邦画

幸福の黄色いハンカチ
(C)1977, 2010 松竹株式会社
映画「幸福の黄色いハンカチ
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 寅さんシリーズで知られる山田洋次による監督作。
 仁侠映画で名を馳せていた高倉健が、仁侠映画から脱却するきっかけになった作品の一つ。
 また、歌手活動がメインだった武田鉄矢にとって、俳優活動への道を切り開いた作品でもある(起用された時点では「一発屋」と見なされ、殆ど忘れ去られていた存在だったという)。
 倍賞千恵子や渥美清等、寅さんシリーズでお馴染みの俳優らも起用している。


粗筋

 恋人と失恋した花田欽也(武田鉄矢)は、自棄になって務めていた工場を辞める。退職金で車を買い、単身でフェリーに乗り北海道へ向う。網走に到着した。
 そこで、職場で恋人を同僚に取られ東京から一人で傷心旅行に来ていた朱美(桃井かおり)に声をかけ、一緒に旅する事に。海岸に立ち寄ると、写真を撮る事にした。
 二人は、偶々いた男性に声をかけ、カメラで写真を撮ってもらう。この男こそ島勇作(高倉健)だった。
 欽也と朱美は、これも縁だと思って勇作を車に乗せ、3人旅を始める。
 欽也は、朱美と肉体的関係を持ちたかったが、朱美はこれを直ちに拒否。欽也は残念がるが、それでも旅は続ける。勇作も、何だかんだで同行する羽目に。
 車中での会話で、勇作はかって暮らしていた夕張に向かっている事が明らかになる。
 帯広で、欽也は別のドライバーとふとした事で喧嘩になってしまう。勇作が相手の男を殴り飛ばし、その場を逃走。が、勇作が運転し続けた為、警察の検問に引っかかってしまう。
 この時点で、勇作は刑務所から出所したばかりで、無免許である事が発覚。最寄の警察署に連行される。そこでは、かって勇作の事件を担当した警察官(渥美清)が偶然勤務していた。その警察官の計らいにより、事なきを得たが、刑務所帰りである事が、欽也と明美にばれてしまった。
 勇作は一人で夕張へ向うと言うが、欽也と朱美はそれを許さず、3人で向かう事に。
 勇作は、自信の過去について語る。妻光枝(倍賞千恵子)との出会い、結婚。暫くすると、光枝は妊娠したらしいと言う。「もし妊娠していたら、家の前の竿の先に黄色いハンカチを揚げておく」という彼女の言葉を受けて、勇作は出勤する。仕事帰りに、竿の先にはためく1枚の黄色いハンカチを見つけた彼は、大いに喜ぶ。しかし光枝は間もなく流産。病院で、今回の流産が光枝にとって初めてではないのを、勇作は知ってしまう。勇作はヤケ酒をあおった後、夜の繁華街に繰り出し、偶然肩が当たった男と喧嘩を始めてしまい、相手を死なせてしまう。勇作は逮捕され、網走刑務所に入ったのだった。
 勇作は、出所直後の網走で光枝宛てに葉書を出していた事も告白する。「もし、俺を待ってくれるなら竿に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。それが下がってなかったら、俺はそのまま引き返して、2度と夕張には現れない」と書いていた、と。
 3人は漸く夕張に到着するが、その時点で勇作は後ろ向きになり、「やっぱり引き返そう」「どう考えたってあいつが一人でいる筈がない」と言い始める。
 欽也と朱美は、そんな彼を励まし、記憶を辿るようにして光枝の住まいへと向う。
 光枝の住まいでは、何十枚もの黄色いハンカチが風にたなびいていた。
 欽也と朱美は、勇作の背中を力強く押し出し、見送る。
 勇作と光枝は、久し振りの再会を果たし、仲良く家の中に消えて行く。
 全てを見届けた欽也と朱美は、車中で自然に手を握り合い、強く抱き合い、キスをする。


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感想

 演出、ストーリー運び、登場人物、配役、風景等、良い意味でも、悪い意味でも、昔の日本映画、といった感じ。
 現在、このままそっくりリメークして公開したところで、酷評の嵐に曝されると思われる。1970年代後半に製作・初公開されたからこそ、現在も活きている映画だと言える。

