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たそがれの写真家が書くあれやこれや

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2009年09月29日
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瀬戸大橋

瀬戸大橋

いつも瀬戸大橋は、岡山側からの映像が多いのですが、これは香川県側からのものです。
 西の方角から撮ろうとしているので、少し見づらい絵になっていますが、真っ直ぐに伸びる
 だけよりはと思って選びました。

  淡路島と四国・徳島を結んでいる鳴門海峡大橋は下部に鉄道を走らせることが出来る設計
  だったのですが、結局高速道路だけに終わりましたね。この瀬戸大橋が出来て、当時神戸
  に住んでいた私としては、神戸港からジェットホイルに乗り高松港に行って、讃岐うどん
  を食べ、海峡線で帰ってくるというルートは、橋の上で夕日を見れることもあって至福の
  時間でした。

屋島と高松港

屋島と高松港

 その高松港ですね。当時は宇高連絡船もありましたし、ホーバークラフトと言う浮上式の
 連絡船もあって、一度試してみましたが狭い船室と煩い音、方向性の定まらない進路にがっ
 かりしたものでした。

  壇ノ浦の合戦の場となった屋島、山上から当時に思いを馳せてみたのですが、昔の平氏の
  戦士たちは須磨から何時間もかかって、ここまで逃げてきたのでしょうが、ジェットホイ
  ルだとたったの90分、高速フェリーの1/3の時間で来れてしまうというのが不思議な感
  覚でした。

小豆島

小豆島

 高校の修学旅行で多度津から金毘羅さんにお参りし、栗林公園、屋島などを見て高松港から
 この島まで、チャーター船で渡ったものでした。島に泊ってバスで回った事までは覚えてい
 るのですが、記憶がそれだけで途切れているのですね。

  神戸から行こうとしたのですが、直接小豆島までの航路が今は無いんですね。時々例の
  旬感旅行でツアーが案内されるのですが、必ず2名からの参加となるので私には縁の無い
  所になっています。寒霞渓の紅葉などを味わってみたいものですが。

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 いつもと違って、空の旅からスタートしました。これも入院する前の北九州から羽田への
 フライトから撮影したものです。こうしてみていただくと、この日のフライトは、鹿児島
 から広島西までのJACのサーブと言い、このJAL Expressの737-800と
 言い、とても素晴らしい瀬戸内の景色を満喫出来たと言えますね。

  この天気と反対にいつ私の心臓は、停まってしまうかと言う瀬戸際に置かれていた訳です
  が。もちろんこの時は、変だとは思っても、そこまでは考えていませんでしたし、心臓の
  動脈が一本、完全に詰まっていて働いていないなんて、説明されるまでは分かりませんで
  したから。

 今だから言えることですが、8月に撮った心電図ではいままであった脚ブロックが綺麗に消
 えて、とても綺麗な波形を描いていたので、とても喜んでいたのです。もちろん大変危険な
 状態だなんて考えもしませんでしたよ。

  頭でも函館脳神経外科で死を宣告され、熱海の所記念病院で通常ならば、この首と頭の状
  態では生きていることが珍しく、たとえ生きていても植物人間状態にあるものだと説明さ
  れてはいましたが、再び心臓でも正常では無いと言われるとは思っても居ませんでした。

 だからこそ、残された人生を精一杯納得のいくように行き抜いて行ってみたいものだと考え
 るのですが、復帰後最初のお仕事が昨日の「江戸東京の魅力」講座でした。前日、朝市を見
 に出た時に、行きのロマンスカーの特急券を購入していたのですが、これがなんと一番前の
 席。

  皆さんご存じの運転席が二階にあって、展望席のある車両ではなく、普通に運転席のある
  車両なんですが、それでも遮るものが無いので、電車の前景がとても良く見えます。
  ほんとは寝て行きたかったんですが、結局講座の途中で20分くらいうとうとする羽目に
  陥りました。

 講義は、江戸時代の時についてのもの。説明を聞いていても、もう少し理解するには努力が
 必要ですね。はっきりしたのは、当時は今のようにたとえ1分時間が違おうが何も生活には
 影響が無かったと言うことかな。

  お寺や町の鐘で、時報が打たれていたようですが、かなりいい加減なもので、一刻の真ん
  中で打っていたようで、それがいつの間にかその時間の始まりにもなっていたようです
  よ。そのうえ、十二支を使ったものとか、単純に昼間を六等分したものとか複雑なのに
  それでも生活出来たという頭が混乱する講義でした。












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最終更新日  2009年09月29日 11時05分50秒
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