木漏れ日の空間にようこそ !!
PR
フリーページ
キーワードサーチ
プロフィール
h-ymmt405
社会の谷間に埋もれた、とんでもない情報を紹介します
お気に入りブログ
コメント新着
< 新しい記事
新着記事一覧(全2776件)
過去の記事 >
全知全能の能力を所有していると一部の人から言われている、カルト教祖の能力の根拠とするものの、一部を記せば、「教祖の発する言葉は、いずれ、現実化する力を所有している」ものと、組織内では信じられているのです。少なくとも、暗黙のうちに、建前としても信じなくてはならないような、少なくても、そのような雰囲気が、捏造指されていと解釈できるのです。ですから、病原菌サーズの感染流行にしても、中東の戦争にしても、所見で解説して意見さえ述べれば、いずれは、所見の内容のように進展すると考えられているのです。しかし、所見については、現実化しなかったとしても、何ら責任の生じるものではありません。 言いっ放しの無責任な見解ともいえますが、その能力を信じることは、ことの善悪には関係なく信じる雰囲気が、集団として造成されているのです。例えば、誰それを「殺すと」言えば、誰それが現実に死にいたる事態が生じて結果として「死ぬ」と信じられてしまうのです。分り易く説明すれば、言葉が現実化する能力の有る人が、誰それを「殺す!」と言えば、実際に、誰それが、原因の如何に関らず死ぬと云うことなのです。要するに、言葉で現象を支配する能力があると云うことなのです。以上が救世の事業も可能とする根拠なのです。 上記に記す能力と縁起の法則を併用して考えれば、逆説的に捉えて、言葉が現象化する能力を所有する人に「殺す!」などと言われる方に、自己責任が生じることになるのです。殺すと言えば、この世的には、脅迫となりも犯罪に相当しますが、対象人物に、実際に死刑に相当する行為があれば、言葉だけなら問題は無ないとも言えます?しかし「殺す!」ではなくて、「死ぬ!」であれば、この世的にも脅迫とはなりません。何らら咎められるものではありません。ですから、組織内で不都合を起こす人に付いては、死ぬと言えばよいのです。恐怖のマネージメントととすることもできるのです。 2007年05月20日⇔ 「全知全能ならば? 」より再編集
悪い本性を訂正するべきリハーサルです。 2009.08.27
霊能力にも個人差がありお互いの相互作用… 2009.07.24
カルト側が私が死ぬとする根拠 2009.07.23
もっと見る