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カテゴリ:東京寺社&庭園散歩♪
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清澄庭園まで歩いてみましょう〜3分ほどでしょうか・・・とても良いお天気です。 清澄白河のバス停留所から歩いてみましょう バス停の前には、トイレがあります。 地下鉄『清澄白河駅』下車では、A3出口が近いです。 小名木川方面ではなく 大きな文字で『清澄庭園』と書いてあります。 この矢印の向く方向に曲がります この角は、すでに『清澄庭園』なのですが・・・ 「入口」は、塀沿いを歩いて行きます2分ほど ここにも親切な地図があるので(先程の地図と見方が違うけど) この地図では、地下鉄とバス乗り場がよくわかりますね そして、庭園の入口が表記されているので 安心して進めます。 そして、ここには『清澄庭園桜の見ごろ』が・・・ 表記されていました3月〜4月中旬が見ごろです それでは、清澄庭園まで・・・ぷらぷら とても良いお天気なのでお散歩を楽しみましょう 右の路地には・・・ むらたはるみのはか 『村田晴海の墓』とあります読んでみましょう〜 東京都指定旧跡 所在地 江東区清澄三丁目四番 本願寺墓地 指定 昭和一八年五月 江戸時代中期の国学者で歌人。 日本橋小舟町の豪商、 村田春道の次男として、 延亮三年(1746年)に生まれた。 父春道、 兄春郷とともに加茂馬淵の門人で、 著名な国学者であった。 春海は、 国学者としては、 仮名遣いや五十音の研究に造詣が深く、 歌人としては、 加藤千蔭とともに 古今調の流麗な一派を立て 江戸派と称された。 門人に、 清水浜臣・小山田(高田)与清・岸本由流らがおり 江戸の宗匠と称せられ、 従い学ぶ者が衆をなしたといわれる。 ことじりしゅう 『琴後集』 『歌かたり』 わがくだいがい 『和学大概』など 多数の著書がある。 文化八年(1811年)二月十三日66歳で死去した。 墓石に楷書で平春海先生墓とある。 平成八年三月八日 建設 東京都教育委員会 Historic Places Murata Harumi Haka (The grave of Murata Harumi) Provisionally designated in 1924, Designated in 1955 Murata Harumi(1746-1811)is a Japanese classival scholar and a waka poet in the middle of the Edo period. He was a son of Murata Harumichi, a wealthy merchant in Nihonbashi Kobunacho. His father and his broter were also famous Japanise classical scholars. Harumi studied Japanese classical literature and poems under Kamono Mabuchi. As a poet, Harumi is categorized into Edo-ha(Edo school), along with Kato Chikage. Tokyo Metropolitan Board of Education 世界遺産にぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.11 00:10:12
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