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すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。
それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」 イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」 当時、宇田屋の会堂でなら、成人男子なら誰でも立って、人々に話しかけて良いので、イエス様は、イザヤ書巻物を開いてイザヤ書61章1-2節を朗読しました。 「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたがたが聞いたとおり実現しました」 それは、2018年11月12日の朝も同じく、生きていて力ある聖書のことばに、アーメンと応答し、信じ告白すれば実現します。 ナザレの人たちは、イエス様の口から出る恵みの言葉に驚きました。 そして、アーメンと応答するより、この人はヨセフの子で、大工ではないか。そして、人々の期待は病気直しのご利益しかなく、心が変えられるとか、新しい価値観に生きる期待さえないことを分かりナザレを去る決心をしました。 聖書は記録しています。 ルカの福音書4:23-30 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」 また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。 わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、 エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。 また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。 人間の値打ちは、生まれや職業で決まるものではありません。今をどう生きているかです。聖書を読み、イエス・キリストの十字架の救いを受け、少しでも清い心で神を愛し、人の幸を願いながら生きることが、何よりも尊い愛の人生です。 出生、経歴、職歴、学歴、性別、国籍など問題ではないのです。 コリンント人への第二の手紙4:6-9 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/11/12 08:05:13 AM
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