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1854年に結ばれた日米修好通商条約の条約批准書を交換する為に日本の代表団がアメリカに渡ったのが1860年である。
日本は正使新見豊前守正興、副使村垣淡路守範正、目付小栗豊後守忠順の3人を派遣したのだが、彼らはアメリカの軍艦ボーハタン号に乗っていた。 咸臨丸は随伴船である。勝海舟と咸臨丸が何故か遣米使節団と思われているようだが、それは間違いである。 目付小栗豊後守忠順後の小栗上野介こそ日本の近代化に大きな役割を果たした人物で、勝海舟よりは評価されるべき人物だと私は思う。 咸臨丸には、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など話題になりやすい人物が乗船していたし、日本人初の太平洋横断などと(これも誤解だが)、取り上げられることが多いのでやむ終えない面がある。 この咸臨丸は徳川幕府がオランダに発注して造られた船だし、近海用の喫水の浅い船であった。本当は観光丸という船が伴走船に決まっていたが、急遽咸臨丸に変更になったとか、 アメリカの乗員がほとんど運航していたとか、勝海舟は船酔いで船室から出られない状態であったとか、面白い話は沢山ある。 咸臨丸の最後には清水の次郎長までが出てくる。 それはさておき、咸臨丸は1860年2月10日に横須賀の浦賀を出港し、5月5日に浦賀に帰港した。この咸臨丸の日本人乗組員はアメリカで実に堂々と行動し、日本の名声を高めた。 奇しくも横須賀出身の小泉純一郎氏が今の首相である。 日米修好通商条約から150年たった今、イラクで血迷っているアメリカに堂々と意見し、行動を諌めて欲しいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.05.08 20:22:11
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