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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2023.02.25
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勝海舟は両国生まれだったのですね〜私は「両国公園」で初めて知りましたスマイル

​きらりの『両国旅日記』・・・その20​

​『勝海舟誕生之地』法務大臣西郷吉之助書​


右に「由来碑」がありそこに記してあるのは、

勝海舟は幼名を麟太郎といい、

文政6年(1823年)1月12日この地

男谷一郎邸内で生まれた。

剣は島田虎之助に師事し

商学海洋術を学び

万延元年(1860年)幕府軍艦成臨丸館長として、

太平洋を横断渡来した。

慶応4年(1868年)3月13日

・・・読みにくいので以下省略。


【この公園の地図】

​勝海舟生誕の地​上向き矢印

公園内には、

トイレトイレも車椅子障がい者用トイレもあります(無料)

両国小学校の隣です。




勝海舟幕末絵巻

勝海舟の歩みと、様々な出会い

鳶が鷹を生んだ

勝海舟誕生 

文政6年(1823年)

かつかいしゅう
勝 海舟

通称「麟太郎」、本名「義邦」のち「安芳子」

【文政6年1月30日ー明治32年1月19日】

(1823年ー1899年)

海舟は・・・

本所亀沢町にあった、

父の実家である、

男谷家の屋敷(現在の両国公園)で生まれました。


海舟の祖父検校(けんぎょう)は、

元々は地方の出身で、

江戸に出て成功し富を得て

旗本男谷家の株を買い入れ、

息子(海舟の祖父)平蔵に男谷を継がせました。


海舟の父惟寅(これとら)は、

後継のいない勝家の婿養子となり、

勝小吉(こきち)と称することになりました。


勝家は、

三河以来の古参の幕臣でしたが、

小普請組(こぶしんぐみ)に属する無役で、

いわゆる貧乏旗本でした。



若年期の海舟は、

貧しい生活を送りながらも、

剣術、蘭学、参禅と修行に励み、

この時の剣術と参禅の修行が

自分の精神の土台をつくったと、

のちに本人が語っています。


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最終更新日  2023.02.25 00:10:11
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