眼科クリニック開業までの軌跡

2024/02/03(土)08:15

根室本線 富良野-新得間(前編)

乗り鉄(247)

2024年3月限りでの廃止が決定している根室本線の富良野-新得間に乗車。 東鹿越駅から新得駅間は、2016年の洪水により復旧されることなくバス代行となっている。 富良野から新得までは、1981年に石勝線が開業するまでは道央と道東を結ぶメインルートとして数多くの優等列車が走っていた。1988年3月、北海道ワイド周遊券を利用しで、上りの急行狩勝に乗車したのが、私の初乗車である。今回の廃止予定区間に含まれないが、富良野から野花南までの区間は、ダムの建設により1991年にトンネルを含む新線に切り替えとなっている。 当時の時刻表を確認すると、記憶が蘇る。前日のくだり急行大雪に乗車、北見駅で下車した後、池北線の始発列車に乗り換え、その後、帯広に向かったようだ。このあと、帯広から急行狩勝で砂川まで乗り廃止前の歌志内線を往復した後(3月なのですでに往復とも日没後)、車中泊のため札幌に向かったようである。 -以下時刻表1988年3月号より転載。- 当時は、まだ三井芦別鉄道が現役で、芦別駅には石炭を積んだ長い列車が停まっていた。 廃止が間近に迫った2024年1月、滝川駅の始発列車に乗れば、明るいうちに廃止区間に乗車したあと、栃木まで戻ってこられることを確認した。机上旅行でも十分楽しいが、実際に乗ってみたくなる。 冬季の北海道旅行は、天気により帰宅困難になる可能性があり、不通になる可能性が低い気象条件が整ったため、実行に移したのであった。 土曜日の診療後、宇都宮駅から、新幹線、特急北斗、特急カムイを乗り継いで、滝川駅に到着したのは、22時52分である。今晩宿泊するホテルは、駅からおよそ600m離れており、降雪があると雪中行軍となってしまわないか心配であったが、この日の天気は晴れであった。 滝川駅に乗降するのは何度目であろうか。一番の思い出は、札沼線の新十津川駅から、徒歩連絡で滝川駅を目指したことであろう。1995年、私が学生の頃、札沼線の末端区間には1日3便の乗車機会があった。桑園から新十津川駅まで乗りつぶしたあと、そのまま引き返すには鉄道ファンの私にもあまりに退屈なので、新十津川駅を降車後、石狩川対岸の滝川駅まで、徒歩で移動したのであった。現在はグーグルマップという便利なサイトがあるが、当時は、地図や旅行雑誌で事前に調べ4.5km、徒歩でおよそ1時間と見積もった。 今回、グーグルマップで、徒歩連絡のルートを再現したみたら、私が歩いた道は、どうやら最短距離ではないようだ。でも、当時の地図には、国道451号線の橋はなかった気がする。気になってしらべると、石狩川に架かる国道451号線の「滝新橋」は2002年開通であった。 ただ、最短距離でなくとも、札沼線の廃止区間(新十津川-石狩沼田間)の痕跡をたどる目的もあった。実際のところ、廃線跡の痕跡はまったく見つけることができなかった。 今回の旅行で宿泊したホテルスエヒロの位置は下記のとおり。 滝川駅では、空気中の水分が凍ってキラキラ光る氷の粒子がみえるダイヤモンドダスト現象がみられた。 夜間なので、街灯の光を反射していたので、写真撮影をこころみたが、まったく写らず。気象情報では気温-13℃。 積雪は50センチ以上あるが、車道、歩道ともに除雪は完璧。靴はスニーカーであったが気温が低いため靴についた雪が溶けず、ほとんど濡れず移動できた。 明朝は、5時前に起床、ウェザーニュースによると気温は-17℃。天気は晴れであった。 滝川駅には、開扉時間の5時20分まえに到着してしまったが、ちょうど宿直のJR職員が自動ドアの鍵を開ける作業中であった。中に入ると、北国らしく広い待合室が暖かい。なぜかセブンアイスの自動販売機がある。列車はまだ入線していなかったため、待合室で飲み物を確保していると、根室本線乗車目的と思われる同志(私と同じ中年のおじさんが多い)が、10名ほど集まった。 北海道は、寒冷地なので改札は列車別となっている。乗り鉄をはじめた中学生の頃から改札口には列車の行き先をかかげた札があり、10分前から改札がおこなわれる様式であった。人気列車の出発前には改札口の前に長い行列ができた。しかし近年は自動改札機が普及したこともあり、有名無実化しているように思われる。東鹿越ゆきの電光掲示板には「改札中」の表示はなかったが、自動改札をとおり、一番手前の1番線にむかった。 列車はまだ入線してなく、駅構内の先に、2両編成の気動車がアイドリングをしていた。おそらくこれが、東鹿越駅ゆきと判断してホームに並んだ。もう残りわずかとなった国鉄型気動車キハ40型の2両編成である。 出発の数分前に入線してきたが、私が待っていた2両目は、いつまでも扉が開かないため、先頭車両から乗り込むと、2両目の車両は回送扱いの締め切りであった。車内の乗車率は各ボックス席に1人程度であった。 この列車は、芦別で後ろの車両を切り離し、芦別発滝川行きの始発列車となるための措置であることに後ほど気がついた。駅の放送や車内での案内はなかったので、これから乗車される方は要注意ではあるが、まともな利用客が皆無ということなのであろう。

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