 30年以上前の作品なので、現在の視点だけで観てしまうと、不可解な部分が多い。

 まず不可解なのが、ストーリー運び。
 冒頭では、欽也が失恋し、自棄になって会社を辞め、車を購入し、北海道へ向い、そこで偶々出会った朱美と旅を始める経緯が延々と描かれている。
 そんな訳で、本作の主人公は欽也と朱美で、二人の珍道中が描かれるのかと思いきや、途中で勇作が参戦し、ストーリーは彼を中心に動くようになる。
 勇作が主人公だったのか、と思って観ていると、勇作は妻と再会して退場。残された欽也と朱美が、これまでいがみ合っていたのが嘘だったかのように急接近する。
 やはり欽也と朱美が主人公だったのか、これから映画はどこへ進むのか、と思っていたら、その時点で完結。
 結局誰が主人公だったのかが、よく分からず、まとまり感がない。
 勇作をメインにした人情映画にしたいのだったら、勇作を最初に登場させ、欽也が失恋するくだり等は省くのが得策だっただろう。
 欽也の朱美を主人公にしたコメディ映画にしたいのだったら、勇作を絡める必要は全くなかった。
 ジャンルの全く異なる2本の脚本を、強引に1本にまとめてしまったかのような印象を受けてしまう。

 登場人物の描き方にも疑問点が。
 勇作は、根は真面目ながらも、不器用な為、人生が思い通りに運ばない気の毒な人物、として本来は描かれたようである。
 が、刑務所に入った理由が、妻の過去を知って自暴自棄になって赤の他人と喧嘩を始め、死なせてしまうという、下手なヤクザより性質の悪い人物。こんな男に、どうすれば同情出来るのか。妻がふとした事で男に暴力を振るわれ、それを止めに入った勇作が相手を死なせてしまった、といった同情に値する服役の経緯に、何故出来なかったのか。
 そもそも、勇作を何故受刑者にしてしまったのかも不明。朱美の尻を追い回す欽也に対し、勇作は説教するシーンがあるが、「お前が言うか?」という感情を抱いてしまう。
 勇作と光枝は、再会を果たし、今後幸せに暮らしていきますよ、と製作者は伝えたがっているようだが……。それはどうかね、と観ている方として思う。勇作が人殺しである事実は変わらないし(遺族から賠償金を請求されないか)、出所後に欽也と絡んだ男を殴り飛ばす姿からすると、性格が丸くなったとも思えない。勇作は、少なくとも最初は真面目に生きようと懸命に努力するものの、結局また暴力に走りそうな気がする。
 勇作を演じた高倉健は、長年仁侠映画に出演していて、それからの脱皮を考えていたが、思い通りに進んでいなかった。それが、本作をきっかけに仁侠映画以外の役が得られるようになった、との事だが……。
 少なくとも本作は元受刑者という役柄なので、まだ完全に脱皮していなかった事になる。

 配役にも時代を感じさせる。
 武田鉄矢は、田舎からやって来た若者の欽也、桃井かおりは都会からやってきた女性の朱美として起用された、との事だが……。
 武田鉄矢は適役と言えるが、桃井かおりはイメージに合わない。特に美人という訳でもなく、可愛さもなく、せいぜい都会にやって来て粋がっている田舎出身のイモ娘、といった感じ。そもそも桃井かおりが現在大女優扱いされているのが、自分にとっては不明、という事もあるが。

 本作が公開されたのは1970年代後半。
 高度成長期が一段落し、二度のオイルショックをどうにか乗り越え、バブルへと向い始めていた時代。
 遠い昔、という程でもないのだが、本作で映される北海道の町並みは、終戦から間もない風景をカラーフィルムで撮影した感じ。民家が、廃材を掻き集めてどうにか家っぽくこしらえたものばかりの様に見えた。
 日本という先進国でさえも、経済の発展がこの時点ではまだ全国に行き届いていなかった事を示している(現在でも行き届いている気はしない)。

 演出も、日本映画特有の、「説明的」な部分が多く、観客の想像力に任せてもらえない。
 ラストの場面も、無数の黄色いハンカチが風にたなびいているシーンを見せるだけで、光枝が勇作を待っている事が明白に伝わるのに、朱美にあえて「見て! 黄色いハンカチよ!」といった台詞を言わせ、「説明」してしまっている。当時は一々説明してやらないと分かってくれない、という事情もあったのかも知れないが、現在からすると過剰演出としか映らない。
 何故日本の監督は「一々きちんと説明してやらないと、観客はこちらの意図をきちんと汲み取ってくれない」と恐れるのか。そもそも、映画の受け止め方や解釈は、最終的には観客本人が決める事で、監督が逐一介入するのは、芸術家として未熟だという事になってしまう。

 数々の賞を受賞し、名優と称される俳優が出演している事から「不朽の名作」とされる本作だが、仮に現在は殆ど名を忘れ去られてしまった俳優が主役を演じていた場合、果たして「名作」と評価されていただろうか。


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